テレビの画面に白煙が上がっている。福島第1原発爆発の第一報を見たとき蓮池透さん(56)は混乱したという。「見るも無残。残念。悲しい。もどかしい」。ひとごとではないのだ。かつては自分もそこで働いていた。
蓮池さんといえば、北朝鮮の拉致被害者、蓮池薫さんの兄で「拉致被害者家族連絡会(家族会)」元事務局長としての顔があまりにも有名だが、東京電力元社員でもある。77年、東京理科大学電気工学科を卒業し、入社して配属されたのが福島第1原発だった。
「最初に3年半いて、途中で本店に移った後、また福島に配属されて2年半いました。福島では計測制御装置のメンテナンスをやっていました。原子炉水位や原子炉圧力などの数値を制御し、記録する仕事です。とくに、3号機、4号機に関しては、新入社員のころに保守点検の仕事をやっていたので思い入れがあります」
当時の"フクシマ"は、71年3月に1号機が営業運転を開始してから間もないころで、内外の注目を集めていた。
「GEの技術者などアメリカ人もたくさんいました。そういう雰囲気のなかで、世界でも最先端をいっている施設だと誇りをもって働いていたんです」
89年に福島に再び配属されたときは安全審査の総括部門にもいた。その後、本店に戻ってからは核燃料サイクル部門を主に担当している。02年には日本原燃に出向、核廃棄物再処理(MOX燃料)プロジェクトに参加した。06年に東電原子力燃料サイクル部部長に就任した後、09年夏に退社するまで、東電ではずっと原子力発電のいわば中枢にいたことになる。
だからこそ、今回の「レベル7」の事故が信じられないと言うのだ。
「当時から"レベル7"に相当するシビア・アクシデント(過酷事故)という概念はありましたが、そのレベルの事故の確率は1千万分の1といわれていた。工学的には絶対に起こりえないということです。私自身、安全審査にも関わっていたので、安全性には絶対の自信がありましたから」
蓮池さん一家も原発事故に深く心を痛めている。
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