第1回に当たる今回は、テレビ・ゲーム機の黎明期から米国で市場が立ち上がった1970年代半ばまでを取り上げる(図1)。この時期、任天堂はまだテレビ・ゲーム機業界に顔を出さない。「ただし、テレビ・ゲーム機の基本的な考え方は1970年代半ばには出そろっていた。ファミコンも大きな影響を受けている」(ファミコンの生みの親である上村雅之氏、任天堂 製造本部 開発第二部部長)。
1972年にビジネスが始まる
テレビ・ゲームの歴史をひもとくには、1960年代前半までさかのぼる必要がある。米 MIT(Massachusetts Institute of Technology)でコンピュータ・グラフィックスを専攻していたSteve Russell氏が、1962年に「Space War」というコンピュータ・プログラムを科学計算用ミニコン(米Digital Equipment Corp.のPDP-1)向けに開発したことが発端といわれている(図1)。
テレビ・ゲームがビジネスに結び付いたのは Space Warが生まれてから10年後のことである。米Atari社の創始者の一人である Nolan Bushnel氏はSpaceWarに触発され、1960年代後半からゲーム・センタに設置するゲーム専用コンピュータの開発に取り組んだ。1972年にAtari社は彼のアイデアをもとにした「Pong」を発売し、業務用テレビ・ゲーム機のビジネスを確立させた。
Nolan Bushnel氏が業務用テレビ・ゲーム機のアイデアを温めていたころ、家庭市場を目指して開発に取り組むグループもあった。当時、産業用電子機器を製造・販売していた米Sanders Associates社のRalph H. Baer氏らのグループは、家庭用テレビ受像機の新しいアプリケーションという観点からテレビ・ゲーム機に注目していた。1969年ころ開発に成功した同社はテレビ・メーカの米Magnavox社と特許契約を結んだ。1972年、Magnavox社は世界初の家庭用テレビ・ゲーム機「Odyssey」を約100ドルの価格で、世に送り出した。