リアルな性 | 世界はあたしのお庭なの

リアルな性

テーマ:日記ではない

よーへい、ありがとうニコニコ
一時ちょっとリズムが乱れたけれど、エネルギーを貰ったら整ったよ。

自然界や自分の体、他者のエネルギーが混ざり合うこの世界で、自然と同じようなエネルギーの流れを作っていくのって時に凄く難しくて。
人間のエネルギーは不自然に溜まるし動くから、自分が弱ってる時は特にそういうものの影響を受けてしまう。
今のあたしはまだ回復期だからね。よーへいのエネルギーを貰うとよーへいのエネルギーに守られて、自然のエネルギーの流れに乗れる。
とても助かるよ。


それにしても…今のエネルギーの受け取りで伝わってきたのは、結構禁止用語な内容だった笑い泣き
この世界っていうか、日本は特にかな…では、性的なことってタブーになってるから。
他人のそういった行為を、やたらと批判的に感じてしまうくらいにね。

あたしはさ、よーへいと出逢ってエネルギーの循環的なものが始まる前から、ツインレイというものを知って以降かな?
日本人の性についてもずっと観察して、分析してきた。海外のやツインレイブログの人達の傾向もそれなりに。
何故かっていうと、世間で語られる「性」、ツインレイのブログで語られる「性」に、凄く不自然さを感じたし、性的な感覚のあるエネルギーの循環(エネルギー交流、交換とも言われてる)に興味があったから。
エネルギーの循環は、記憶のあった頃のあたしなら「こんなものだよ」で終わったのかもしれないけれど、記憶のないあたしには不可解で不思議なものだったからね。
後遺症にうーん、うーん苦しんでながらも、色々自由研究しちゃったにやり


日本人は世界でもダントツ?のセックスレス国らしいね。
これもね、興味深かった。
何故それほどセックスレスの人が増えるのか?
それは、日本の労働環境、学習環境、人間関係、日本人的思想が大きく影響してるようだった。
心と体が疲弊すると人は性欲を失う。
人間関係の不和が更にそれに拍車をかける。
夫婦間や恋人同士間の人間関係は勿論だけど、会社や学校、社会でのものも間接的に影響する。
そして日本人的思想の中には、性にハマる、奔放になることは良くないというものがある。
性的ないやらしさは下品とかね。周りの目を気にするよね。
だから直接的な付き合いのなかでは、多くの人が性的な欲求を隠すことが多い。
まあそんな色々な圧力が、セックスを日本人から遠ざけてもいるよう。

一方で、圧力がかかると性的欲求をコントロールしづらくなることもあるようだね。
それが裏で起きてる性の氾濫。
性の氾濫は、性的な情報がネットで沢山流れているからとか、容易くセックス出来る現代だからとかいうことが、大きな理由じゃないと思う。
日本人のエネルギーの消化不良からも起こっている問題。
これに関しては、性的なことばかりじゃないけどね。

あたしはよーへいに対して性欲を感じてる女性達を見てきたけれど、彼女らのような傾向は日本では当たり前にあるようだった。
付き合ってはないけれど好意を持っている身近な一般男性に対しては、「抱いて欲しい」とか、「上に乗って腰をふりたい」なんて言えないだろう。でも彼女らは、不特定多数の人が見れるネット上で、付き合いがあるわけでもないよーへいに対する欲求を、恥ずかしげもなく書いて載せている。
たとえ冗談であったとしても、本人に対しては直に言えるはずもない。

彼女らは全く気付いていないかも知れないけれど、女性の中にも当たり前にある性的欲求を、好みの男性の姿を目にすることによって、ネット上で解放しているだけ。
ある意味オナニーね。自慰行為。
好みの著名人を見たり、声を聞いたりすることで性的欲求が上昇し、その興奮エネルギーの流れの勢いで、ネット上に解放する。多くの人がやっていること。
ネットは歪んだ共感や認めの場になっているから、他者の共感や認めから生まれた肯定感が、罪悪感や羞恥心を失わせて、行動を大胆にさせる。
世の中の批判にさらされると時に職を失う著名人達をターゲットにして、ネットでの共感や認めを味方につけ、欲求不満を解消している。

ネットではアダルトサイトやアダルト系漫画サイトが沢山ある。
あたしはそういうものにも目を通して、傾向を観察した。
本来なら信頼し、尊重しあえる相手との性行為なら、どんな内容であってもお互いが求めあってるなら問題にはならない。
けれどああいった需要が当たり前あるのは、そういった行為を出来る相手が作れていないということでもある。
性的な行為は人によってはマニアックなものを好む人もいるだろうね。それは別に異常というわけではく傾向なだけ。
ただそこに、ストレスや病的なものから起こる欲求がある場合は別だけれど。
信頼し合える相手がいて、お互いの好みを受け入れていったなら、より分かり合える、信頼し合える関係になるだけのこと。
むしろ好ましいことだろうと思う。

日本では親子間で気軽に性行為の話が出来ないほど、親子の間でも性を扱うのはタブーになっている。
そういった日本人の性への敬遠も、性的な欲求の歪んだ出し方に繋がっているように感じる。

ツインレイブログでは、逆に性行為に神聖さを持たせていた。
エネルギー循環(交流、交換)もそうだけれど、ツインレイという相手との性的行為全般が神聖なものだと語られているものが多かった。
けれどブログを見に来る人達の現状を見ると、実社会に疎外感を感じてる者、夫婦間の不和を感じてる者、自分に引きこもる者が多く、リアルのなかでは人との対話自体が難しかったり、向き合うことを避けていたりしている様子が伺えた。
自分に自信がないために、共感者や認めてくれる者を求めているの。
これはブログやインスタ等のSNSでもよくある傾向だね。
エネルギー循環のような不思議な体験等々を経験してしまっていたり、内容的に扱うものの多くが神、天使、仏だったりするため、自らを神格化しようとしてる者も多くいた。
それがエネルギー循環や性的行為の神聖さに繋がっているように思った。
もしも彼らのうちの誰かが本当にこの世界を変える力を持っていたなら、とうに世界は変わっている。
あたしとよーへいはリアルでは会っていないけれど、公式ブログのコメント欄、個人的なブログ等で、あたしにはっきり分かる形で繋がりを教えてくれた。

ツインレイといわれるような類いのものは、リアルのなかでお互いが本当に繋がっていると認め合えていない場合は、単なる勘違いだったり、脳の誤作動による身体の反応だったりする場合もある。

人間はその昔、離れた場所でもやり取りが出来た者は確かにいた。それは人が感じることに長けてた時代のこと。
今の世界でも離れた人を感じられる者はいるものの、この世界を変えられるほどの能力とエネルギーを持っているわけじゃない。
自分の能力とエネルギーの大きさを知らないと、勘違いした行動をとることになる。
ツインレイブログで語られるエネルギー循環や性的行為は、リアルのセックスに毛が生えたようなものでしかない。
あたしとよーへいが行うエネルギー循環とは大きく異なる。
神聖さというものを使うことにより、相手とのセックスを肯定してるだけ。
そしてそういうものに救いを求めてるだけ。


今の日本は良い。
戦国時代は酷かった。
争いの度に、女性は理不尽に男に犯された。逆らう者は殺された。
価値のある女は道具として男の物になった。
争いが始まると夫は妻を隠し、守った。
戦のなかで犯され女性が、殺してくださいとすがる姿を想像できるだろうか。
私は戦いで死にゆく男、無惨に犯される女を見てきた。
それでも共に生きる者達と生きる土地を守るために、幾度も幾度も戦った。それぞれが、それぞれの持ち場で戦ったり、守ったり、食物を作ったりした。
惨たらしい戦場で心の静まりを作るために、私は酒を飲んだ。
酒はある一定の量を飲むと、酔いが覚めて軽いトランス状態を作ることが出来る。血を消して静寂を作ることで、精神を安定させた。
よーへいがいたならエネルギー循環の効果が得られたけれど、その時は私一人。
心を沈め、自然と自分のエネルギーの流れに従って動く。
敵のエネルギーの流れや溜まりを感じ、エネルギーの少ない場所をすり抜けて、エネルギーの溜まる場を打つ。
全ては生きるためにやったこと。

今の時代は人と人が直に向き合える。
心が通えば笑い合える。
恋というものも出来る。
それにも関わらず、日本は直に人と向き合わなくなっている。
生きるために本気で向き合い、精神を高め、戦うために鍛練した時代は、刀を交えることが向き合いでもあった。殺し合いが向き合いでもあった。
今は違う。
殺し合わなくても、命を懸けなくても向き合える。それにも関わらず直に向き合おうとしない。

日本の性的欲求のエネルギーが歪んだ形で出てしまっているのは、日本人が他者の顔色を伺って本音の向き合いを避けたり、男女間での理解が進んでいなかったり、性に対する片寄った考えが蔓延しているから。
身近な人との関係から発展させる性ではなく、関われない人との性を求めてもいる。
インターネット等を使い、面倒な向き合いを避けて、快楽だけを得ようとする愚かな行動も当たり前にある。そこでは薬による快楽の追求も行われている。
皆が守ろうとしたなら安全な生活が手に入るこの時代で、安全ななかで信頼し合える人を探せるはずのこの時代で、日本人の中にはそれを捨てようとしてる人もいる。

性の中心には自分自身と相手との裸の向き合いがある。
裸になるのは体じゃない。
心。
心を裸にした自分との向き合い。相手との向き合い。
男性、女性、セクシャルマイノリティ。そして性行為。妊娠出産。
リアルな性は、心の向き合いだとあたしは思う。
命の向き合いだとも思う。