Wikipedia:Zマシン (Z machine)は、アメリカ合衆国のサンディア国立研究所が保有する核融合実験装置であり、2016年現在世界最強のX線発生装置でもある。世界各国で行われている核融合研究の主流とは大きく異なる、Zピンチと呼ばれる物理現象を利用した実験装置であり、これによって発生させた強力なX線で物質を爆縮し、熱核兵器の内部と同程度の極度に高温、高圧の条件を作り出すことができる。この方法により、2003年3月には重水素燃料のみで核融合を達成している。この装置はサンディア研究所のパルスパワープログラム (Pulsed Power Program)の一環を成し、その最終目的は慣性閉じ込め方式核融合(Inertial Confinement Fusion : ICF)プラントの可能性の実証とされているが、米国の核兵器備蓄性能維持計画(Stockpile Stewardship Program)の一環として、2006年から2007年にかけての大がかりな改造においてはエネルギー省(DOE)傘下の国家核安全保障局 (NNSA : Stockpile Stewardship Program を実行するために2000年に新設された機関)から多額の資金供給を受けている。
Zマシンは電気を瞬間的に圧縮して巨大エネルギーを発生させ、世界で最も強力なエックス線を放射させることができる実験装置。超高温、超高圧の核爆発に近い環境下で、爆発や臨界を起こさずにごく少量のプルトニウムの状態を確認する。物質が経年劣化によりどう反応するかなどをみている。 同研究所を管轄する米エネルギー省傘下の国家核安全保障局が1985年に前身となる施設を開設した。現在の装置に全面改良されたのは2007年。保有核の管理計画(SSP)として行っている核兵器の性能維持措置の一環である。 同局はネバダ核実験場の地下施設で行う臨界前核実験をはじめ、SSPに基づく13種類の実験の実施状況を年4回、事後公表している。「核兵器なき世界を追求する」と09年にプラハで演説したオバマ大統領の政権下では、すでにZマシンによるプルトニウム実験を12回、臨界前核実験を4回しており、広島や長崎から抗議の声が上がっている。 最近では9、10月に計2回、Zマシンでの実験が行われていたことが11月初めに明らかになった。これを受けて松井一実広島市長は同4日、東京の米国大使館を通して大統領あてに抗議文を送付。「今後も核兵器を持ち続ける意志を表したものであり、断じて許すことはできない」などと批判した。被爆者団体や反核団体は原爆慰霊碑(広島市中区)前で同3、5日に座り込んだ。 出典元[ヒロシマは問う 被爆70年へ] 米研究所 Zマシン公開 核兵器の性能実験装置 抑止力目的を強調 | ヒロシマ平和メディアセンター オバマ政権からZマシーン核実験が開始した
そのサイトの中でZマシン実施についての一覧表ではオバマ政権後 12回核実験=未臨海実験をしている。 ” 2006年初頭、サンディア研究所はZマシンが 20億ケルビン(20億°C)を超える高温のプラズマの生成に成功したと発表した。太陽の中心温度を凌駕する凄まじいものです”
”プルトニウムの燃焼実験も毎日やっていますが、核兵器の開発とは全く関係ありません」「研究対象はプルトニウムだけではなく、あらゆる物質です」との説明に賛意を表し、「これは明らかに札幌市議会が抗議文を送るような施設ではありません。」との意見を表明している(札幌市はZマシンによる新型核実験に対して2012年10月3日にオバマ大統領への抗議決議を採択している)。 2014年4月5日に朝日新聞は、Zマシンの日本の報道機関への初公開を伝える記事において、「研究所によると、実験では、X線は照射されず、核分裂反応も一切起きない。爆発に近い状態を再現しているわけではないという。」という証言を載せている。” https://ja.wikipedia.org/wiki/Z%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%B3 ※核実験でないと札幌議員と朝日も書いてるそうだが、プルトニウムを毎日使って最終的に一体何が目的なのか。殺傷兵器ではありませんとは書かれていない。 オバマ、仏でのノルマンディー上陸作戦70周年 ガムを噛みながら“原爆投下”映像に拍手 「2014年6月、第2次大戦で米英などの連合国軍が当時のナチス・ドイツを撃破する転機となった『ノルマンディー上陸作戦』を記念した70周年記念式典がフランスで行われました。欧州やロシアなど20カ国以上の首相が参加した盛大なイベントで、会場の大スクリーンには日本へ原爆を投下するモノクロ映像も流されました。この時、会場から大きな拍手が湧き起こったのですが、ドイツのメルケル首相は拍手せず、ロシアのプーチン大統領は胸の前で十字架を切って哀悼の意を表していました。ところが、ガムを噛みながら無表情で手を叩いていたのがオバマ大統領。とても原爆投下を悔いている態度とは思えませんでしたね」(在欧特派員記者) ユーチューブでは今も「ノルマンディー上陸作戦70周年記念式典」の映像が残っていて、なるほど、ぶっきらぼうな態度のオバマがしっかりと映っている。とても広島訪問の際、被爆者と握手し、肩を抱いていた人物と同一とは思えない。 広島県出身の政治評論家、板垣英憲氏はこう言う。 「オバマ大統領が原爆資料館を訪れた時間は10分。長時間滞在すればいいというわけではありませんが、被爆地の実相を理解できたとは考えにくい。さらに言うと、オバマ大統領が肩を抱いた列席者は、アマチュア歴史家として、被爆した米兵の遺族全員を探す活動をした方です。大統領の本心は分かりませんが、『米国のためにありがとう』という意味もあったのではないか。そもそも、オバマ大統領が広島・長崎の原爆投下を本気で悔いているのであれば、何が何でも保有する核兵器の削減を進めているだろうし、新型開発も承認していないと思います」 オバマの“三文芝居”に騙されてはダメなのだ。 オバマ広島訪問 演説全文 この時演説した全文をみると、美辞麗句をいれながらも遠回しに、原爆投下は、アメリカの責任 ではないという演説 (よくみると意味深な言い回しもあるけど今回は省きます)↓
この一文にあった女性が「私のことではないか」とテレビや新聞に散々出ていた↓ オバマ演説「原爆投下の操縦士を許した女性」=近藤鉱子さん 近藤紘子さん プロフィール :1944年11月20日広島生まれ。国内外で講演活動を行う他、日本で行き場を失った子供を海外に養子として紹介する「国際養子縁組」を続けている。「財団法人チルドレン・アズ・ザ・ピースメーカーズ」の国際関係相談役も務めていた。著書に「ヒロシマ、六十年の記憶」(徳間文庫)がある。 下記画像は、原爆を投下したエノラ・ゲイの副操縦士ロバートルイスと、 近藤鉱子(旧姓:谷本)の父の谷本牧師
近藤紘子(旧姓:谷本)さんは毎年、ところどころ破れた小さなピンク色の服を持って生まれ故郷を旅する。それは近藤さん一家が70年前、世界初の原爆投下を生き残った日に近藤さんが着ていたものだ。 谷本氏は1955年の訪米時、ロサンゼルスに招かれ、「This Is Your Life(これがあなたの人生だ)」という米NBCのテレビ番組に出演した。番組は谷本氏の家族を秘密のゲストとして招待。近藤さんは家族とともに父親に内緒で渡米していた。秘密のゲストはもう1人いた。広島に原爆を投下した米軍の爆撃機「エノラ・ゲイ」の副操縦士、ロバート・ルイス大尉だった。 10歳になっていた近藤さんはしばらくルイス大尉を見つめていた。ずっと「悪いやつを蹴っ飛ばしたりかみついたり、たたきたい」と思っていたのに、近藤さんはルイス氏のところに歩いていって、その手に触れた。その直前、近藤さんは、番組の司会者に原爆を投下したあとどんな気持ちだったかと聞かれたルイス氏の目に涙があふれていることに気付いていた。近藤さんの記憶によると、ルイス氏は飛行日誌に「My god, what have we done? (ああ、私たちはなんてことをしてしまったんだ)」と書き込んだと答えた。 近藤さんは後に牧師となった日本人男性と結婚し、2人の女の子を養子に迎えた。近藤さんは現在、頻繁に日米の各地を訪れ、自らの体験を語っている。 http://jp.wsj.com/articles/SB12433432845575373546004581151283578600362 近藤鉱子(旧姓谷本)の父親の谷本清牧師 谷本 清(1909年 - 1986年9月28日)は、香川県坂出市出身の日本のキリスト教牧師、平和活動家。 ノーモアヒロシマズ運動提唱者 関西学院大学神学部を首席で卒業後、渡米して1940年にエモリー大学大学院修了。沖縄中央教会牧師を経て、1943年に広島流川教会の牧師に就任。1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下の際に、爆心地から3kmの己斐町で疎開作業をしており直接の難を免れるが、広島市内に引き返して救護活動に従事。原爆症により生死の境をさまようが奇跡的に回復。 教会復興に尽力している最中、1946年5月、ピューリッツァー賞作家でもあるジャーナリストジョン・ハーシーの取材を受けたことから、谷本の被爆体験が世界中に紹介され、著書『ヒロシマ』となって大きな反響を呼ぶ。 1948年3月UP通信ルサフォード・ポーツの取材を受け、この記事の中で「ノー・モア・ヒロシマ (No more Hirosima)」が初めて唱えられ、駐留米軍紙を経てアルフレッド・パーカーが平和運動のスローガンに用いて世界に広がった。 1986年に死去。生前の功績を讃え、故人としては異例だが、エモリー大学から名誉神学博士の称号を授与される。その式典には第39代アメリカ合衆国大統領ジミー・カーターも参列した。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%9C%AC%E6%B8%85 エノラ・ゲイ副操縦士と日本基督教の谷本清牧師引き合わせた ジャーナリスト ノーマン・カズンズ=世界連邦運動の活動家
ノーマン・カズンズ(Norman Cousins、1915年6月24日 - 1990年11月30日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ユニオンシティ生まれのジャーナリスト、 作家。広島市特別名誉市民。 日本基督教団広島流川教会の牧師、谷本清らとともに「精神養子運動」(原爆孤児たちの育成のため、米国人が彼らを精神的な養子とし、精神的な親が年額20ドルの養育費を送るというもの)を開始。400名以上の孤児に対する支援を実施する。 また、原爆によってケロイドを負った若い女性たち(いわゆる「原爆乙女」)への義援金を募るため、谷本牧師とその家族をテレビの対面番組『This is Your Life』に出演させ、原爆を投下したB-29エノラ・ゲイ号の副機長だったロバート・A・ルイスと対面させた。この番組の大反響により5万ドルの寄付金が集まり、これにより1955年に原爆乙女25名が米国ニューヨーク市のマウントサイナイ病院において治療を受けることとなった。 2003年、広島県の平和記念公園にノーマン・カズンズ記念碑が建立。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%83%B3%E3%82%BA
日本基督教団のつながりか、番組サイトをみたら 元SEALDS/(社)リデモス理事の奥田愛基の父も別の日に出演していた。
広島原爆を開発・投下映像を撮影した男 〜A man destroyed Hiroshima by Atomic-bomb visits Hiroshima~ アメリカでは原爆投下の支持する考えは根強く、2005年のTBSテレビ放送50周年 戦後60年特別企画 『ヒロシマ』で科学者のハロルド・アグニュー博士(グレート・アーティストに搭乗し、広島原爆の唯一現存するキノコ雲の映像を撮影した)は広島訪問の際には2人の被爆者からの謝罪要求を拒否し、「(もし、申し訳ないと思うなら…)思わない」「恐ろしい兵器の存在が戦争を抑止する」「真珠湾を忘れるな」などと完全に正当化しており、ポール・ティベッツも死ぬまでに原爆投下を肯定していた。
地獄に落ちてるでしょうが、動画では民間人も戦争に加担して罪があると正当化 していたが、米国は戦争中毒であり大量破壊兵器もないのに戦争、偽旗作戦でも戦争 をやりつづけている、オバマ政権からはじまった新型核兵器の核実験、 オバマのドローンでの殺戮はこれまでの大統領最多の回数と言われている。 そしてイラク、シリア、アフガニスタン、リビア、イエメン、ソマリア、 空爆した。オバマはフランスでは日本の原爆投下映像に拍手している。 そんな手が血に染まった人間の演説パフォーマンスで、日本人は何も知らずに感動するというのは、原爆で亡くなった先人たちは報われないはずです。 このマッドサイエンティストのハロルドアグリューと 戦争犯罪人のオバマが共通しているのは、ロックフェラー創設のシカゴ大学ということ。アグリューはシカゴ大学の冶金研究所、オバマはシカゴ大ロースクールで 合衆国憲法を教えていた。シカゴ大といえば世界憲法シカゴ草案がある。 それは世界連邦運動で紹介されている。 画像はポール・ティベッツ
ちなみに「エノラ・ゲイ」という名前は、
日米友好などという美談で一般の原爆被害者でなく、 アメリカ大使館が選んだメンバーに、 日本人の代表として許させたり、「世界平和」という言葉で誤魔化し 原爆での虐殺を有耶無耶にしようとするのが姑息である。
世界連邦と原爆研究開発勢力の検証ついてはまだ続く➟
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