第八レポート:奴は危険だ。

「あ……いたぁ!」


 余程怖かったのか、安心したような藤堂の声。リミスやアリア達がスピカに駆け寄る足跡が反響する。


 合流までは予定通りだ。本来ならばここでアンデッドをけしかける予定だったが、もはやそれも何の意味もあるまい。

 グレゴリオは異端殲滅官クルセイダーの中でも屈指の戦闘能力を誇る。ただの異端殲滅官でもユーティス大墳墓浅層程度のアンデッドなんて一瞬で浄化出来るのだ、多分最下層のアンデッド相手でも五分五分以上に戦えるだろう。低層のアンデッドなどものの数ではない。


 それよりもさっさと藤堂と引き離す必要があった。奴は危険だ。もしかしたらザルパンよりも危険である。マッド・イーターの狂気マッドは殲滅対象を示しているのではない、本人に掛っているのだ。

 スピカに計画変更を伝えたいが、伝える術がない。通信用の魔導具は本部にしか繋がらないし、アメリアを経由すればいけるかもしれないがこういう時に限ってアメリアとの通信は繋がっていなかった。地味に役に立たねえ。


「大丈夫!? 大丈夫だよね!? 無事でよかった。さっさと出よう!」


「あ……ありがとうございま……す?」


「修行のためとは言え、こんな所まで一人で来るのは感心しないな……まぁ、話は後にして今は急いでここから出よう」


 浮かれたような藤堂の声に戸惑っているスピカの声とアリアの声が重なる。スピカには対象の人数を伝えてあった。恐らく、予定よりも多い救助要員に戸惑っているのだろう。俺も戸惑ってる。本当になんで一緒にいるんだよ。

 あー、どうしよう。本当に。なんかもうこの仕事辞めたい。


 その時、ふとグレゴリオが訝しげな声色で尋ねる。


「……おや、お嬢さん。随分と強力な結界を纒っていますね」


「ッ!?」


 息を飲む音。藤堂にわからずとも、同じ僧侶のグレゴリオにはバレてしまうだろう。全てが全て俺の想定とずれていた。

 感心したような声が続く。一見穏やかな声で近づき対象をぶっ殺すのがグレゴリオのやり口である。


「結界……?」


「ええ……最上位の守護結界に一級の補助魔法……並の使い手じゃありません。ふふふ……このクラスの神聖術を同時に重ねがけ出来る僧侶プリーストとなると……最低でもレベル70はあるでしょう。この低層でこのレベルの加護は少々、過剰ですが……」


「レベル……70? えっと……それは君が!?」


「えっと……その……」


 藤堂の戸惑いを隠せない声。そんな子供が使えるわけねーだろ、常識で考えろ。

 そして、グレゴリオが喜色の混じった声でその意見を否定する。


「いえ。そこのお嬢さんのレベルはまだ10、彼女のものでは……ないでしょう。素晴らしい腕前、しかし何よりも神力の絶対量が素晴らしい……。もしかしたら――」


 何よりも厄介なのは、奴が馬鹿ではないという点である。時に人里に隠れ潜む闇の眷属を討伐する異端殲滅官は馬鹿では勤まらない。グレゴリオがとても嬉しそうに呟く。恐ろしい男だ。


「――もしかしたら、我が同胞はらからに会えるかも知れません」


 会いたくねえええええええええええええええええッ!! てめえ自分の客観的評価考えろッ!


「同胞……?」


「ふふふ……僕と同じように魔族の討伐を受け持つ者です、我が友。僕達はなかなか忙しいので滅多に出会う事はないですが……」


 幸いな事である。相手が極めて強力な魔族だった場合、異端殲滅官同士で組む事もあるが俺とグレゴリオは双方ともに攻撃力が高い方であり、役割が被るため組ませられる事は殆どない。

 必死に自分に精神鎮静の魔法をかけながら状況が過ぎるのを待っていると、ふとスピカが何気なく声を上げた。


「え? ……アレスさんの、お知り合い……?」


 ちょッ……名前言うんじゃねえ!

 焦る俺を他所に、グレゴリオが感極まったような声を上げる。もうなんか色々とダメだった。


「おお! 我が友、アレスっ! 彼が来ていたのですね……何という幸運でしょう! これも秩序神のお導きか……」


 ああああああああああああああ名前があああああああああああああああッ!

 クソっ、ちゃんと口止めしておくべきだった。

 きりきりと痛む頭を神聖術で癒やす。早く。アメリア、早く俺に通信を繋いでくれッ! スピカを止めてくれッ!


「お嬢さん、貴方にその結界を掛けたのがアレスだというのならばそれは間違いなく……僕の親友のアレスでしょう」


 ゾットする何かが背筋を駆け巡る。好き勝手に情報が吹き込むんじゃねえッ!

 いつからお前の親友になった! おいッ! 一方的な関係は親友と呼ばないだろッ!

 頭を壁にぶつけたい衝動を必死に押さえる。音を立てたら居場所がバレかねない。


 その裏では、ひそひそと藤堂とアリアが会話を交わしていた。


「アレス……? アレスってあのアレス……?」


「……いや、恐らく違うでしょう。僧侶プリーストにアレスというのはありがちな名前ですから」


「あ、そうなんだ……」


 十人僧侶がいたら一人はアレスがいてもおかしくない、そういうレベルの名前である。俺は初めて両親にありがちな名前をつけてくれた事を感謝した。

 今まで黙っていたリミスが空気を読まず、退屈そうな声で言う。


「じゃースピカも見つかった事だし、こんな辛気臭い所さっさと出ましょう?」


「そ、そうだね……早くこんな所出よう!」


「それでは、名残惜しいですが共に進むのはここまでのようですね……。僕はこの地に巣食うアンデッドの王とやらを退治しなくてはならないので……」


 グレゴリオの言葉に思わず目を見開く。


 お? おお?

 予想外の言葉だ。本当に途中で合流しただけなのか。見えていた地雷が不発弾だったような気分だった。別れてしまえばどうとでもなる。

 アンデッド克服はまた別のフィールドでやる事にしよう。グレゴリオの方が余程危険だ。今は少しでも奴から距離を取りたい。

 拳を握りしめ息を潜める俺の耳に、しかしその時予想だにしない言葉が入ってきた。スピカの声だ。


「や……いや……もう少し」


「え……?」


「もう少し……その、ここにいたいというか何というか……」


 あ……あああああああああああッ!! スピカ、予定通りアンデッドが襲来するのを待つつもりかッ!?

 いやいや、いなくていいから。もう計画は失敗だから。

 そんな言葉も通信の魔法を使えない俺では届ける術がない。クソっ、やっぱりもう一人欲しいな、通信魔法使えるやつ……。さっさとステファン来てくれないものか……。


「い、いや、ここは危ないし、さっさと帰った方が……」


 藤堂が一度奇妙なひゃっくりをして、スピカを説得にかかる。今だけは俺も藤堂と同意見だった。


「いや……その……」


 そのありがたい提案に、スピカが必死に答える。


「私、危ないの、好きなので」


「え……ええッ!? ど、どうしてッ!?」


 もはや乾いた笑いしか出ない。

 本当にどうしてだよッ!? お前、その答えはないだろッ!? 危ないの好きって……。


「ふふふ、流石アレスさんが結界を掛けた子だ。勇敢ですね。もしかしたら同胞足りうるかもしれません」


 頓珍漢な回答にも、グレゴリオだけは戸惑う様子もない。危ないの好きな奴同士、何かシンパシーを感じているかもしれない。スピカはお前が考えているような奴じゃないからなッ!?

 もういいから、さっさと帰ってくんねーかな。


 リミスが無愛想な声で尋ねる。もう今の状況を打開出来るかどうかはリミスの空気の読まなさに掛っているといっても過言ではないだろう。頑張れ、リミス。


「……じゃー聞くけど、貴女はいつまでいたいの?」


「え……っと……あー……一時間……?」


「ええ!? 一時間も!?」


「そ、それはちょっと……」


 どっから来たんだ、一時間という数字は。

 藤堂が化け物でも見たかのような悲鳴に似た声を上げる。アリアの声も若干、震えていた。


「ふふふ……じゃー僕は少々、近くのアンデッドを浄化してきますね」


 グレゴリオが部屋から退出し、通路を歩いて行く。奴のアンデッドに対する感知能力は俺と何ら変わらない。

 迷いない足取りで俺が苦労してアンデッドを詰め込んだ部屋の前まで行くと、扉を開けた。

 開けたとほぼ同時に中で蠢いていたアンデッド達の気配が消失する。一瞬で、声一つ出さずに浄化したのだ。一瞬聞こえた含み笑いにも似た笑い声。


 今のうちに、接触するか……? いや、駄目だ。

 接触してしまえば、何故俺がここにいるのかという話になってしまう。まだ藤堂達が聖勇者だと気づかれてはいない。少しでもばれる可能性は減らしたい。少なくとも、藤堂が聖勇者たる男になるまで、アンデッドを克服する瞬間までは。


 グレゴリオの独り言が聞こえる。俺の隠れている部屋の前を通り過ぎる。

 幸い、まだ俺の場所はバレていないらしい。会いたくねえ。


「ふふふ……アレスさん、もしかしたらこのアンデッド達は僕へのプレゼントですか? ヴェールの森で僕の獲物を奪ったお詫びですかね?」


 そんなわけがない。常識で考えろ、この馬鹿野郎がッ!

 僅か数分で全ての部屋のアンデッドを浄化し、再びグレゴリオが鬼面騎士の間に戻る。


「浄化は終わりました。決まりましたか?」


「ええ……三十分だけ待つことにしたわ」


 折衷案が出たのか。

 三十分くらいだったらグレゴリオにばれる心配はないだろう。いや、ないと思いたい。この周辺にアンデッドはいないし、吸魔結界も既にない。よしんばアンデッドが近寄ってきたとしてもグレゴリオが即座に浄化するだろう。その腕前に疑いはない。

 一刻も早く時が過ぎるのを祈っていると、グレゴリオが言った。

 祭壇の前に立つ鬼面騎士の像を眺めているのだろう。


「しかし初めて来ましたが、この像――」


「あ、ああ……この地に祀られた神に関する像らしいが、詳細は不明との事だ」


 アリアがまた無駄な雑学を披露する。

 そして、グレゴリオがあっさりと言い放った。


「異教徒の奉った像です。破壊しましょう」


「え……ええッ!?」


「それもまた我々の仕事なんですよ」


 いやいやいや、そんな仕事ねーからッ!

 むしろ逆に他教を貶めないというのも教義にあるからッ!


「ちょ……」


 トランクの金具を開けるぱちんという小さな音。

 もうこうなっては止める者はいない。

 奴のトランクケースは全てが全て聖銀ミスリル製である。本人のレベルも70以上あったはずだ。石像を砕く事など容易い。

 頼むから何事も起こってくれるなよ。

 必死に祈る俺を他所に、部屋全体が僅かに振動したのを感じた。


「おやおや……?」


「ッ!? えッ!?」


「なッ――」


 巨大な気配が一つ増える。予想を尽く裏切る展開に俺はもう仕事を放り出して帰りたくなった。もちろん、そんな事許されない。てかもしかして、こう色々起こるのって藤堂じゃなくて俺が悪いのだろうか?


 ぱらぱらと破片の落ちる音。硬いもの同士のぶつかり合う轟音が部屋全体を通り抜ける。

 藤堂達の悲鳴が遅れて響き渡る。その悲鳴の中で、不思議とグレゴリオの声が聞こえた。


「ふふふ……異教の神……許しておけません。許せるわけがない。我が神の手でその罪、悔いる時間も与えません」


 通路全体が大きく揺れる。見えていないのに、俺には状況が手に取るようにわかった。


 鬼面騎士の像が――動いている。


 こいつ、触らぬ神に祟りなしという言葉を知らねーのかッ!

 死ねッ! 一人で死ねッ! なんで粗雑な傭兵も手を出さねーようなもんに手出してんだよッ! 死ねッ! 動くなよ!


 俺の悪態も他所に、グレゴリオが厳かな声で名乗りを上げた。


異端殲滅教会アウト・クルセイド、第三位、グレゴリオ・レギンズ。我が神に代わり、その罪、神の天秤にて計りましょう。ふふ、はは、あは、あはははははははははははははははははははっ!』

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