悲しみと癒しの狭間からの脱皮
テーマ:日記ではない
よーへいを感じてた。
あたしから感じようとした。
今回は、以前から見えてたこと、思い出してたことを余計に意識した時間だったよ。
よーへいがライブの仕事してるときに感じることって、いつも大事なことだよね。
あたしは…一度目の転生時から、苦しみをとても感じやすい者だったんだね。
感じやすい者になってしまった…のかもしれないとも思う。
あたしはゼウスの子供として生まれた。
思い出すことは曖昧なものもあるけど、あたしが物心ついた頃のゼウスは、いつも寂しそうに見えた。いつも苦しそうにも見えた。
一緒にいようと思った。
あたしはそんな過去世を、現世でも曾祖母を通して感じてきた。
よーへいとの過去世を、あたしはこの人生で思い出すためにもう一度経験したの。
苦しいことも、幸せだったことも。よーへい以外の人から。
その人達も過去世では濃い関わりのあった人達だった。
協力関係にあった人は代役や協力者として。
離れるべき人は離れることを思い出すために出逢い、ぶつかり合ったりもした。
ゼウスは大好きなお父さんだった。
寂しそうに見えた表情も、一緒にいるうちに温かく変わっていった。
あたしは現世でもそうだけれど、とても幼い頃から人の寂しさを感じとることが出来た。苦しさも敏感に感じた。
それはもうずっと前からだったのね。
思春期になって、あたしはゼウスに男女のする性的な行為を教わった。
父親の愛情も感じたけれど、関係を持つ頃には男性としての愛情も感じるようになってたのだと思う。
あの時代人間はとても獣的で、現代の性行為とは大きく異なるものだった。
ゼウスもアテナであるあたしも、元々特殊な能力は持っていたけれど、人間であることには変わりなかったから、勿論生身の性行為は人間と同じもの。
ただ時代が時代だったものだから、愛情を確かめ合うというものではなく、交尾に近いものが性行為だった。
だけどあたしが教わったものは温かな交わりで、心も体も癒され安らげるものだった。誰にも見せることないあたしを唯一知ってる人だった。
ゼウスはあたしの心とあたしとの時間を守るために、害になるような者をあたしから遠ざけて、自らは時に愚かな者を装い、あたしとの深い関係を隠し続けてくれた。
だけど一度だけ。
一度だけ、苦しさがあたしを襲った。
あたしは他の男性に犯された。
ただね、あの時代は犯されたとは言わない。
犯されたという考えは現代的。
獣に近い時代、交尾とはそういうもの。
だけど当時のあたしは、ゼウスとの温かな交わりが性行為の始まりだったために、望まないのに無理矢理されたという気持ちを生んでしまった。
考えや気持ちというのは、時に自分を凄く苦しめる。
交尾というものしか知らなかったなら、無理矢理とは思わなかったろう。
温かな交わりを知ったがために、犯されるというあり方も脳内で作られる。
現代では当たり前の考え方であるものでも、その時代その時代での全く異なったあり方のなかでは、存在しない、存在出来ない思考がある。
あの時代は強い男に女は乗りかえるし、使える女を男は求めたりもした。今とは全く違ってもいたから。
あたしを襲った人は、執着の強い人だった。
クレオパトラの時代にも兄弟として出逢い、現世でも出逢った。
本人は記憶がなく覚えていないけれど、あたしをずっと欲しがった人だった。あたしを幸せに出来るのは自分だとも思ってた人だった。
違うけど。
ゼウスとあたしの関係を知っていて、ゼウスはあたしを幸せに出来ないとも思ってた。
それも違うけど。
つーか!
こいつのせいで、あたしは苦労もしたんだっつーの!
一度目の時は仕方ない。事故と思ってやろう。
だが!
クレオパトラの時はしつけーんだよ!
弟なんかに生まれてきやがって!
現世でも何にも知らんあたしは、仲良く話なんかして、一緒にこの世界を変えれると思っちゃったんだから!(あたしバカすぎた。知らんのは怖い)
やっぱり嫌になったけど。
だってあたしに対して貫いたものを一度も見せてくれなかったからね。
そういう人は男女の関係なく無理。
それでもね、一度目のことは事故って思うよ。
だって時代が時代だったから。
たけどそれであたしは深く傷付いて、以降ゼウス以外の人との性行為はトラウマになってしまったし、男性の怖さを知って、苦しさを尚更感じてしまうようにもなった。
ゼウスはずっと寄り添ってくれた。
いつ頃からか覚えてないけれど、生身の性行為だけではなくて、体は離れていてもお互いのエネルギーを循環させる性的な交流もするようになった。
ゼウスは全ての世界の中心である存在。
あたしは自然が好きだけれど、自然も含めた物質世界そのものは、ゼウスから生み出されたもの。
神話の多くは違っているものの、ゼウスは本当に頂点に立つ存在だね。
あたしはそのゼウスに愛された存在だった。
ゼウスな神と言えば神。
創造主と言えば創造主。
見える世界…この物質世界では神話でしかないけれど、見えない世界では一番大きなエネルギーを持ってる。
ゼウスが自らの体を離れ、あたしと繋がることは当たり前のこと。
それくらいのことは当然出来る人。
あたしが拒みさえしなければ。
ゼウスとの性的な交わりは、この世界の性行為を遥かに越える。
その要素が無いわけではないけれど、全てを知るゼウスと、苦しみを感じやすいアテナにとっては、命綱そのものでもあったね。お互いの苦しさを取り払う大切なものでもあった。
あたしは傷ついて苦しかったから、いつもゼウスを求めてた。甘えてた。
それはどの過去世も同じ。
一人で生きた過去世以外はみんな同じ。
ゼウスとアテナ以降の過去世は、どれをとっても簡単に出逢えるものなんて無かった。
イザナギとイザナミは、見えない世界で性的な交流をするよーへいとあたしのことだね。
ツクヨミという神がいるけれど、あれは見えない世界の象徴として語られてるだけのもの。
アマテラスがこの物質世界だとしたなら、ツクヨミは見えない世界。そういうこと。
神話とは面白く語られていたりもするよ。
いいよ、よーへい。
あたしはどんな時代も、どんな時も、よーへいと性的な交流をしてた。それでいい。
一度目の過去世で襲われて、酷く傷ついたあたしを守ろうともして、性的な交流で繋がり続けてたことを隠しておいてくれてたのもあるかもだけど、そんなのもういい。
現代ではふしだら?
セックス依存症?
淫乱?
そんなのどーでもいい。
なんだっていいよ。
どう思われたってどうってことない。
ああそうさ。
今のライブでも性的なエネルギーの交流してたさー。
それがあたしなのよ。
わはは!
あ、開き直ってるわけじゃないよ。
別にいいの。
だって、あたしはあたしだから。
別になにも恥ずかしくないし、おかしいとも思わない。
よーへいといて、そんなことも含めていいって思ってるから。癒されるし幸せだと思ってるから。
不幸せならやだけどね。
幸せだから。
この命どう使おうか。
この命どう生きようか。
この命で何を感じようか。
誰かに何かを思われるからやらない生き方よりも、自分がこうだと思う生き方を貫きたい。
どんな時代も、どんな時も。
後悔という文字はあたしにはない。