| 2. 1951年4月7日付け米国草案では「独島=日本領」であったという主張に対する反論 1)日本側主張の内容 サンフランシスコ条約草案作成のための主要国間の協議が本格化した1951年3月、アメリカは個別の島の名前を全く明示しない対日平和条約暫定草案(提案用)を作成して極東委員会(FEC)の会員国と韓国、インドネシア、セイロン(Ceylon)等に配付した(注6)。合計22個の条文からなるこの草案は、次のとおり独島はもちろん済州島、鬱陵島などの島の名前も明示されない簡略化された条約草案だった。 1951年3月対日平和条約暫定草案(提案用)第3章(領土)第3項 3.日本は韓国、台湾及び澎湖島に対する全ての権利・権原・請求権を放棄する。(以下省略)(注7) アメリカとは違って、英国は、個別の島の領有権帰属を明確にして地図まで添付した1951年4月7日付草案を作成した。通常、「英国の3次草案」と呼ばれるこの草案では独島は韓国領土とされていた。ところが、保坂祐二は1951年4月7日付け米国草案で「独島は日本領」となっていると主張している(注8)。 この主張は全く根拠を確認できないだけでなく、当時の傾向とも合わない。キム・ビョンリョルも塚本孝から資料を提供されて、「対日講和条約のための米英討論」(1951.5.2)に関する分析で「当時まで米国側の草案では独島を日本の領土と、英国側の草案では韓国の領土としたが」(注9)と似たような主張をしたが、その根拠を提示しないのは同じだ。 (注6) 国史編纂委員会(2008) 「独島資料/アメリカ編」 p292 ; 1951年3月の対日平和条約暫定草案(提案用)は以下「1951年3月アメリカ草案」とする。 (注7) ChapterⅢTerritory 3.Japan renounces allrights,titles and claims to Korea,Formosa and Pescadores;[...]("Provisional Draft of a Japanese Peace Treaty(SuggestiveOnly),"(1951.3);国史編纂委員会(2008) 「独島資料/アメリカ編」 p293) (注8) 「その後、米国側は1951年4月7日付け草案で独島を再び日本領土と記載した。」(保坂祐二(2016) 「サンフランシスコ平和条約、韓日協定及び新海洋法と独島解決法」 『独島研究』第21号 嶺南大学独島研究所 p120);「その後、アメリカは独島を再び日本領土と記録した草案を発表した。そして英国を説得するために7次にかけて秘密会談を持った。」(保坂祐二(2016) 『独島、1500年の歴史』教保文庫 p59); 「ところが米国側は英国が第3次草案を作成したのと同日である1951年4月7日付け草案で独島を再び日本領土と記載した。」保坂祐二(2010) 『大韓民国 独島』 世宗大学独島総合研究所 p196) (注9) キム・ビョンリョル(1997) 『独島 : 独島資料総覧』 ダダメディア p482-485 2)当時の状況と合わない まず第一に、「1951年4月7日付け米国草案で独島が日本領になっている」ということは当時のアメリカの方針とも違って、その後のアメリカ・日本、アメリカ・英国間の交渉記録を見ても合わない。先に叙述した1951年3月アメリカ草案は、1951年4月25日から27日まで3日間あった英米会談でもそのまま使われた。これは「4.25- 27会談におけるアメリカ・英国の立場検討文書」(Check List of Positions Stated by U.S. and U.K. At April 25-27Meetings)によく現れている(注10)。 もし1951年4月7日付けアメリカ草案があったとすれば、当然、そのアメリカ草案を基準として検討したはずだが、1951年3月のアメリカ草案を持って検討したということは1951年4月7日付けアメリカ草案自体が存在しなかったことを意味する。また、その英米会談で英国は次のとおりアメリカ草案第3条で日本と韓国の間に島々を配置することが望ましいと主張した。英国は、具体的な言及によって日本と韓国の間に島々を配置することが望ましいことに言及した。これは、アメリカ草案3条において「韓国」の次に「済州島を含む」を入れれば良いのだ(注11)。 (注10) 国史編纂委員会(2008) 『独島資料/米国編』 pp344-347; この検討文書(Check List)は1951年3月米国草案と全く同じ22の条文ごとに検討されて、引用した句節も1951年3月米国草案の各条文における句節と一致する。 (注11) British mentioned desirability of disposing of islands betweenJapan and Korea by specific mention. (This might be done by inserting"(including Quelpart)" after "Korea" in U.S. Article 3.( 国史編纂委員会(2008) 『独島資料/米国編』 p344) 英国がこういう提案をしたのは、検討対象にした米国草案で日本と韓国の間にある島々の帰属が明確で無かったことを意味する。支離滅裂な1951年3月アメリカ草案を対象として検討したことを傍証することだ。保坂祐二の主張のように、もし1951年4月7日付けアメリカ草案が存在していて、その草案で「独島は日本領」となっているならば、英米間の4.25- 27会談ではその草案を基準として交渉をしたはずで、英国側からアメリカに対してこのような主張をすることは無かっただろう。 3) 根拠を探すことのできない主張 1951年4月7日付け米国草案で独島が日本領になっているということは、当時の状況と合わないだけでなく全く根拠資料を探すことのできない主張だ。1951年4月7日付けアメリカ草案は存在もしていない。同日の英国草案で「独島は韓国領」となっていただけだ。保坂祐二は論文でそういう主張をしたが、注釈でその根拠を明示しなかった。問題が提起されるとすぐに、言論等を通してイ・ソグの本『東アジアの領土紛争と国際法』(2007)がその根拠だと主張している(注12)。 (注12) 「ところで、1951年4月7日アメリカ草案は『東アジアの領土紛争と国際法』(イ・ソグ著 2007 集文堂 p176、pp.191-192)に出典と共に詳細に説明されています。私が出典を明らかにしなかったのは問題ですが、根拠は上の本です。」(「保坂祐二教授反駁文、"独島、韓国の領土 合う"」 《コリアヒストリータイムズ》 2017年7月8日付、http://m.koreahiti.com/news/articleView.html?idxno=2197, 2018.5.25閲覧); 「まず、この問題は私が2010年に『大韓民国、独島』という著書を書いた時、イ・ソグ教授の著書(2007)で‘1951年4月7日の米国草案で独島は日本領土と記載された’という部分をそのまま引用した。」 しかし、その本で記述された1951年4月7日付け草案は、アメリカ草案でなく同じ日の英国草案だ。1951年4月7日付け英国草案は第1条で領土問題を規定しているが、その原文は次のとおりだ。 Article 1. Japanese sovereignty shall continue over allthe islands and adjacent islets and rocks lying within an area bounded by aline from latitude 30°N in a north-westerly direction to[approximately latitude 33°N. 128°E. then northward between the islands of Quelpart, Fukue-Shimabearing north-easterly between Korea and the islands of Tsushima, continuing inthis direction with the islands of Oki-Retto to] the south-east and Take Shimato the north-west curving with the coast of Honshu, then .....([ ]と下線は筆者による)(注13) この1951年4月7日付け英国草案の原文で、大括弧の中は原文を引用するとき省略された部分だ。下線を引いた「Oki-Retto」(隠岐列島)という核心単語を省略して引用しながら、この草案で「独島は日本領」と記述されている(注14)。ところが、この1951年4月7日付け英国草案の原文で、大括弧[ ]の中の部分を省略しないで翻訳すれば次のようになる。 第1条 日本の主権は、北緯30度から北西方向に概略北緯33度、東経128度まで引き続き、済州島と福江島の間を北進して、北東に韓国と対馬の間を過ぎてこの方向に引き続き、隠岐列島を南東の側に、竹島(=独島)を北西の側に置いて進み、カーブして本州海岸に沿い、(中略)線によって区分される地域内にある全ての島々、隣接小島と岩礁に存続する。 (注13) イ・ソグ(2007) 『東アジアの領土紛争と国際法』 集文堂 p338 (注14) イ・ソグ(2007) 『東アジアの領土紛争と国際法』 集文堂 pp.176,pp.191-192 上のように、境界線が隠岐列島(Oki-Retto)と独島(Take Shima)の間を通るということだから、1951年4月7日付け英国草案では「独島は韓国領」というのが正しい解釈だ。つまり、翻訳に重大な誤りがある。これは<図1>の1951年4月7日付け英国草案付属地図を見ればより明確になる。 <図1> 1951年4月7日付け英国草案付属地図(ハングルは筆者による) (翻訳者注:ハングルの青字は「ドクト」、赤字は「隠岐列島」と書いてあります。) |
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