| サンフランシスコ対日平和条約に関連した日本側の主張とその批判 チョン・テマン(仁荷大学古朝鮮研究所) 嶺南大学独島研究所『独島研究』第24号(2018.6.30) p133 *この論文は、2014年大韓民国教育部と韓国研究財団の韓国学土台基礎研究支援事業の支援を受けて実行された研究である。(NRF-2014S1A5B4072398) <目次> 1.はじめに 2.1951年4月7日付米国草案で「独島=日本領」であったという主張に対する反論 3.1951年4月、アメリカが「独島=韓国領を避けるために」英国草案を日本に見せたという主張に対して 4.1951年8月、アメリカが「独島を日本に与えようとした」という主張に対する反論 5.サンフランシスコ条約を批准した国42ヶ国が「独島は日本領」を認めたという主張に対する反論 6.結び <国文抄録> 独島の領有権に関する国際法的な判断は、その判断の根拠になる歴史的事実が正確だということを前提とするものだ。もしその事実自体が歪曲・捏造されているならば、それに基づいた判断が無意味なことは自明だ。 ところが、サンフランシスコ条約に関しては事実と違ったり根拠を確認することができない主張が少なくない。ほとんど全てが日本側に有利なのだ。本論文は、このような日本側の主張に対する批判を通じて独島問題に関する歴史的真実を明らかにするものだ。 1951年のサンフランシスコ条約草案作成のための英米交渉の当時に米国草案では「独島は日本領」だったとか、1951年4月7日付け米国草案では「独島は日本領」となっているという主張は、いずれも根拠が確認されない主張だ。1951年4月に作成されたアメリカ草案というものは、存在自体が無い虚構の条約草案だ。歴史的な事実に対する歪曲といえる。 1951年4月下旬ごろ、米国と日本との間の交渉の過程でアメリカが「独島は韓国領」となっている英国草案を日本に提示して日本の意見を聞いたことがあるが、この事実に対しても歪曲されて解釈されている。アメリカが「独島は韓国領」を避けるためにそのようにしたという主張は、その当時に日本とアメリカが取った措置を考慮してみれば、日本に非常に偏向した非常識な解釈だ。日本が独島を韓国領土にした英国草案に対して何の異議も提起しなかった事実は、かえって日本が独島は韓国領土であることを黙認したと解釈することが論理的に妥当だ。 サンフランシスコ条約が確定した1951年8月に、アメリカが独島を日本に与えようとしたという主張も根拠がない。当時の状況から見ても、アメリカの立場は独島ノーコメント、日本の立場は事実上の独島領有権主張放棄であった。これはサンフランシスコ条約批准当時、日本政府が国会に提出して付属地図として使われた「日本領域参考図」と、サンフランシスコ条約発効の直後に毎日新聞社で製作した「日本領域図」によっても証明される。いずれの地図でも独島を韓国領土と表記している。もし当時にアメリカが独島を日本に与えようとして、独島が日本領になるとアメリカが日本に秘密裏に教えたとすれば、このような「日本領域参考図」を日本政府自らが製作しなかっただろう。日本の公信力ある新聞社が発刊したパンフレットの中表紙に「独島を韓国領として描いた地図」を掲載することもなかっただろう。 その真偽の有無をまともに確認もせずに日本側の資料を無分別に引用するのも、独島学界の大きな問題点の一つだ。国内の学者たちが、日本人が韓国人を嫌悪するよう扇動するために書いた本の独島の部分を引用して、サンフランシスコ条約を批准した国だけでなく、全世界が「独島は日本領」と認めたと主張するのは、その主張の妥当性は別に置いても、独島学界の弱点を赤裸々に表わすものだ。サンフランシスコ条約に関する全面的な再照明が必要な時点に来ている。 1. はじめに サンフランシスコ対日平和条約は前文と27個の条文で構成されている。前文では、同条約が「まだ解決されていない問題(questions still outstanding)を解決するためのもの」と明らかにしていて、領土問題は第2条で規定しているが、独島については言及されていない。サンフランシスコ条約が個別の島々の領有権帰属問題を明確に規定しなかったということは、条約締結のためのサンフランシスコ会議でアメリカ代表であるダレス(John Foster Dulles)も明らかにした。日本でもサンフランシスコ条約の二大特徴の一つとして、「内容が簡単で今後の解決を待つ問題が多い点」を挙げることもある(注1)。独島はもちろんのこと、千島列島周辺の島々に対する領有権帰属も分明にせず紛争の火種を残した。 これに伴い、条約の解釈によって判断する事項が多いにも関わらず、判断の根拠となる資料は多くなく、特に韓国政府の所蔵資料はより一層そうだ。なぜなら、韓国は条約締結の当事国ではなく、サンフランシスコ条約を締結した当時は国家存亡がかかった6.25韓国動乱(朝鮮戦争)の最中だったので、首都ソウルさえも何度も北韓の手中に落ちて釜山に臨時首都を置いているほどだったためだ。これはサンフランシスコ条約に関する研究を難しくして、したがってそれだけ歴史的事実の歪曲の素地も大きくなるのだ。 独島の領有権に関する国際法的な判断は、その判断の根拠となる歴史的事実が正確だということを前提とするものだ。もしその事実自体が歪曲・捏造されているならば、それに基づいた判断が無意味なことは自明なのだ。ところが、サンフランシスコ条約に関しては事実と違ったり根拠を確認することのできない主張が少なくない。ほとんど大部分が日本側に有利なのだ。(←翻訳者ひとり言:ふーん、そうなのか。)本論文は、このような日本側の主張に対する批判を通じてサンフランシスコ条約に関する歴史的真実を明らかにするものだ(注2)。 (注1) 「今回の対日平和条約の特徴は、第一に、既成事実の確認が多い点、二番目に、内容が簡単で今後の解決を待つ問題が多いという点であろう。」(毎日新聞社図書編集部編(1952) 『対日平和條約』 毎日新聞社 p66) (注2)本論文で「日本側主張」というのは、研究者の国籍に関係なく、争点事項に関して日本側に有利な主張をいうことを意味することにする。 サンフランシスコ条約に関する日本側主張の大きな柱は、まず、日本が放棄する領土に独島は含まれなかったということで、二番目はアメリカが独島を日本領土だと主張したということだ。どちらの主張も事実とは違って不適切な表現だが、国内でもこのような主張に同調する研究者が無くはないということは厳然たる現実だ。それにも拘わらず、このような国内研究者による、結果的に日本側に有利な、根拠が確認されない主張に対して、これを正すための批判的な先行研究は殆ど無いと言える。サンフランシスコ条約以外のことまで合わせて、ナ・ホンジュ(注3)、チョン・テマン(注4)、ユン・ソヨン(注5)等の研究成果があるだけだ。 学問的な研究という名の下に正当でない方法による事実と異なる主張さえも放置され、そこに学界の自浄努力が大きく欠如した結果として、これはかえって独島問題に対する学問的な研究を難しくする一要因になっている。(←翻訳者茶々:おお、何と素晴らしい御指摘。)国内の学者による日本側主張はサンフランシスコ条約の解釈に関連しても多数あるが、本論文では、あくまでも1951年以後のサンフランシスコ条約草案作成のための交渉から条約調印を経て批准に至るまでの、事実と違ったり根拠を確認することのできない日本側主張に限って調べることにする。 (注3)ナ・ホンジュ(2009年) 「日本学界のいわゆる"独島問題解決方案"と国内の一部反応に関する国際法的考察」『独島論叢』第4冊 独島調査研究学会 pp.51-73 (注4)チョン・テマン(2017) 「サンフランシスコ平和条約の文言的解釈」 『日本文化学報』第72集 韓日文化学会 (注5)ユン・ソヨン 「鬱陵島民洪在顕の島根県訪問(1898)と彼の人生に対する再検討」『独島研究』第20号 嶺南大学独島研究所 |
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