(続き)
上の「磯竹島略図」(図3)を見れば、中央の「松島」が独島で、左側の「磯竹島」が鬱陵島だ。図4の「磯竹島略図(模写図)」を見ればさらに明確に確認することができる。そして、地図を見れば磯竹島(鬱陵島)と松島(独島)、隠岐島の間の距離が表示されている。鬱陵島と独島間の距離が40里、独島と日本隠岐島間の距離が80里になっている。この地図で1里を1海里(1.852km)で算定して計算して見れば、実際の距離と相当な近似値を見せているのが分かる。地理的距離計算を通じて確認して見ても「外一島」は当然独島にならざるをえない。 「磯竹島略図」に明示された鬱陵島-独島-隠岐島間の距離をkmで換算すれば次のとおりだ。
・朝鮮東海から鬱陵島間の距離:50里×1.852km = 92.6km ・鬱陵島と独島間の距離:40里×1.852km = 74.08km≒ 87.4km(実際の距離)
・独島と隠岐島間の距離:80里×1.852km = 148.16km≒ 157.5km(実際の距離)
このような距離認識を基に、太政官指令の鬱陵島・独島に対する地理的認識は、図4に見るように竹島(鬱陵島)外一島(独島)を一つのセットとして見ていることが分かる。このような理由から、太政官は「鬱陵島・独島は本邦(日本)と関係なし」、すなわち朝鮮が領有している土地であることを心得よと強調したのだ。したがって、「外一島」は独島ではないとする日本のごり押し主張は説得力がない自己矛盾的な主張に過ぎない。 もう一つ、太政官指令で「本邦と関係無し」、すなわち鬱陵島と独島は日本の土地では無いとしたからといって独島が朝鮮の土地であることを認めるものではないという日本側の主張がある。しかし、これもまたごり押し主張にならざるを得ない。この主張は太政官指令の文字的表現だけを強調した主張であり、独島領有権に対する歴史的根源を見逃しているので説得力がない。すなわち、独島に対する領有権の根源が鬱陵島争界による韓日間の国境条約にあって、太政官指令が日本国内的にこれを継承しているという脈絡を見逃している。それだけでなく、この両者が現実的に相変らず効力を維持しているという点を考慮せずに文字的解釈だけを強調する誤りを犯している(注34)。 以上で見るように、「竹島外一島は本邦と関係ない」と確言した太政官指令と添付地図「磯竹島略図」を通じて、独島が歴史的・地理的に韓国の固有の領土であることを確認することができる。磯竹島略図で表記された朝鮮東海-鬱陵島-独島-隠岐島の間の地理的距離も現在の距離と数値的にほとんど一致しているので、「外一島=松島(独島)」という事実は否認することはできないファクトだ。併せて、「本邦と関係ない」という文面に対する歪曲された文言解釈で韓国の独島領有の事実を否認しようとする主張も妥当でないことを確認することができる。
5. 結び これまで、近代日本の代表的官撰史料である「朝鮮国交際始末内探書」、『竹島考証』、「太政官指令」を中心に、これら史料に現れた鬱陵島・独島認識を検討して見た。まず、「朝鮮国交際始末内探書」の第13項「竹島と松島が朝鮮の付属になった経緯」に対する検討を通じて、日本外務省が「鬱陵島(竹島)はもちろん、独島(松島)に関しても記録された書類がない」と認定していることから、鬱陵島と独島が一つのセットと認識されて、歴史的・地理的にも朝鮮の領土だったことを確認することができた。 次に、『竹島考証』で北沢正誠は色々な文献を通じて検討した結果、鬱陵島は朝鮮の土地という事実を確認して残念な心情でこれを認めている。しかし、北沢正誠は『竹島考証』で鬱陵島と独島を分離して、鬱陵島に対しては韓国の領有権を認めて独島に対しては日本の領有だと主張している。ところが『竹島考証』<下巻>に進むほど、すなわち1860年代以後、当時の日本が鬱陵島と独島の名称と地理的認識に対して非常に混乱していたことを見せている。これは鬱陵島と独島に対する日本の歴史的・地理的認識が非常に微弱だったことを見せてくれるものだ。このように島の名称も島の位置も正しく知ることができずに17世紀から自分たちの固有領土だったと強弁する日本の論理は、一考の価値もないと言える。 最後に、「太政官指令」に対する検討では、「竹島外一島は本邦と関係ない」と確言した太政官指令と添付地図「磯竹島略図」を通じて、独島が歴史的・地理的に韓国の固有の領土であることを確認することができた。磯竹島略図に表記された朝鮮東海-鬱陵島-独島-隠岐島間の地理的距離も現在の距離と数値的にほとんど一致しているので、「外一島」=松島(独島)は否認することができない事実である。 併せて、「本邦と関係ない」という文面に対する歪曲された文言解釈で韓国の独島領有の事実を否認しようとする主張も妥当ではないことを確認することができた。 17世紀末に2度にわたる安龍福の渡日によって触発された鬱陵島争界(独島一件)すなわち朝日間の領土紛争は「竹島渡海禁止令」で一段落し、竹島(鬱陵島)と松島(独島)が地理的、歴史的に韓国の固有領土であることを確認させてくれた。「鬱陵島争界」(竹島一件)によって「竹島渡海禁止令」(1696)が下された17世紀末から「太政官指令」(1877)が下された19世紀後半までの186年の間、日本は鬱陵島・独島を日本の領土と考えたことがなかった。この間、当然、日本は鬱陵島・独島の存在を認識することも認識する必要も無かった。 このような日本の立場は、19世紀末の鬱陵島・独島に対する名称混乱にもよく現れている。結局、近代日本の代表的官撰史料である「朝鮮国交際始末内探書」、『竹島考証』、「太政官指令」を検討してみても鬱陵島・独島が歴史的・地理的に韓国領土であることを確認できるし、17世紀中盤以来独島に対して実効的支配をして来たという日本の「固有領土論」は捏造された虚構的な主張だという事実がより一層明白になった。 (終り) 近代日本の官撰史料に現れた鬱陵島・独島認識の検討 ―『朝鮮国交際始末内探書』、『竹島考証』、『太政官指令』を中心にー イ・テウ/嶺南大学独島研究所研究教授 『独島研究』第24号 2018.06.30 p47 嶺南大学独島研究所 <コメント> この論文、いかがでしたでしょうか。まあ『独島研究』に載っている論文は大抵が話にならないものばかりですが、この文章はその度合いがひどいですね。単に自分に都合のいいことを並べているだけで、ひょっとしたら、自分が何を言っているのかも分かっていないのかも知れません。 ○既に「鬱陵島と独島」に対する距離計算を通じても地理的に朝鮮の領土であることを十分に認識していただろう。 ・・・・・・・この文章は磯竹島略図に書かれた距離関係の説明に続いて書いてありますね。イ・テウさんは、つまり、明治政府は江戸時代の一商人の手になる古記録で地理関係を判断したと言っているわけです。明治政府はもう少し堅実に仕事をする組織だったと思いますがね。だからこそ、即断をせずに「松島って一体何なんだ?」とあれこれ議論を繰り返したのです。 ○もう一つ、太政官指令で「本邦と関係無し」、すなわち鬱陵島と独島は日本の土地では無いとしたからといって独島が朝鮮の土地であることを認めるものではないという日本側の主張がある。しかし、これもまたごり押し主張にならざるを得ない。 ・・・・・・・太政官指令の文言は「本邦関係無し」ですが、その心は「朝鮮のものだから」というのはそのとおりです。しかしですね、ここがイ・テウさんが理解できないところなのだろうが、日本政府が「その島は朝鮮のもの」と思ったとして、それで実際にその島が朝鮮のものになるなんてわけないでしょ。実態として朝鮮のものであるかどうかはまた別の問題であって、それは韓国側が自ら立証しなければならないのですよ。 ○「竹島外一島は本邦と関係ない」と確言した太政官指令と添付地図「磯竹島略図」を通じて、独島が歴史的・地理的に韓国の固有の領土であることを確認することができる」 ・・・・・・・もともと大間違いの理解であって、太政官指令はアルゴノートとダジュレーを念頭に置いていたなんていうことはイ・テウさんには想像もつかないことだろうが、それを脇においたとしても、既にどこそこで言われていることだが、仮に太政官が今の竹島は日本と関係ないと判断したとして、それが何でその島が韓国の固有領土であることを確認することになるのか、一つ上のコメントと同じことで、この人は理屈が分かっていない。自分の国の領土であるか否かを日本政府の判断におまかせしていることになるのですよ。一体何を考えているのだろう。 ○17世紀中盤以来独島に対して実効的支配をして来たという日本の「固有領土論」 ・・・・・・・おやおや、日本政府はそんな主張はしていない、ということもイ・テウさんは理解できないのですね。日本政府は17世紀の松島(今の竹島)の利用実態が領有権を確立したと言っているだけであって、それは国際法以前のレベル、いわゆる歴史的な文脈において領有権の主張をしているのです。国際法上求められるところの実効支配を江戸時代からして来たなんて言っていませんからね。 日本政府は「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに日本固有の領土です」と言っていて、ここで「歴史的事実に照らしても」というのは17世紀に日本人が松島を利用していたという実態を意味し、「国際法上も」というのは1905年以降の国際法上有効な実効支配のことを意味しているわけですが、そのどちらにおいても朝鮮、韓国が竹島を支配した事実は無いから、全体を通じて「竹島は日本固有の領土」と言っていますね。固有領土論を批判したいなら、見当違いのことを言うのでなく、こういう論理のどこかを打ち破らなければならないのですよ。無理なことですけどね。 ○とにかく、領土問題を真面目に論ずる気があるのか疑わしい、ひどい論文です。 |
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言いたいことはChaamieyさんが大体言ってくれたので書き込むことが無いです。
ただ個人的に「17世紀中盤以来独島に対して実効的支配」というのは「effectivites」としての価値はあるだろう、と思っています。
もちろんそれの主題は「歴史的な領有権」であり、国際法的に権原を創設するようなものではなく、「相対的に大変に弱いeffectivites」程度だろうと思います。
2018/8/8(水) 午前 0:25 [ mam*to*o*1 ] 返信する
次は爆撃演習基地の件を投稿します。
2018/8/8(水) 午前 8:48 [ Chaamiey ] 返信する