| 上で北沢正誠が言及したいくつかの主張を検討してみよう。まず、彼は、鬱陵島が「空の土地だから行って住んだ。すなわち我が土地である。」という主張を広げている。このような主張は、空いた土地に行って住めば自分の土地になるという認識だ。それなら、主人がしばらく空けておいた家に泥棒が入って行って住めばその家は泥棒の家になるという論理が成立するわけだ。とんでもない主張に違いない。彼は、壬辰倭乱以後は朝鮮政府が「無人島政策」を通じて島を空けておいたので自分たちが占拠したのだし、これは『芝峰類説』にも出てくる言葉だと強弁している(注17)。 (注17)『竹島考証』 p31、p49参照 だが、これは彼が引用しているように「倭寇によって焼かれて略奪されて」生命と財産を奪われてとうてい生きられなくなった鬱陵島の住民たちをしばらく陸地へ刷還したものであり(刷還政策)、その後に朝鮮政府が持続的、定例的に「捜討官」を送って島を管理して来たのだ。結局、ありもしない朝鮮政府の「空島制」を前に出して日本人たちが空いている鬱陵島を占拠したという北沢正誠の歪曲された論理は「ウソの原因の誤り」を犯しているのだ。 このような彼のごり押し論理は、1905年に独島を不法的に編入する時使われた日本の「無主地先占論」を合理化する論理として利用されている。また、鬱陵島を朝鮮に返した「当時のことを考えれば独りでに大きなため息が出る」という言葉でも、帝国主義的領土拡張政策を繰り広げなければならないという彼の認識を確認することができる。結局、独島を不法で強制的に編入した日本の政策もこのような帝国主義的領土拡張政策の延長線上で行われたのだ。 問題は、独島に対する日本の認識と態度が今でも1905年の独島編入当時と違う点がないということだ。 『竹島考証』<下巻>では天保時代(1830年代)にあった日本人の「竹島渡海事件」と明治10年(1877年)ごろにあった「松島開拓願」をめぐる事件の経過を記述して、「松島」は朝鮮の鬱陵島で「竹島」は「松島」の北側にある小さい岩石だと結論を下している。この二つの事件を中心に近代期日本の鬱陵島・独島認識を検討している。 『竹島考証』<下巻>で扱っている「天保竹島一件」と呼ばれる事件は、1833年に島根県に住む八右衛門という船員が鬱陵島に密航して木を伐採して1836年に処刑された事件だ(注18)。 (注18) 八右衛門は浜田松原の出身で、1789年に運送業者清助の息子として生まれた。家業を受け継いだ彼は、1836年12月23日「渡海禁止令」を破って不法に朝鮮に渡海した罪で死刑にされた。彼は大阪に運送米を運ぶ過程で鬱陵島の航路を知ることになり、外国との貿易と渡航を国法で禁止した「渡海禁止令(1696)」を破って1880~1887年の8年間鬱陵島に渡って密貿易をした。 しかし、不法渡航が発覚するとすぐに「松島(独島)に行ったのだが漂流して鬱陵島に漂着した」と理由を挙げたが、幕府は八右衛門を死刑に処して不法渡海を幇助した藩主を始めとする役人たちを重罪に処した。幕府が八右衛門の話を信じないで厳しい刑罰を下したのは、鬱陵島・独島を朝鮮の領土と認定したためだった。この事件の後、幕府は全国に「竹島渡海禁止令(1837.2)」を下して各浦津に竹島渡海禁示令の布告文を掲げた。この布告文は、安龍福事件で下された第一次「竹島渡海禁止令(1696.1.28)」の後に鬱陵島・独島への渡航を禁止した第二次竹島渡海禁止令だった。以後、太政官指令文(1877)とその付属地図「磯竹島略図」でも知ることができるように、日本は19世紀末期まで独島を鬱陵島の付属島と認定して日本人たちの鬱陵島・独島渡航を禁止した。森須和男 キム・スヒ訳 「八右衛門と竹島渡海禁止令」 知性人2016 p5~6 <下巻>ではこの事件の経過を別紙第1号から第3号まで連座者の処分関連書類を提示して記述して、その後明治10年戸田敬義が「竹島渡海請願書」を提出する時まで日本人の中で竹島について語る者がいなかったということを記述している(注19)。 (注19) 『竹島考証』p260~293 まず、「天保竹島一件」と関連して、鬱陵島・独島の歴史的・地理的認識を確認できる重要な地図資料がある。この事件処理の過程で八右衛門の陳述調書である「竹島渡海一件記」が作成されたが、この時この文書に添付された「竹島方角図」で、鬱陵島と独島は朝鮮本土と同じ赤い色で、隠岐島と日本本土は黄色で色塗りされている。この地図でも見るように、当時の日本人たちは鬱陵島(竹島)と独島(松島)を一つのセットに含ませて朝鮮の領土として認識していたことをよく知ることができる。鬱陵島と独島が歴史的・地理的に新羅時代以後于山国のうちにあった二島と認識されて来たことを示す数多くの資料のうちの一つである。「八右衛門事件」は、以後1877年に明治政府が「鬱陵島と独島は日本と関係ない」という太政官指令を下すことになった主な資料として提供された。 図2 竹島方角図 八右衛門の鬱陵島渡航事件は現在の韓日両国の独島領有権研究で争点になっている。川上健三を始めとする日本島根県「竹島問題研究会」は、八右衛門が「松島(独島)へ渡航するという名目で竹島(鬱陵島)」へ渡って、「松島(独島)への渡航は何の問題も無かった」と主張して、当時鬱陵島に渡航した八右衛門と日本の官吏たちの認識は独島を日本領土と認識したものと主張した(注20)。 しかし、これはとんでもない主張だ。当時、日本の幕府が松島(独島)へ渡航したと陳述した八右衛門を始めとする関連者を死刑に処したり厳罰に処したのを見ても、「松島(独島)への渡航に何の問題も無かった」という「竹島問題研究会」の主張は、何とかして独島と連結の輪を作って見ようとする苦しい弁明にしか聞こえない。 (注20)森須和男 キム・スヒ訳 「八右衛門と竹島渡海禁止令」 知性人2016 p6~7 (続く) <コメント> ○ 「それなら、主人がしばらく空けておいた家に泥棒が入って行って住めばその家は泥棒の家になるという論理が成立するわけだ。とんでもない主張に違いない。」というのは韓国人がときどき用いる例えなのだが、鬱陵島に関しては江戸幕府が信義に基づいて朝鮮のものだという事実を認めて以来、日韓間で何の領土争いも起きていないのだから、一個人の考えに対する非難など何の意味も無い。だから無視してもいいのだが、しかし間違った非難だから反論してもいいだろう。 家というものは人間が作る人工物だ。だから、泥棒が入る家というものは明らかに泥棒とは別の他人の持ち物で、泥棒が居ついたからと言って所有権が移るわけではない。しかし、離れ小島というのは自然の造形物だ。だから、そこを誰かが支配管理している形跡が見えないならば、「自分が支配してもいいんだな」と考えても何の不思議もない。だいたい地球上の土地というものは、誰のものでもないところに先に住むようになった者がその土地を所有することになった。「空いている土地だからこれを自分のものにしよう」と考えることは「空き家に居つけば自分のものになる」ということにつながるのではない。 ○ イ・テウさんは、『竹島考証』<下巻>では「松島」は朝鮮の鬱陵島で「竹島」は「松島」の北側にある小さい岩石だと結論を下している、と理解しているようなのだが、これも間違いですね。 『竹島考証』の結論は次のような文章です。 「明治十三年、天城艦ノ松島ニ廻航スルニ及ビ、其地ニ至り測量シ、始テ松島ハ欝陵島ニシテ、其他竹島ナル者ハ一個ノ巖石タルニ過キサルヲ知リ、事始テ了然タリ。然ルトキハ今日ノ松島ハ卽チ元禄十二年称スル所ノ竹島ニシテ、古來我版圖外ノ地タルヤ知ルヘシ」 だから、「松島は朝鮮の鬱陵島」は合っていますが、「竹島は一個の岩石」ではないのですよ。『竹島考証』が探したのは、日本で「松島」、「竹島」と呼んで来た島の正体は何か、ということです。竹島については、文中にあるように「元禄の記録に出てくる竹島」つまり日本人が昔から竹島と呼んで来た島のことが問題だったのです。その結論として「今日ノ松島ハ卽チ元禄十二年称スル所ノ竹島ニシテ」と書いてあるので、つまり、「今、皆が松島と呼んでいる島は昔は竹島と呼んでいた島だったのだ」(松島と竹島は同じ島だったんだ)というのが結論なのです。「その他に現地で竹島と呼ばれる島があったがこれは一個の岩石だった」(竹嶼のこと)というのは補足的な情報に過ぎないもので、それが竹島考証が求めた竹島についての結論ではないのです。 まあ、竹島領有権論争において、だからどうだというほどの問題ではないかも知れないが、間違いは間違いです。 ○竹島方角図も韓国人たちが大好きな地図のようだが、松島を朝鮮国と同色に塗った意味は明らかにはなっていないので、何とも言えない。取り調べの陳述上で重要な地点を赤色で塗っただけかも知れないし、松島を朝鮮領と思ったからかも知れない。 ただし、松島を朝鮮領と思ったからだとしても、現実問題として松島が朝鮮領であったことは無いのだから、それは間違い表示であったということにしかならない。韓国人は日本における犯罪取り調べ調書の地図で独島韓国領が証明できると思っているらしいのだが。 ○「「八右衛門事件」は、以後1877年に明治政府が「鬱陵島と独島は日本と関係ない」という太政官指令を下すことになった主な資料として提供された。」とは何のことだろうか。太政官指令の一件書類「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」には八右衛門事件の説明は無いのだが。 ○「八右衛門の鬱陵島渡航事件は現在の韓日両国の独島領有権研究で争点になっている」とあるが、八右衛門事件(天保竹島一件)は別に竹島領有権論争の争点になるようなものではないですよ。松島の現実の領有権がどちらの国にあるかを示すものは何も出てこないのだから。ただ韓国人たちが資料を曲解して独島韓国領が分かるとかバカなことを言うから、日本側が「そうではありません」と教えてあげているだけです。まあ、竹島問題では韓国側が争点だと思っている項目の多くがそういうものなんだけど。 ○外務省の川上健三さんが島根県の竹島問題研究会のメンバーだったと理解しているような文章もあるが、何を言っているのだろうか。 ○「当時、日本の幕府が松島(独島)へ渡航したと陳述した八右衛門を始めとする関連者を死刑に処したり厳罰に処したのを見ても、「松島(独島)への渡航に何の問題も無かった」という「竹島問題研究会」の主張は、何とかして独島と連結の輪を作って見ようとする苦しい弁明にしか聞こえない」などとおっしゃるのだが、八右衛門事件の結果として出された幕府の高札も読んでいないのだろうか。 「今度松平周防守元領分石州濱田松原浦ニ罷在候無宿八右衛門竹嶋江渡海いたし候一件吟味之上右八右衛門外夫々厳科ニ被行候右島往古米子之者共渡海魚漁等致候得共元禄之度朝鮮国江御渡ニ相成候以来渡海停止被仰付候場所に有之都て異国渡海之儀は重き御制禁に候条向後右島之儀も同様相心得渡海致間敷候勿論国々之廻船等海上ニおゐて異国船に出会さる様乗筋等心かけ可申旨先年も相触候通弥相守以来は可成丈遠沖乗不致様乗廻可申候右之趣御料は御代官私領は領主地頭より浦方村町とも不洩様可触知候尤板札に認め高札場等ニ掛置可申もの也二月右之通可被相触候」 八右衛門は竹島(鬱陵島)に行ったことを咎められたのであり、民衆一般に対しても「いいか、竹島には行くなよ」と言っているのですよ。松島すなわち今の竹島のことなど一言も書かれていない。イ・テウさんの言うことこそ、何とかして独島と連結の輪を作って見ようとする見苦しい独善解釈にしか聞こえないですね。 |
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