| 4) 『高等小学新地理』(1893~1894) 岡村は、『高等小学新地理』の要旨を「人民の生活上で必須の事項を分かるようにして、また、歴史と関連することによって愛国の精神、尊王の気魄を養成」しようとすることに置いた。この本は『明治地誌』と同じ4巻だったが、1・2・4巻は日本地理で3巻は外国地理だ。1巻は郷土地理に続いて教えるので「総論」、「本島」、「四国島」、「九州島」、「蝦夷島」に分けて簡略に叙述され、2巻は1巻の項目の他に「地球概説」が追加され、4巻は日本地理を復習するために本邦の位置及び特性(「国柄」)、本邦の地勢、気候、外交などの主題別に簡潔に叙述している。特に地図の必要性を強調しながら、「非常に確実に調査、撰択し、鮮明に鏤刻印刷」して毎巻ごとに4~5個の地図を載せている(注53)。 『高等小学新地理』 1 では、総論で日本の名称、成立、位置、区画、地勢を簡単に叙述したので、隠岐は取り上げられなかった。「本土」の区画で「山陰道は6ヶ国、北陸道の西方……出雲・石見と沖中に遠く眺められる隠岐の島」と叙述されただけだ(注54)。しかし、岡村が力点を置いた4つの地図には隠岐表示されている。「大日本四島図」は日本とその周辺の朝鮮・満洲・樺太が描かれている。「大日本各道図」と「大日本各道各国図」は同じ形態で、左側に朝鮮・満洲・樺太が位置して右側に「千島諸島」、「小笠原島」の部分図がある。「大日本各道各国各府県図」は地図の大きさが若干大きくなって、左側が「千島諸島」、「琉球諸島」の部分図、右側が「小笠原島」の部分図で構成されている。これらの地図はその名称のとおり四島・道・国・府県をそれぞれ表示したものだが、朝鮮の東海岸側には隠岐があるだけで、鬱陵島と独島は日本領土と認識されなかったためなのか空間があるのに描かれていない(注55)。 (注53) 岡村増太郎 『高等小學新地理』 1 八尾新助 1893 「緖言」 p1∼2 ; 海後宗臣編纂「日本地理敎科書總目録」 『日本敎科書大系』 17(近代編 地理3) p522 (注54) 岡村増太郎 『高等小學新地理』 1 p5∼6 (注55) 岡村増太郎, 『高等小學新地理』 1 前の部分、p2∼3の間、 p6∼7の間、後ろの部分 地図 15「大日本四島圖」(『高等小學新地理』 1) 地図 16「大日本各道各國圖」(『高等小學新地理』 1) 地図 17「大日本各道各國各府縣圖」(『高等小學新地理』 1) 地図 18「大日本帝國現時の地圖」(『高等小學新地理』 2) 地図 19「本島之圖」(『高等小學新地理』 2) 地図 20「日本國海灣島嶼及海流之圖」(『高等小學新地理』 4) 『高等小学新地理』 2には、総論の「位置」として「日本海中に佐渡・隠岐の二島がある」と、本島の「位置」として「日本海にある二小島のうち、佐渡は北陸道に属して隠岐は山陰道に属する」とそれぞれ叙述された(注56)。この内容と対になって「大日本帝国現時の地図」と「本島之図」がある。前者の形態は「大日本各道各国各府県図」とほとんど似ているが、地図がもう少し大きくなって「南洋火山列島」の部分図と経緯度線が追加された。やはり、東海岸の側に鬱陵島と独島は描かれていない。後者は隠岐を含めて本土の領域が表示されたが、「小笠原群島」、「伊豆七島」の部分図が入っている。ここで独島の位置は「記号」の表でさえぎられた(注57)。 『高等小学新地理』 3の「亜細亜洲地図」は中国の国境線が無くなって各地域の山脈と地名がやや詳しく表示されただけで、『明治地誌』の「亜細亜」と形態がほとんど似ている。したがって、この地図にも海洋領域の斜線表示と日本の国境線が無く、鬱陵島と独島は描かれていない。しかし、『高等小学新地理』に載せられた他の地図と比較して調べれば、二島の所属の有無が自然に現れるはずだ(注58)。 日本の地理を主題別に再整理した『高等小学新地理』 4を見れば、「本邦の位置及び国柄」において、正南の小笠原島は熱帯中のマリアナ群島に近く、琉球の正南の諸島は台湾に接して、壱岐・対馬は朝鮮に、東北端である千島諸島は露領カムチャッカと対する。つまり、これらの島々はいずれも諸外国と最近の境界を成しているもので、相互の交流上最も必要だ」とし、その他の属島2千個余りのうち中に著名なものは525個だと叙述されたが、隠岐は取り上げられなかった。この内容と対になる「大日本帝国全図」は、鬱陵島と独島が表示されなかった「大日本帝国現時の地図」と全く同じなのだ(注59)。 (注56)岡村増太郎『高等小學新地理』 2 八尾新助 1894, p2、5 (注57)岡村増太郎『高等小學新地理』 2 p2∼3の間、 p4∼5の間 (注58)岡村増太郎『高等小學新地理』 3 八尾新助 1894 p12∼13の間 (注59)岡村増太郎『高等小學新地理』 4 八尾新助 1894 p3、p4∼5の間 続く「本邦の地勢」の「島嶼」の項目には、「小笠原群島から南南西の海に硫黄島と称する三小島がある。この島は1891年9月に私たちの版図に帰属したもので、無人島だが我が国の最南端は実にここにある。(北緯24度0分から25度30分に達する)……山陰道にも隠岐国の一島がある」と記されている。岡村は1891年に日本領土に編入された硫黄島を紹介するほど日本領土の変化状況に関心を持っていたが、隠岐と関連して独島に全く言及しなかったのだ(注60)。 これと対になる「日本国海湾島嶼及海流之図」は「大日本帝国全図」の形態と似ているが、左側上段にあった「千島諸島」、「琉球諸島」の部分図が右側下段に移されて「小笠原島」部分図はその左側に入り、「南洋火山列島」の部分図は抜けた。これによって東海岸側の全体が現れたが、鬱陵島と独島は描かれていない。また「外交」と対になった「大日本四近諸国及畿内八道之図」には東南アジアから太平洋と接する北アメリカまで描かれた全体地図の右側下段に朝鮮と日本の「畿内八道」部分図が入っているが、やはり鬱陵島と独島は表示されなかった(注61)。 参考だが、『高等小学新地理』の対になる小学校歴史教科書である『高等小学新歴史』 下巻1 には『高等小学新地理』2の「大日本帝国現時の地図」と題名と形態が同じ地図が載っている。ただ、この地図には本土と近い島々である「佐渡」、「対馬」などにはその所属する県に含まれているという事実を知らせる「県界」線が追加されているが、隠岐には島根県の管轄地域という「県界」線が引かれている。鬱陵島と独島はやはりその位置を表示できる空間があっても描かれていない(注62)。すなわち、岡村は小学校地理教科書だけでなく、歴史教科書においても独島が日本の領土に属していないことを明らかにしたのだ。 (注60) 岡村増太郎 『高等小學新地理』 4 八尾新助 p30∼31 (注61) 岡村増太郎 『高等小學新地理』 4 p44∼45の間、p144∼145の間。併せて、形態が同一の「山脈及火山脈之圖」、「土地高低河脈圖」、これらよりも少し大きい「大日本鐵道及航路圖」にも東海岸側に隠岐だけが描かれていて鬱陵島と独島は表示されていない。岡村増太郎 『高等小學新地理』 4p16∼17の間、 p20∼21の間、p106∼107の間 <コメント> うん、岡村さんは竹島を認知していないのだから、当然、それが日本の領土だと思っていたということはありません。そして、同時に、そもそもその存在自体を知らないのだから、ハン・チョルホさんが言うような「それが日本の領土に属していないことを明らかにした」ということもありません。それは不可能です。 |
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