| 2) 『尋常科用日本地理』(1891) 岡村は、1891~1894年の間に『尋常科用日本地理』(2巻)と『明治地誌』(4巻)、『高等小学新地理』(4巻)等を相次いで執筆した。1890年10月に新しく公布された「小学校令」に基づいて小学校は尋常小学校と高等小学校に区分された。尋常小学校では日本地理は選択科目であり、高等小学校では日本地理は必修課目である反面、外国地理は選択課程と定められた。続いて1891年11月に頒布された「小学校教則大綱」では「日本地理及び外国地理の大要を教えて人民の生活に関する重要な事項を理解させて、併せて愛国の精神を培養することを要旨とする」と規定された。地理教育の目標は愛国心を育てて国家に奉仕する人間を養成するところにある、と初めて明らかにしたのだ。このような状況で岡村が「小学校令」と「小学校教則大綱」によって尋常・高等小学校用にそれぞれ執筆した地理教科書が、つまり『尋常科用日本地理』と『明治地誌』、『高等小学新地理』だ(注37)。 (注37) 海後宗臣等編 「地理敎科書總解説」『日本敎科書大系 近代編』 17(地理 第3) p601 ;中村浩一『近代地理敎育の原流』 p173~175 ; 東京書籍株式会社社史編集委員会編『近代敎科書の変遷』 p156~157 まず、『尋常科用日本地理』は総説と日本地理で構成された。その体裁もやはり『新撰地誌』と異なって、日本地理では日本の位置と形状に続いて一畿八道を総括して概略的に叙述した後、道別ではなく山脈、沿海、都市、陸道及び水路、隣国など主題別に簡略に説明している。最後の項目である「隣国」は、『新撰地理』の「疆域」に該当する。要するに、『尋常科用日本地理』は『新撰地誌』(1・2巻)を体裁上、道別でなく主題別に再構成して内容を要約したものだった。 『尋常科用日本地理』 1 の「日本諸島の位置及び形状」は、文面を添削したり整えただけで『新撰地誌』の日本の「位置及び区画」とほとんど似ている。「私たちの日本は亜細亜洲の東部、太平洋の西北にあって、四大島と数多くの小島で成り立った島国だ」が「私たちの大日本帝国は四つの大島と数多くの小島で成り立つ」に変わり、「区画」の畿内八国を省略したまま「その他重要な島々」を簡略に数え上げたが隠岐は取り上げられなかった。「一畿八道」でも山陰道について「畿内及び東山・北陸二道の西側に横たわる。本州北岸の一帯で、8ヶ国に分かれる。」と、「隠岐は出雲の正面にある島国だ」と記されているだけだ(注38)。また、『尋常科用日本地理』 2の「沿海」や「陸道及び水路」、「隣国」でも隠岐は全く取り上げられなかったし、「政府及び地方庁」において島根県について「出雲一円、石見一円、隠岐一円」とだけ叙述された(注39)。このように、『尋常科用日本地理』の本文では独島は一度も言及されたことがない。 (注38)岡村増太郎『尋常科用日本地理』 1 文學社 1891 p17∼18、22∼23 (注39)岡村増太郎『尋常科用日本地理』 2 文學社 1891 p15 ところで、隠岐あるいは独島と関連して目を引くのは、「日本諸島の位置及び形状」の対になる「日本国全図」と「隣国」の対になる「日本諸島及隣国之地図」だ。まず「日本国全図」では国別に境界線が表示されて、経緯線の外に位置する「千島諸島図」、「琉球諸島図」、「小笠原島図」の部分図を始めとして「対馬」、「隠岐」、「佐渡」などの日本領土が描かれている。その反面、朝鮮の東海の方には鬱陵島と独島が表示されないまま空いた空間として残っている(注40)。この「日本国全図」は『新撰地誌』の「日本全図」(1887)と形態がほとんど似ている。 次に「日本諸島及隣国之地図」は、その名称で分かるように日本と近隣諸国である朝鮮、満洲、樺太、支那などの位置を描いている。この地図は、形態上で見れば『新撰地誌』の「日本総図」と似ている。海洋境界を示す斜線が消えた代わりに経緯線が追加されて、日本領土としての赤色の道別境界線と高地・低地の区別彩色がなくなり、外国領土である朝鮮、樺太、支那などに重要山脈を描き入れた点などが違うだけだ。日本領土は彩色されて、無彩色である朝鮮東海岸の方の二島は、位置上アルゴノート島と鬱陵島だが竹島と松島と見なされる点は同一だ(注41)。二島が竹島と松島だということは、岡村が『尋常科用日本地理』と対をなして執筆した『尋常小学校用日本歴史』の「現時大日本帝国全図」に「竹島」と「松島」という名前が書かれた点で確認される(注42)。 地図9 「日本国全図」(『尋常科用日本地理』1 ) 地図10 「日本諸島及隣国之地図」(『尋常科用日本地理』 2 ) このように竹島と松島の二島が日本領土だけを表示した「日本国全図」に描かれていなかった反面、朝鮮を始めとして近隣諸国を表示した「日本諸島及隣国之地図」に描かれた事実から推量して、二島は「日本総図」と同じように日本あるいは隠岐の海洋上の位置と境界を明確に表示するために描かれたことが分かる。これは、鬱陵島と独島を日本領土でなく朝鮮領土と見なした岡村の認識が堅持されていることをよく示す。 (注40) 岡村増太郎 『尋常科用日本地理』 1 p16∼17の間 (注41) 岡村増太郎 『尋常科用日本地理』 2 後ろの部分 (注42) 岡村増太郎 『尋常小學校用日本歴史』 上 成美堂 1891 前の部分 <コメント> 赤字部分、ちょっと面白いことが書いてありますね。地図10「日本諸島及隣国之地図」のことを解説してあるわけですが、ハイ、確かに朝鮮半島の東岸に二島が書いてあります。ハン・チョルホさんは、これがアルゴノートと鬱陵島であることを分かっているようでもあるのですが、「位置上アルゴノート島と鬱陵島だが竹島と松島と見なされる点は同一だ」と書いていまして、結局は、この二島はもともとの意味での竹島(鬱陵島)と松島(現竹島)のことをこういうふうに描いてあるのだと理解するわけです。決して、見たとおりアルゴノートと鬱陵島を描いてあるのだと素直に理解することはできないのです。経緯度線付きの地図なんですがね。 この地図はアルゴノートと鬱陵島を描いてそれらは朝鮮の区域内と考えているのに、それが何で「鬱陵島と独島を日本領土でなく朝鮮領土と見なした岡村の認識が堅持されていることをよく示す。」ということになるのか、全く意味不明です。もちろん鬱陵島についてはそれでいいですが、現竹島については岡村増太郎さんは何にも触れていません。 |
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