| 4. 岡村の日本領土内独島排除とその意味 1)『小学校用地誌』(1887) 岡村は『新撰地誌』に続いて、1887年、辻敬之と共同で『小学校用地誌』(4巻)を執筆した。検定教科書制初期の代表的な教科書の一つと指折り数えられる『小学校用地誌』も、やはり日本誌(1・2巻)と万国誌(3・4巻)で構成された(注29)。1・2巻は1887年9月29日に、3・4巻は1888年2月24日にそれぞれ「文部省検定制」を受けた。 『小学校用地誌』1 の「位置」のうち「大洲及び海洋の関係」では「東半球にあって、アジアの東部に位置する。東南は太平洋にして、西北を日本海とする。最北をオホーツク海とする」と叙述された。特に「諸島嶼の位置」では「四大島」に続いて「諸属島」について「四大島の周辺にもやはり数多くの島嶼がある。伊豆の東南に八[丈]島があり、その東南に小笠原島がある。南海道に淡路があり、大隅に種子・屋久などがある。肥後に天草がある。肥前に平戸・五島があり、その北に壱岐・対馬がある。西南に沖縄群島がある。西北海に隠岐・佐渡がある。北海道に千島がある。」と日本の国境の極端に位置した島々を数え上げた点が目につく(注30)。ここで日本西北海の端にある二島のうちの一つは隠岐であり、独島は議論されなかった。 (注29)海後宗臣等編「地理敎科書總解説」 『日本敎科書大系 近代編』17(地理 第3), p601 ;中村浩一 『近代地理敎育の原流』 p190、192 ; 東京書籍株式会社社史編集委員会 編 『近代敎科書の變遷』 p155 (注30)岡村増太郎・辻敬之 『小學校用地誌』 1 普及舎 1887 p2∼4 地図 7 「大日本全圖」(『小學校用地誌』1) 地図 8 「山陰道及山陽道地圖」(『小學校用地誌』2) これに対して対になる「大日本全図」では赤色の道別境界線が表示されて、本州・四国・九州・北海道の他に「千島諸島」、「琉球諸島」が別途の部分図として描いている。ただし、「諸属島」として叙述された日本国境の端にある島々のうち小笠原諸島は「琉球諸島」部分図に分けて描かれていないが、単純な錯誤なのかその理由は分からない。東海(「日本海」)の側には「対馬」、「隠岐」、「佐渡」が名前が書かれて描いているが、鬱陵島と独島はその位置に「千島諸島」部分図が載せられて表示されなかった。小笠原諸島が「琉球諸島」部分図によって表示されなかったのかも知れないので、とりあえずこの地図だけで鬱陵島と独島が日本領土と見なされなかったと確言することは難しいと考えられる(注31)。 (注31) 岡村増太郎・辻敬之 『小學校用地誌』1, 前の部分。参考として、『小學校用地誌』と 近い時期に辻が執筆した『小學地理敎科書』 1 にも同一の「大日本全圖」が載っている。辻敬之・西村正三郎『小學地理敎科書』 1 普及舎 1887 前の部分 『小学校用地誌』 2では、山陰道の「位置及び国名」において「東は畿内及び北陸道に接して、南は山陽道と境界を成し、北は日本海に臨む。丹波・丹後……隠岐の八国からなる」と、「国の大小」において「隠岐は日本海中の一小島で、本道中最小の国だ」とそれぞれ記述された。これの対となる「山陰道及山陽道地図」では赤色で国別の境界線が表示されたが、隠岐までが描かれているだけだ。このように山陰道に関する本文と地図には全て鬱陵島と独島は現れない(注32)。しかし、「東海道地図」と「西海道地図」、「北海道地図」などには経緯度外に位置した「小笠原島」、「八丈島」と「琉球諸島」、「千島群島」などがそれぞれ部分図として描かれている(注33)。このような事実から推し量って、岡村は「大日本全図」で抜けていた小笠原諸島を東海道に属する日本領土と把握した反面、鬱陵島と独島を山陰道の管轄に属する日本領土と認識していないことを覗き見ることができる。 だが、『小学校用地誌』 3の「亜細亜」地図には日本の国境線が引かれているが、『新撰地誌』の「亜細亜」と別に鬱陵島と独島の位置がその国境線中に含まれた(注34)。この地図は前に調べた「大日本全図」などと符合しないが、単純な錯誤なのかどうかを確認する方法がない。ただし、1877年日本政府レベルで太政官指令で竹島(鬱陵島)と松島(独島)を日本領土ではないと公式に明らかにしただけに、「亜細亜」の日本の国境線に二島が含まれたのはそれ自体が誤りであることが確実だ。これと関連して、矢津昌永が鬱陵島と独島を『中学万国地誌』の「亜細亜」では日本の国境線中に含めて、『中地理学外国誌用外国地図』の「亜細亜」でははっきりと除いた事実が示唆する点を投げかける(注35)。 矢津が最初は鬱陵島と独島を日本領土と思っていてその誤りに気付いて二島が日本領土に属しないと正したこと(注36)と違って岡村はその反対の場合だが、『小学校用地誌』の他の地図と比較すると鬱陵島と独島を日本国境線の内に表示したのは誤りだと判断される。これは、岡村が『小学校用地誌』以前だけでなく、以下で検討するその後に執筆した全ての地理教科書において本文に鬱陵島と独島を叙述したことも無く、地図に日本領土と見なして表示したことも無いためだ。
(注33) 岡村増太郎・辻敬之 『小學校用地誌』 1 p66~67の間 ; 2, p64~65の間、 p84~85の間 (注34) 岡村増太郎・辻敬之 『小學校用地誌』 3 普及舎 1887 p52~53の間 (注35) 矢津昌永 『中學萬國地誌』上巻 丸善 1896 p26~27の間 ; 『中地理學外國誌用 外國地圖』 丸善 1899第一図 (注36)ハン・チョルホ 「矢津昌永の日本地理教科書付図編纂と韓国独島認識」 韓国独立運動史研究所開所30周年記念第331回月例発表会発表文(2017.2.28)参照
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