| 日本明治期の岡村増太郎の地理教科書に現れた独島認識 ハン・チョルホ/東国大学歴史教育科教授 嶺南大学独島研究所『独島研究』第24号(2018.06.30) p7
1. はじめに 岡村増太郎は明治期の教育者であり教科書執筆者であった。彼は1875年10月に東京師範大学教小学師範学科を卒業し、1885年4月出版社普及舎が創刊した『教育時論』の初代編集者を引き受け、この年の9月、東京府師範大学教教育心得に移って1910年代初期まで師範学校教員と小学校校長を務めた。彼は教職に在職した間に地理を始めとして修身書、算術書、作文、歴史など非常に多方面にわたって教科書を著述した。その中でも『新撰地誌』(1886)、『明治地誌』(1892)などは日本の教科書検定時代の代表的な地理教科書と評価されるほど小学校地理の教育界に大きな影響力を及ぼした(注1)。 特に、これらの地理教科書に日本の領域を正確に知ることのできる多数の地図が含まれた事実は注目に値する。したがって、彼が地理教科書において日本領土の範疇をどのように設定したのかについての研究は、日本の初・中等教育界だけでなく日本文部省の独島認識を調べるにも重要な根拠を提供するだろう。 これまで、日本の明治期に発行された地理教科書と付図に対しては数多くの研究がなされてきた(注2)。また、日本の地理教科書と地図・付図に独島がどのように認識・叙述されたのかについての研究も少なくない(注3)。 それなのに、岡村の独島認識に対する研究は殆どない実情だ。ただ、ユン・ソヨンが『新撰地誌』巻1に掲載された「日本総図」を中心に詳細に分析した文、シム・ジョンボが『新撰地誌』の収録地図で鬱陵島と独島を朝鮮の領海に表現したと表に整理した文があるだけだ(注4)。特に、ユン・ソヨンは、この地図に朝鮮東海岸の側に描かれた二島には名前が書かれていないが鬱陵島と独島を象徴的に表示したもので、朝鮮の側に斜線が引かれた反面、隠岐も同じく名前は表記されていないが日本側で斜線が引かれている事実を根拠に、岡村は鬱陵島と独島を朝鮮領土と認識したと明らかにした。この斜線は間接的に領域を現わしていると解釈されたのだ。例え二島はその位置から正確に言えば鬱陵島と独島でなくアルゴノート島と鬱陵島だとしても、竹島と松島は朝鮮領土という認識が反映されている。 しかし、ユン・ソヨンは、『新撰地誌』 2と3にそれぞれ掲載された「日本全図」と「亜細亜」までは調べなかった。特に「亜細亜」の地図では沖縄から対馬島を経て北海道と千島列島を含む日本の国境線が鮮明に引かれているが、隠岐は日本の国境線の内に描かれているが、鬱陵島と独島は表示されてもおらず国境線ではっきりと除外されている(注5)。この本は「文部省検定済小学校教科書用書」として検定を受けた教科書だ。したがって、独島を日本領土から除外して日本の国境線を引いた「亜細亜」は、現在まで知られる「文部省検定制」を受けた地理教科書のうちで最も時期が早いという点でもその意義が大きい。 また、岡村は『新撰地誌』の他にも『小学地誌字引』(1882)、『小学校用地誌』(1887)、『尋常科用日本地理』(1891)、『明治地誌』(1892)、『高等小学新地理』(1893~1894)、『日本地理新問答』(1896)など各種の地名辞典と地理教科書を執筆したが、ここには独島の所属の有無を直接間接に覗き見ることのできる内容と地図が入っている。しかし、これら岡村の地理教科書はきちんと紹介されたり分析されなかった。一言でいうと、既存の研究は岡村が執筆した地理教科書全体を対象として彼の独島認識を一目瞭然に明らかにするところまで進めなかったという限界を持っている。 したがって、本稿では、岡村が執筆した小学校地理教科書に現れた日本領土と独島認識の変化の過程を総合的かつ緻密に調べようと思う。そのために、まず、彼が『小学地誌字引』の底本とした『小学地誌』を根拠として日本領土と隠岐の範疇をどのように認識したかを考察したい。次に、彼が最初に執筆した地理教科書である『新撰地誌』において独島を日本ではなく朝鮮の領土と認識した事実を明らかにして、そのような認識の下にその後執筆した地理教科書で独島を朝鮮領土と見なして日本領土から除外した事実とその意味を分析する。本稿が日本の独島に対する固有領土論と無主地先占論の虚構性を立証・批判するのに役立つことを期待する。
(注1)中村浩一『近代地理敎育の原流』 古今書院 1978 p190、192、197∼199; 東京書籍株式会社社史編集委員会編『近代敎科書の変遷―東京書籍七十年史―』 東京書籍株式会社1980 p155、157 ; ユン・ソヨン 「近代日本官撰地誌と地理教科書に現れた独島認識」『韓国独立運動史研究』 46 2013 p384∼386 (注2)倉澤剛『小学校の歴史』 ジャパンライブラリービューロー 1963 ; 海後宗臣 編纂 「所收敎科書解題」 『日本敎科書大系』15(近代編 地理1) ; 16(近代編 地理2) 講談社1965 ; 「地理敎科書総解説」 『日本敎科書大系』17(近代編 地理3) 講談社1966[海後宗臣、仲新 『近代日本敎科書総説 解説篇』 講談社 1969] ; 仲新 『明治の敎育』 至文堂1967 ; 文部省 『学制百年史』帝国地方行政学会 1972 ; 中山修一 『近・現代日本における地誌と地理敎育の展開』広島大学総合地誌研究資料センター 1997 ; 岡田俊裕 『近現代日本地理学思想史―個人史的研究―』 古今書院 1992 ; 『日本地理学史論―個人史的研究―』 古今書院 2000 ; 『地理学史―人物と論争―』 古今書院 2002 ; 『日本地理学人物事典 近代編1』 原書房 2011 ; 島津俊之 「明治前期の鄕土概念と鄕土地理敎育成」 『和歌山地理』25 2005 などを参照 (注3)ユン・ソヨン「日本明治時代の文献に現れた鬱陵島と独島認識」 『独島研究』 1 2005;「近代日本官撰地誌と地理教科書に現れた独島認識」 ;柳美林、チェ・ウンソク 「近代日本の地理誌に現れた鬱陵島・独島認識」 韓国海洋水産開発院2010 ;シム・ジョンボ 「近代韓国と日本の地理教科書に表現された独島関連内容の考察」 『独島研究』23 2017;ハン・チョルホ 「明治期山上万次郎の日本地理教科書、付図執筆と独島認識」 『図書文化』 50 2017 (注4)ユン・ソヨン 同論文(2013) p384~386 ;シム・ジョンボ 同論文 p440 (注5)岡村増太郎『新撰地誌』 3 文学社 1886 p15~16の間
<コメント> はい、「明治の教科書に竹島(独島)が書かれていないことで日本政府の竹島主張の虚構性を立証できる」という思いっきりの勘違い路線を周到な調査分析で疾走する、壮大なムダ論文なのですが、いろいろな教科書と地図の名前が多数出て来るので、一応全文翻訳しておきます。 内容は、教科書や地図の紹介それ自体はたぶん正確なのでしょうが、それに付された筆者の見解は、まあ「全て間違い」あるいは「全て無意味」です。 |
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