| (続き) 慶尚北道の保身主義 日本の「竹島の日」制定で騒がしかった2005年の8月15日は光復60周年を迎える日だった。この日が近付くと、慶尚北道は素早く韓国山岳会の領土標石と独島遭難漁民慰霊碑を修復して独島に設置する行事を開いた。そして3年が過ぎた2008年7月30日、独島に職員を送って彼らが修復した韓国山岳会の領土標石を撤去した。撤去理由は、この標石にアルファベットで「LIANCOURT」と書かれているということただ一つだった。 2008年7月、アメリカ議会図書館が独島を示す蔵書分類名称を「独島」から「リアンクール」に変えようとしていることが知られると、国内でこれを批判する世論が高くなった。この論難は、ブッシュ大統領が「無かったことにせよ」と指示することであっけなく整理された。 ところが、慶尚北道は、この論争のほこ先が2005年に韓国山岳会の領土標石を修復した自分たちに向かって来はしないかという心配から、韓国山岳会の標石を撤去した。そして、700万ウォンをかけて「LIAN COURT」の代わりに「DOKDO, KOREA」を刻んだ標石を作って2009年中に再び設置するという計画を立てた。 この時、慶尚北道は大きな間違いを一つ犯した。 この標石を壊そうとするなら、まず韓国山岳会の同意を得ることが必要だ。ところが、慶尚北道は、標石を壊した翌日(7月31日)、「標石文の中で LIANCOURTは国際紛争となる余地が憂慮されるから変更設置したいので、貴山岳会の意見を回答してほしい。」と言う内容の照会文を韓国山岳会に送った。先に標石を壊しておいて「意見を回答してほしい」と言う、先後が当たらない公文書を送ったのだ。 これについて、慶尚北道の担当官吏は、「公文書を送る前に韓国山岳会側と協議して、標石を撤去して新たに設置することに同意を受けた。御存知の通り官公庁では決裁を受けるのに時間が長くかかるから公文書発送が遅くなって、先に標石を撤去することになった。」と明かした。 韓国山岳会のチェ・ホンゴン会長は、最初の記者との電話取材では、「私たちは理事会を開いて同意した。韓国山岳会の英文は COREAN ALPINE CLUBだから、KOREA ALPINE ASSOCIATION も固有英文に変えたら良いという意見を送った。」と明らかにした。 韓国山岳会は理事会議事録を公開している。 記者は韓国山岳会の理事会議事録を皆探して見たが、どの議事録にも慶尚北道の標石撤去と変更に同意すると決議したり決定したりしたものは無かった。しかし、チェ会長が率いる韓国山岳会が慶尚北道の公文書に対して回答を送ったのは事実だった。韓国山岳会の回答には、チェ会長の言葉のように COREAN ALPINE CLUBに変えてくれと言う内容が書かれていた。慶尚北道側はこの回答を8月21日に受け付けたと明らかにした。 この時は、既に記者が『週刊東亜』を通じて、「慶尚北道が韓国山岳会の同意を得て、独島にある最初のハングル領土標石復元物を LIANCOURTと言う文字が刻まれているという理由一つだけで撤去した。」と報道した後だったから、韓国山岳会では論難が起きていた。すると、チェ会長が率いる韓国山岳会は、慶尚北道に「なぜ慶尚北道は私たちの同意も得ずに独島領土標石を撤去したのか。私たちは『週刊東亜』の記事を通じて慶尚北道が独島標石を撤去した事実を初めて知った。」と言う内容の公文書を9月29日付けで慶尚北道に送った。チェ会長側は、「DOKDO, KOREA」が書き込まれた標石を新たに製作することには同意したが既存の標石を撤去することには同意したことがない、と言葉遊びのような公文書を送ったのだ。 これに対して、慶尚北道の関係者は、「我々は、確かに韓国山岳会の口頭による同意を受けて 7月30日にこの標石を撤去した。」と主張している。 韓国山岳会と慶尚北道の争いは、「リアンクール」という単語のために起きた。「リアンクール」は国際海図に上がっている独島の名前であって、日本の名前ではない。1953年、韓国山岳会は、国際海図において「リアンクール」となっているのが韓国の独島だとしてこの標石を設置したのだが、彼らは逆に解釈してこの事態をもたらした。 独島領有権を強固にするためには、私たちは、独島を守って来た歴史を整理しなければならない。歴史は、良くできたことはもちろん、間違ったことも明らかにしておかなければならない。しかし、いくら考えても、1953年に韓国山岳会がリアンクールという単語が入ったハングル標石を設置したのは過ちではない。この標石には韓国で最初に独島を測量したという歴史的な背景が込められていたのに、保身主義から2008年の慶尚北道と韓国山岳会はこの標石を撤去した。 独島領有権問題に関連し我が社会が最も警戒しなければならないのは、独島ポピュリズムだ。問題になったからと言って経緯を良く調べずに歴史を破壊する国は、正しい道に進むことができない。 今からでも独島領有権の歴史を正しく建てなければならない。 ▼独島事件日誌 1945年8月15日 韓国、日本から光復 1946年6月22日 連合軍司令部、指令1033号でマッカーサーライン宣布 1947年8月20日 朝鮮山岳会、独島に上陸して領土杭を設置 1947年 9月 米軍、独島を米空軍機と海軍機の爆撃練習場に指定 1948年6月8日 米空軍 B-29 編隊の独島爆撃で韓国漁民14人死亡。以後、米軍独島爆撃演習は中断。 1948年8月15日 韓国、米軍政を終わらせて独立政府樹立 1950年6月8日 チョ・ジェチョン慶尚北道知事、独島に独島遭難漁民慰霊碑を建立 1950年6月25日 6・25戦争勃発 1950年6月28日 ソウル陥落。以後、釜山へ首都を移転 1950年9月15日 仁川上陸作戦成功 1950年9月28日 ソウルを回復して還都 1951年1月4日 ソウル再び陥落 1951年3月15日 ソウル再回復 1952年1月18日 李承晩大統領、平和線を宣言 1952年 2月 日 米行政協定締結 1952年4月28日 日本、米軍政を終わらせて独立 1952年5月23日 日本外務次官、衆院で独島を米軍演場として提供すると発言。 1952年6月末 日本公務員、独島に上陸して日本領土標柱を立てる 1952年9月17日 韓国山岳会、独島の調査のためにジンナム号で釜山出港 1952年9月22日 ジンナム号、独島近くで米軍機の独島爆撃を目撃して鬱陵島へ帰港 1953年2月27日 米軍、独島を今後は爆撃演習場として使わないと発表 1953年6月25日 日本の公務員、独島に上陸して四番目の日本領土標柱を立てる 1953年7月27日 6・25戦争停戦 1953年8月15日 韓国、ソウルを再び首都とする 1953年10月11日 韓国山岳会、独島調査のため海軍905艇に乗って釜山を出港、鬱陵島到着。 1953年10月13日 905艇、領土標石と鬱陵警察署長を乗せて独島へ出航、悪天候のため回航。日本巡視船「ながら」と遭遇 1953年10月14日 韓国山岳会、905艇で独島に上陸、各種の調査を実施 1953年10月15日 韓国山岳会、独島領土標石を設置して鬱陵島へ撤収 1953年10月16日 「ながら」艦の日本公務員、韓国山岳会の領土標石を撤去 1954年4月 独島義勇守備隊、独島に入り常在守護を開始 1954年10月22日 キム・ジョンウォン慶北警察局長の独島訪問の時、独島義勇守備隊ホ・ハクト隊員が墜落死。 1955年12月30日 独島義勇守備隊、独島防御を慶北警察に引き継ぎ。 1965年6月22日 日韓基本条約締結 1965年12月18日 日韓基本条約の発効により両国国交回復 2005年2月22日 日本島根県、「竹島の日」を制定 2005年8月15日 慶尚北道、韓国山岳会の領土標石と独島遭難漁民慰霊碑を復元 2008年7月30日 慶尚北道、LIANCOURTという単語があるとして韓国山岳会の領土標石を破壊 イ・ジョンフン/東亜日報出版局専門記者 [発掘公開] 1953年、独島を初めて測量したパク・ピョンジュ先生 [新東亜] 2009-01-23 (翻訳終わり) 無理だって分かって言ってんだろ? たださ、この記者が最後に「問題になったからと言って経緯を良く調べずに歴史を破壊する国は、正しい道に進むことができない」って言ってるのは評価してもいいぜ。ただし、それが対日関係でもそういうふうに考えることができるならば、って条件が付くけどな。 |
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