日韓近代史資料集

韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題

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(続き)
 これから翻訳・紹介するのは、その第2(1952)と第3(1953)の調査の様子を、測量班長であったパク・ビョンジュ(朴炳柱)という人の回顧を中心に書かれたものです。この記事をいつ、どういう経緯から検索して見つけたのか思い出せないのだが、ハードディスクにあったので機械翻訳にかけて見たところ面白かったので紹介します。
現在の竹島領有権争いの直接の参考になる話は特には出てこないと思いますが、しかし、いくつか「へえ~?」と思うような話があって、なかなか興味深い文章です。
 
 韓国側の竹島についての主張は不当なもので、韓国山岳会もその不当の片棒を担いだわけではありますが、それはそれとして、この話の主人公であるパク・ビョンジュという測量を専門とする教師の竹島測量にかけた熱意はなかなかのものだったようです。
 
また、この記事は文章も端正で、機械翻訳にかけた後に手を加える必要がある箇所はそんなに多くありませんでした。あまり感情的にならずに淡々と事実を書き連ねてあって、そのことが文章の説得力を高めているように感じます。竹島問題に関する韓国の研究者の下らない主張や韓国マスコミの感情的なニュース記事を見慣れた目には、新鮮に映る文章かも知れません。
 
 大変長いので、このブログでは56回にわたると思います。
 
 
 
 
 
[発掘公開] 1953年、独島を初めて測量したパク・ピョンジュ先生
 
[新東亜] 2009-01-23
 
イメージ 1
 ここ数ヶ月間、記者は『週刊東亜』を通じて、慶尚北道が修復した韓国山岳会の独島領土標石を慶尚北道が破壊してしまった事件の顛末を報道した。そして、この問題に関連して、慶尚北道はもちろん国民も知らなかった驚くべき事実が明らかとなった。慶尚北道が修復し、破壊してしまったこの標石は、韓日会談を控えた政府が独島の実態を知るために初めて独島を調査する過程で設置したものだった、という証拠と証言が出たのだ。
この事実は、当時に独島へ赴いたパク・ビョンジュ(朴炳柱、83歳、弘益大学工学部名誉教授、都市計画専攻) 先生が、20087月に国会独島資料室に寄贈した資料と彼の証言を通じて確認された。第ニ次世界大戦を起こして敗亡した日本が米軍政を受けた後、1952428日に独立したことはよく知られた事実だ。以後の日本は、今後は戦争をしない平和国家であることを証明するために、植民地にした韓国を相手として国交を回復するための会談を開いた。
 
  そうでありながらも、竹島は彼らの固有領土だと主張した。しかし、日本を対象に軍政を展開した連合軍最高司令部は、1946622日、指令第1033号によって日本の漁民と日本漁船の操業限界線を設定した。連合軍最高司令官の名をとって「マッカーサーライン」と呼ばれたこの線の中に独島は含まれなかった。この指令の第3項には「日本の船舶と乗務員は竹島の12海里以内に近付くことができない。」となっていたので、日本人たちは独島に近付くことができなかった。
 
 
 第ニ次世界大戦の直後、韓国も3年間米軍の軍政を受けた。しかし、韓国にあった米軍は独島に対して何の制約も加えなかったから、韓国漁民たちは独島の近隣海域で自由に操業した。このような現実に対して、日本の一部の識者層は「竹島は日本の領土」と主張したが、韓国人たちはアメリカが韓国の独島領有権を認めたものと理解し、ありがたく思った
  そういう中、第ニ次世界大戦体制を終わらせて平和体制に入って行くサンフランシスコ講和条約が締結された。この条約の発効日である1952428日にアメリカは日本に対する軍政を終わらせるから、それでマッカーサーラインの効力も喪失する。日本人たちは独島に上陸することができるようになったのだ
  これに李承晩大統領が対応策を用意した。日本独立の3ヶ月前である1952128日、日本漁船が絶対に越えて来てはいけない「平和線」(一名李承晩ライン)を宣言し、この線の中に独島を入れたのだ。このことによって、韓日会談が開かれれば独島は対日請求権などと共に熱い焦点になるしかなかった。独島を巡って攻防戦を行うためには、独島を知らなければならない。しかし、当時の韓国は釜山に首都を移していて、625戦争を経る中で独島の情報は全く無かった。
 
初めて領土標識を設置
  米軍政を受けていた時期、韓国は当代のエリートたちが集まっていた朝鮮山岳会を通じて独島領有権を明らかにしたことがあった。朝鮮山岳会の会員63人が朝鮮海岸警備隊が提供した軍艦『大田号』に乗って1947820日に独島に上陸し、漢字で「朝鮮慶尚北道鬱陵郡南面独島」と書いた木柱を立てて帰って来たのだ
 一年後に韓国は独立政府を立て、それから3年後に625という大きな戦争に直面した。戦争の初期にソウルを奪われた韓国は仁川上陸作戦でソウルを奪回して928日に還都したが、中共軍の参戦によって195114日にソウルを手放して再び釜山へと首都を移した。そして3ヶ月後の315日、韓国陸軍1師団がソウルを再回復したが近隣地域で攻防戦が続き、1953727日に休戦となるまで続けて釜山を首都とした。ソウルへ首都を再び移したのは1953 815日だった。
 
釜山を首都として戦争を経験していた時、独立日本は韓国の「後頭部」を殴りつけた。19526月、日本は水産庁と海上保安庁の職員を独島に上陸させ、操業中であった我が漁民たちを追い出し、「竹島は日本領土」と記した標柱を打ちこんで帰って行ったのだ。これを聞いて、鬱陵島では大騒ぎになった漁民たちは日本の領土標柱を抜いて、当時の鬱陵島で最も大きな政府機関であった鬱陵警察署の前に持って行き、対策準備を要求する座り込みを行った
 
 
(続く)
 
 
<コメント>
 「マッカーサーラインが失効すれば日本人が独島に上陸することができるようになる」という認識があったというわけですよねえ。何でそうなるの? つまりは韓国人たちも、竹島/独島は本来日本のものなのだと思っていたからではないのか。
 
 また、「朝鮮慶尚北道鬱陵郡南面独島と書いた木柱を立てて帰って来た」ことが「独島領有権を明らかにしたこと」だという発想は、どうにかならんもんかなあ。
 

閉じる コメント(5)

有難う御座います。
尖閣諸島など、我々も、色々な角度から学ぶべきかも知れませんし、
同時に、冷静に読まなければ、いけませんね。

2012/5/15(火) 午前 0:02 みぃにゃん 返信する

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「日本が米軍政を受けた」というのは事実に反します。朝鮮には軍政が敷かれましたが、日本は国家としての降伏が認められ、戦前から継続する国家による統治が続けられました。連合国の間接的な統治がおこなわれたのです。この点がドイツとの違いです。

ドイツはヒトラーの後継政権が認められず、降伏できませんでした。征服されたのです。ただ連合国はその領域を領有する考えはなく、米英仏ソ4国による軍政を敷いたのでした。

2012/5/15(火) 午後 5:17 [ Makoto ] 返信する

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韓国は連合国最高司令官総司令部訓令第677号(SCAPIN-677)および同第1033号(SCAPIN-1033)を持ち出しますが、占領軍には領土調整の権能はありません。こういう基本的なところを押さえずにあれこれ言ったところでまともな議論にならない当然のことでしょう。

なお、「SCAPIN-677で除外された領域の日本復帰には新たなSCAPINが必要なのであって、竹島にはそれがないから除外されたままだ」との主張があるようですが、SCAPINは特別の取り決めがない限り講和条約の発効に伴い失効するとの国際慣習がありますので、この論は成り立ちません。

2012/5/15(火) 午後 5:29 [ Makoto ] 返信する

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≫当時の韓国は釜山に首都を移していて、6・25戦争を経る中で独島の情報は全く無かった。

首都がどこにあろうと竹島を朝鮮領とした史料はない。出てくるのは朝鮮の版図外としていた事実ばかりだ。「独島=于山島」として歴史的権原を主張しようとしたものの、古文書は于山島とは鬱陵島の東沖合2kmほどのところに浮かぶ竹嶼(韓国名:竹島)のことと記録していた。

2012/5/20(日) 午後 6:41 [ Makoto ] 返信する

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彼等は、議論出来ない所は、全く関係無い事でも気にしないで埋めます。

要は、なんだか文章が出来ていて、うまく埋まって居て、尤もらしい立派な記述が並んでいると、大学の教授合格レベルなのです。

本当の能力を持った教師陣が持論の内容で土下座させられるので、大好きなノーベル賞が盗れない、あれ?取れない。

反日在日帰化人等と朝鮮半島出身犯罪者達を強制送還帰国させて、土下座させられた朝鮮半島教授陣等を御招待すれば、日本の現状レベルも改善されるでしょうけれどね。

2012/9/25(火) 午前 0:03 [ nao**_jp ] 返信する

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