| 張漢相『鬱陵島事蹟』(1694)と李奎遠 『鬱陵島検察日記』における「水宗」 このコメント欄の12/4/14 23:48あたりから 「水宗」は海洋上の境界を越えるときの儀式。 |
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| 張漢相『鬱陵島事蹟』(1694)と李奎遠 『鬱陵島検察日記』における「水宗」 このコメント欄の12/4/14 23:48あたりから 「水宗」は海洋上の境界を越えるときの儀式。 |
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開設日: 2006/7/17(月)
Chaamieyさま、連続投稿になりますが御容赦ください。
朴槿恵さんが頼った相手、崔順実が「シャーマン」だったかどうかはわかりませんが、それとは別に、韓国人が現在でも「風水」を重要視していることを示す記事がありました。
朝鮮日報の2016年10月30日の「純宗と大正天皇の陵に見る韓日の国運」という
キム・ドュギュ又石大学教養学部教授の論文です。
www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/10/28/2016102801666.html
www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/10/28/2016102801666_2.html
日本人には、ちょっとピンとこない内容です。1970年代に、朴正煕大統領が、あれほど迷信追放運動をして、無形文化財であった伝統行事さえも多く失われてしまった現代でもこうなのです。ですから李氏朝鮮時代は、宗教的感覚や儀式が極めて重要であったことが推察されます。竹島問題を解明する上でもそういった観点からの研究が必要になると思うのです。
2016/11/3(木) 午後 9:10 [ 小嶋日向守 ] 返信する
それは具体的には、水宗と阿明を祀る国家儀式というものです。先だって巨大掲示板の2ちゃんねるに以下のような応答のコメントがありました。それは私(小嶋日向守)が、ゲリーさんのブログサイトに書いた記事が元ということですので、こちらに紹介させて下さい。
mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1475180328/44-46
鬱陵島からさらに東に行くのは李氏朝鮮の国法に触れたという新しい視点の研究
101 : マンセー名無しさん2016/09/01(木) 16:49:25.55 ID:c1mEsS5i
朝鮮が海を越えて、鬱陵島に行くためには、「水宗」祭祀をしなければ、国法に触れるものだった。
1882年の鬱陵島検察の記録には、この祭祀を行った記述がはっきり残っている。
ここで、水宗祭祀というのは、東の海の龍王という神様に、生け贄や料理を捧げる儀式。鬱陵島からさらに92㎞も離れた現在の竹島に渡る能力のある船舶も航海術も無かった のだから、それ以上東には技術的にも行けなかったことは、ひとまず置くとしよう。
2016/11/3(木) 午後 9:15 [ 小嶋日向守 ] 返信する
鬱陵島を検察した記録には、それ以上遠くに航海した記録もなく、鬱陵島と竹島の間にある次の「水宗」を越えて良いという国王が出した「水宗牌」という神様のお札も持っていない。つまり、朝鮮の国家宗教が、鬱陵島から東へ航海することを禁じていたのである。
dokdo-or-takeshima.blogspot.jp/2014/03/1864-japanese-map-entitled-by-seiken.html
dokdo-or-takeshima.blogspot.jp/2015/06/1887-inspection-of-ulleungdo.html
dokdo-or-takeshima.blogspot.jp/2015/07/question-about-lee-gyu-wons-1882.html
dokdo-or-takeshima.blogspot.jp/2015/07/1882-may-9-lee-gyu-won-sails-around.html
2016/11/3(木) 午後 9:22 [ 小嶋日向守 ] 返信する
131 : マンセー名無しさん2016/09/04(日) 03:19:28.39 ID:8xwOtCYg
韓国は以前に、大谷家と村川家が、竹島(鬱陵島)渡海免許があったのは、外国だと認識してたからだろう、とか言いがかりをつけていた時期があった。だけど、朝鮮側にも鬱陵島に渡るには、国王が占いをやって作った水宗牌というお札を持たないと水宗をひとつ越えて鬱陵島に渡ることができなかったということだよね。
しかも、鬱陵島までが「東海」でその先の水宗を越える許可が出された例はなく、鬱陵島検察使の記録も、鬱陵島から東に行った記録もない。こりゃまたすごいブーメラン研究だな。
2016/11/3(木) 午後 9:25 [ 小嶋日向守 ] 返信する
160 : マンセー名無しさん2016/09/05(月) 19:04:07.20 ID:Lv2sLRi9
韓国政府としては、「韓国が独島(島根県竹島)に行った証拠を探しているところだ」ということを長年言い続けているわけだけど、これは一種の「悪魔の証明」であり、「いつか出てくるかも知れないということは、否定できないだろ」という逃げができてしまっていた。
しかし、その研究は、李氏朝鮮が国法と国家宗教の双方から、竹島には行くことができなかったことを証明することになるわけで、「悪魔の証明」を否定することが可能になる。これは凄い研究だよ。韓国側が史料写真を公開していないのも頷ける。
2016/11/3(木) 午後 9:28 [ 小嶋日向守 ] 返信する
124 : マンセー名無しさん2016/09/03(土) 00:50:27.19 ID:Fkl9P6Zl
その史料は韓国が隠蔽しようとしてるっぽいんだね。
古い文献に慣れた日本人には、画像と説明を読めばなるほどと納得できるけど日本人の論客たちがどう説明しても、ゲリー・ビーバーズ氏には理解できないらしい。
dokdo-or-takeshima.blogspot.jp/2015/07/1882-may-9-lee-gyu-won-sails-around.html
鬱陵島からさらに東に行くのは李氏朝鮮の国法に触れたという新しい視点の研究だからもっと注目されて研究が進展すると良いんだけど、英語も漢文も難しすぎちゃってwwww
46 : 2016/10/01(土) 16:31:00.05 ID:8xhwi29i
mint.2ch.net/test/read.cgi/korea/1472259399/109-110
2016/11/3(木) 午後 9:31 [ 小嶋日向守 ] 返信する
引用は以上です。
小嶋日向守が言及したかった要点を見事に突いてくれています。
しかし残念ながらあれ以降、解読はまったく進んでいません。興味を持って研究して下さる方が一人でも多く現れることを願ってやみません。
皆様ありがとうございました。
2016/11/3(木) 午後 9:38 [ 小嶋日向守 ] 返信する
管理人さんのコメント前ですが、これからは小嶋日向守さんの指摘するような視点での朝鮮側古文献の読み込みも大切かも知れませんね。日本(江戸時代)と同様、李氏朝鮮も鎖国をしていたわけですから国法に触れる境界線のようなものがあったはずです。先ず気になるのが、外交使節を称しての安龍福の2回目の来日とか、国禁に触れる犯罪ですよね(笑)。
2016/11/4(金) 午後 6:05 [ Gくん ] 返信する
>>朝鮮の国家宗教が、鬱陵島から東へ航海することを禁じていたのである。
朝鮮総督府が測量のために打ち込んだ杭を風水を乱すものなどという韓国には有効かも。
2016/12/24(土) 午後 1:42 [ Makoto ] 返信する
風水は、金正浩の地図にも大きな影響を与えているようです。
『青邱図』や『大東輿地図』を完成させた金正浩は、韓国では常に、日本の伊能忠敬に匹敵するかの如く進歩的なイメージで語られます。しかし独自の工夫とされる山脈の描き方の理由を考えなければなりません。それは、風水上重要とされる「地脈」の断絶を避けるために、連なる山筋の中央線を想定して、あのような描き方をしているのではないかという見方があるからです。元にした海東輿地圖の影響もあるでしょうが、拡大してみると、実際に山裾の形状ではなく山脈の芯となる筋が描かれています。この見方をすると、彼が地図を作製をした動機は、地形や海岸線を出来るだけ正しく描こうとしたのではなく、朝鮮の人々が生活する上で欠かせない「風水」を重要視したためということになるのです。
farm3.static.flickr.com/2133/1789995924_e536227134_o.jpg
青邱図の拡大 (鬱陵島を含む部分)
farm3.static.flickr.com/2230/1789154137_e8392930bd_o.jpg
2016/12/24(土) 午後 8:46 [ 小嶋日向守 ] 返信する
「地脈」の断絶を避けるため、という表現は分かり難かったので補足します。金正浩の地図を使って、墓などを作ろうとする場所の参考にする人が、「地脈」の断絶を避けるために利用するという意味です。青邱図の拡大を見てみると、「地形や海岸線を重視した地図」ではなく 「地脈と水脈の地図」であることがわかります。つまり酷な言い方をすれば「風水地図」に過ぎません。
キム・ドュギュ又石大学教養学部教授の言う、
「去八来八形」と「十字通気形」(子孫の繁栄をもたらす地)
「過竜」(地脈が流れていく中間地点)
「逆竜」(墓の前に小高い丘が聳える)
というような風水の診断に使える地図であるということです。
2016/12/24(土) 午後 9:09 [ 小嶋日向守 ] 返信する