| 開港期鬱島郡守の行跡 キム・ホドン/嶺南大学独島研究所研究教授 『独島研究』第19号 2015.12.20 p7 <国文抄録> 鬱陵島、独島を扱う本や論文の場合、独島領有権を考慮して鬱陵島の開拓史を肯定的に描き出して、初代郡守裵季周(ペ・ケジュ)と4代郡守沈興沢(シム・フンテク)の場合、肯定的に描き出している。 筆者は「開港期の歴史」は「失敗の歴史」と考えている。そのために高宗と純宗、大院君と閔妃(明成皇后)を否定的に見て、大韓帝国の朝廷の役人たちと鬱島郡守を肯定的ではなく否定的に見ている。 開港期の場合、鬱島郡守の行跡は限界が多かった。まず、鬱島郡守第1代裵季周、第2代姜泳禹(カン・ヨンウ)、第3代裵季周、第4代ク・ヨンス、第5代沈興沢、第6代シム・ヌンイク、第7代チョン・テフンは、史料から見れば独島に行ったことが無い。 1905年3月28日に島根県の官吏が道洞にある郡庁を訪問して沈興沢郡守に会い、「独島が今回日本の領地になったので、視察に来た」と言ったので、必ず所轄区域である独島に行かなければならない。しかし、資料上、沈興沢鬱島郡守の場合、独島に行ったことがない。また、沈興沢は、日本によって鬱陵島に二つの望楼が設置され竹邊と鬱陵島の間に海底電線を付設して連結したことを傍観し、沈興沢鬱島郡守は資料上、中央政府に報告していない。そして、新高号が鬱陵島に到着したことも中央政府に報告できなかった。 二番目に、前鬱島郡守と新任鬱島郡守の直接業務引き継ぎができなかった。初代郡守裵季周はチェ・ビョンニョンとチャンニョン号に便乗して本土へ逃走した。第2代鬱島郡守姜泳禹が1901年12月30日に鬱陵島に到着しても、直接の引き継ぎはできなかった。第3代郡守裵季周は1901年3月7日に鬱島郡守として任用されたが、1902年9月15日まで鬱島郡に赴任できなかった。第2代姜泳禹鬱島郡守と第3代裵季周鬱島郡守は直接の業務引き継ぎをできなかった。裵季周に関係する訴訟が1903年1月5日まで継続していたところ、1902年12月28日に第4代鬱島郡守沈興沢が任命された。裵季周と沈興沢は直接の業務引き継ぎをできなかった。ク・ヨンスは1907年6月26日付で第5代鬱島郡守に任命され、25日後の7月21日付で警務使に任命されているところから見れば、実際には赴任しなかったものと見られる。シム・ヌンイクは1907年8月に鬱島郡守に任命されたが、前郡守であった沈興沢は3月に横城郡長に任命されたので、直接の業務引き継ぎを受けなかっただろう。したがって、前郡守と新任郡守との直接業務引き継ぎが無かったから鬱陵島を把握することが遅れる。開港期の歴史は失敗の歴史だ。大韓帝国が任命した鬱島郡守は鬱陵島の業務を知らず、無能だった。そういう理由のために、現在の韓国と日本の間で独島を自らの領土だという。 <コメント> うん、今回、キム・ホドンさんはいいことを言った。歴代の鬱島郡守は誰も竹島(独島)へ行ったことがない。沈興沢などは日本人から面と向かって「このたび竹島(独島)が日本の領地になったので・・・・・」と言われても竹島(独島)へ行かなかった。 韓国内の常識によれば、竹島(独島)というものは、畏れ多くも大韓帝国皇帝陛下が勅令41号によって「石島」として大韓帝国の領土であることを国際的に宣言して鬱島郡守に管理するよう命じたものだそうだし、チョン・ヨンチョル独島博士殿によれば、「独島を含む于山国を服属させて1千年以上の期間を実効的に支配してきた大韓民国」、「豊富な海産物を採取して永い歳月生活を営んできた鬱陵島住民たちの生活根拠地だった独島」だそうですが、そんなに大事かつ日常的になじみのある島が日本の領土になったと聞かされたなら、郡守たるもの、すぐにその場で抗議したら、取るものも取りあえず(いや、「ここは大韓帝国江原道鬱島郡石島」、「日本人立ち入り禁止」とでも書いた標柱は持って行くべきだったろうか)竹島に急行しなければならないですね。でも、キム・ホドンさんもおっしゃるようにそんなことは全くなかった。その理由は、もちろん、竹島(独島)は「石島」でもなかったし、韓国の領土だというわけでもなかったからですね。 |
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「西暦6世紀から竹島を実効的支配をしていた」というのなら、当然一人くらいは官吏が竹島に行ったという記録があるはずですが…
そんな記録は提示できない、という事実を指摘できる韓国人はほとんどいません。
昔enjoykoreaで竹島談議をしていたところ、一人の韓国人が「私個人は知らないが、その記録はあるはずだ!そうでなければ韓国は竹島を韓国領土だと主張したりはしない!」と断言した人がいました。きっとそれが、韓国人の一般的認識なのだと思います。
2016/1/4(月) 午後 10:02 [ mam*to*o*1 ] 返信する
そうですか。その韓国人氏はわりと素直にものを考える人だったようですね。しかし、とにかく、東西二つに分かれた島の図面がただの一枚もないことが韓国側のウソを如実に証明しています。
2016/1/5(火) 午後 4:30 [ Chaamiey ] 返信する