| 「アシカ絶滅は日本のせい」は捏造…韓国の定説に韓国紙が異議、乱獲し精力剤にしたのは自国だ 下條正男・拓殖大教授 2016.7.4 産経WEST という記事がありますが、その元記事です。 OPINION 慶尚コラム 独島カンチ チョ・ヨンサム/東部本部部長 2016年6月13日 慶尚毎日新聞 独島は昔からカンチ(以下「アシカ」と翻訳する)の天国だった。数万頭が群れをなして独島で平和に過ごした真の独島の主人だった。しかし現在のアシカは絶滅した。大多数のマスコミと学界では、日本強占期に日本の漁師の乱獲で絶滅したと定説のように語っている。事実ではない。正さなければならない。韓日間の独島紛争が日増しに尖鋭化しているこの時に、私たちの恣意的な歴史記録は私たちにとってややもすると落とし穴になるおそれがある。 1945年の光復の後、1950年代初中盤に独島を守っていた独島義勇守備隊員の証言でも、当時はアシカが最小限700頭余りが生きていた。この事実はホン・スンチル独島義勇守備隊長の手記「独島は誰の土地なのか」にも正確に記録されている。李承晩大統領の特別指示で全数調査した結果という。 引き続いて1960年代に独島を守った警察関係者、漁民の証言でも、数百頭のアシカが棲息していたことを筆者は直接聞いたことがある。1970年代初期に独島の工事関係で出入りした鬱陵島住民チョン某氏も、当時は数百頭が生きていたといった。当時、アシカに対して無知だった私たちは、アシカの海狗腎と肉を得るために銃や網で捕獲し、さらに水の上に現れるアシカに向かって東島の頂上から機関砲で射撃練習もした。アシカを捕えてプルコギパーティーを開き、鬱陵島に持って来ることもあった。現在生存している住民キム某氏は、60年代に警察署長の要請で海狗腎を干して渡したら麦二俵ももらったという。独島義勇守備隊員も海狗腎を政府高官や軍の将軍に上納したと証言している。 独島からアシカが最終的に姿を消したのは、70年代初中盤と推定される。すなわち、アシカは日本人たちの大規模虐殺によって多くの犠牲があったが絶滅はしなかった。 日本人たちの大虐殺は私たちが主張しても、絶滅の主犯として責めては絶対いけない。 絶滅の原因を探して真実を語ることだけが、私たちの誤りを解消してアシカを私たちの手で二度と殺さない道だ。また、私たちが国際社会で「アシカの嘘つき」の烙印を押されてしまえば、独島紛争でも決して有利なことにならないためだ。国際社会も背を向けるだろう。 海獅子の一種であるアシカは、雄は普通体長2.5m、体重500㎏ほどで、途方もなく大きくてオットセイに似て一般の人々は見分け難い。朝鮮時代からカジ、カジェなどと呼ばれた。独島の古い名前もカジ島、カジェ島だ。今でも独島の西島にはアシカが上がってきて休んだり子を産んで育てた大きなカジェ岩、小さなカジェ岩、カジェ窟がそのまま残っている。 日本のアシカ虐殺は、旧韓末に日本島根県の水産業者中井養三郎がアシカ猟で大当たりして始まった。独島を日本領土として告示した1905年島根県の告示も、アシカの独占権を得るための中井の欲から始まった。アシカの革はシルクのように柔らかくて、高級カバンに作られてアシカ革のカバンがパリ博覧会で金賞を受けたこともあった。油から石鹸も作った。当時はアシカ一頭が牛10頭に値したという。最高の金儲けだった。これに対し、中井は、独島の漁業権を独占するために独島が「無主の無人島」と主張して日本領土に編入してほしいという請願をした。1905年、日本政府と島根県は独島を自国領土に含ませる島根県告示40号を宣言する。学名まで日本アシカ(Zalophus japonicus)として登録した。 日本は、独島を編入した後中井養三郎にアシカの独占権を与えた。それで中井養三郎は漁猟会社を立てて独島で1904年から1956年にかけてアシカ16,614頭を捕まえて行った。光復以後にも独島に入って来てアシカを捕えて行ったというのが中井の公式記録だ。 公式記録がこの程度だから、より多くのアシカが虐殺されたものと見られる。1950年代に独島への漁に出た鬱陵島漁民も、日本人たちのアシカ猟をはっきりと目撃したと証言した。その時は春に来て革だけ持って行き肉は捨てたという。6.25戦乱(朝鮮戦争)の機会を利用して日本の独島蹂躪は公然と強行されたのだ。これに対し憤激したホン・スンチルを始めとする鬱陵島の青年たちが集まって独島義勇守備隊を組織して独島の死守に入ったのだった。 海洋水産部が独島アシカの復元に乗り出している。意欲は高く評価するが手順が明らかに違う。アシカの絶滅についての原因から正確に究明しなければならない。筆者は以前に、日本のある海辺に以前は見られなかった「オットセイの群れ」が現れたという話を聞いたことがある。 60年代から黄金漁場である独島に全国から集まった網漁とイカ漁船の集魚灯などによる生態系の攪乱と、アシカが現れれば漁船周辺の魚が逃げてしまうために漁民たちの集団アシカ圧迫などが、アシカを他郷に移住させたのではないかと筆者は推定している。どこであろうと私たちの独島アシカが生きていることを切に祈っている。 視点を変えて、原因から捜し出さなければならない。本当に絶滅したのか、そうでなければ他の領域へ移住したのか、明らかにしなければならない。独島のアシカが移住したかも知れない日本、ロシア側のアシカに対して遺伝子分析もしてみる必要がある。原因糾明はアシカ復元事業の端緒であり、成功の近道であり、国際社会に堂々とこの事業の正当性をいうことができる。独島領有権強化事業の核心であり、この時代に私たちが必ずしなければならないことだ。 |
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下條先生の記事は面白く拝見していましたが、もとネタを探してくださり、ありがとうございました。
竹島のあしかの話は『竹島問題100問100答』Q11にも出ています。
2016/7/6(水) 午前 7:35 [ matsu ] 返信する
matsuさん、どうも、です。これは記録しておいたほうがいいでしょうからね。
慶尚北道の反論はこれでした。
http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/56303739.html
2016/7/6(水) 午後 11:15 [ Chaamiey ] 返信する
この反論では
>韓国では日本のようにアシカを捕獲して革や油として使った例は一切ない。
と言っているのが、実態は以下のようであったことがわかったわけですね。
「私たちは、アシカの海狗腎と肉を得るために銃や網で捕獲し、さらに水の上に現れるアシカに向かって東島の頂上から機関砲で射撃練習もした。アシカを捕えてプルコギパーティーを開き、鬱陵島に持って来ることもあった。現在生存している住民キム某氏は、60年代に警察署長の要請で海狗腎を干して渡したら麦二俵ももらったという。独島義勇守備隊員も海狗腎を政府高官や軍の将軍に上納したと証言している。」
なまなましいねえ。
御紹介、本当にありがとうございました。
2016/7/7(木) 午前 11:35 [ matsu ] 返信する