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2019-05-28

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

『生きているのはなぜだろう。』という本が出て、
 あちこちから感想が聞こえはじめています。
 制作中からぼくらが想像していたとおり、
 「わからない」という感想はとても多いです。
 想像があたったと、自慢したいのではありません。
 「わからない」という感想がたくさん出るだろうけど、
 この絵本は出そうねと、ぼくらは決めていました。
 「わからない」と言われることは、出版社にとって、
 とても怖いことではあります。
 つまり、「わからない」ものは売れない、と、
 どうしても思われるからです。

 でも、ちょっと、もうひとつ思うんです。
 「わからない」ものを、ぼく自身もさんざん買ってます。
 わかると思って買った本も、わからない場合があります。
 映画だって、わからないけどおもしろかったりします。
 先日、『くまのプーさん』をあらためて読みましたが、
 これはもう、日本語がものすごく高度でした。
 こども向けの形式で書かれていますが、
 大人でなければ、「わからない」だらけなはずですよ。
 でも、こどもたちも『くまのプーさん』が好きです。

 『生きているのはなぜだろう。』に関しては、
 こども、ほぼみんな…だろうな、わからないでしょう。
 でも、この本に描かれている「わからない」は、
 いつかまたページを開くことになったとき、
 「あああ、わかったかもしれない!」と言いそうな、
 ものすごく長持ちしそうな「わからない」なのです。
 もともとが、池谷先生が東京大学の新入生に向けた
 最初の授業『なぜわたしたちはここにいるのか?』で
 講義されることが、この本のもとになっています。
 東京大学の新入生でも、そのときにわかったかどうか、
 ちょっとわからないことです。
 でも、「なんだかへんな感動がある」と言われるらしい。
 その「へんな感動」と「わからない」は両立するのです。
 一冊の絵本でそれができるとしたら、最高です。
 で、そういう本ができてしまったのでした。
 「わからない」と、どれだけ言われたとしても、
 この本を出して、みんなに問いかけてみました。
 読んでわからなくても、いつか、また読んでみてね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「生きてるだけでまるもうけ」と、よく似てる本ですよね。


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