インドのマックにホームレスがいない理由 | インドで猫と暮らすには

インドで猫と暮らすには

もしも願いがひとつだけかなうなら
私の手にも肉球が欲しい


テーマ:
<マクドナルド店、ホームレスお断りの貼り紙撤回>

東京都八王子市明神町の「マクドナルド京王八王子店」が10月27日まで、店内にホームレスの利用を断る旨を記した貼り紙を掲示し、インターネット上で批判を受けて撤回していたことが分かった。

日本マクドナルド(新宿区)などによると、貼り紙には「当店の利用にそぐわない(不衛生、ホームレス等)と判断した方」の利用を断る旨が記されていた。少なくとも1年以上前から貼られていたが、詳しい時期や経緯は不明という。

インターネット上に写真が投稿されるなどして批判を受けたため、同店は27日に貼り紙をはがし、28日、「客席にて大声で騒ぐ、寝る、不衛生等、他のお客様のご迷惑になると判断した場合」と表現を改めて貼り直した。

同社の広報担当者は「ご利用いただいた皆様に快適にお過ごしいただきたいとの趣旨だが、ホームレスという言葉は不要だった。誤解を招く不適切な表現で申し訳ない」としている。

(2013年11月1日10時01分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131101-OYT1T00010.htm?from=ylist


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


いろいろと考えさせられる事件である。

このニュースを聞いてまず最初に思ったのは、
「この貼り紙を作った人は、あまり頭の良くない人だったんだろうな」
ということである。

頭が良ければ「ホームレス」という直接的な物言いはせずに、「不衛生な人」とか「臭いのきつい方」といった表現に留めておいて、

「遠回しな言い方してますけど、アレですよアレ、ああいう人たちのことですよ。ね、わかるでしょ?」

もしくは、

「そうそう、あなたのことですよ。うちはあなたみたいな人お断りなんですから、空気読んで帰ってくださいよ」

というふうに、読む人の想像力に委ねたはずである。

「浮浪者」は差別的だが、「ホームレス」なら片仮名だから、文句は言われないだろう。

ここの店長は、そう判断したのだろうか。


次に思ったのは、
「ムンバイだったら、こういうことはまず起こらないだろうな」
ということである。

もちろん、「ムンバイにホームレスがいないから」ではない。
見ない日はないと言っていいくらい、そこら中に浮浪者がいる。

また、「マクドナルドにホームレスがいても誰も気にしないから」でもない。
何度かマックに行ったことはあるが、皆それなりに小ぎれいな身なりをしていて、浮浪者らしき人は見たことがない。

ではなぜ、ムンバイのマックには、ホームレスがいないのか。

それはおそらく、「入口でドアマンに排除されているから」である。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


ムンバイでは、一流ホテルや高級レストランはもちろんのこと、我々からすると特に高級ではないところ(マック、ケンタッキー、スタバなど)においても、入口にはたいていドアマンが配置されている。

彼らの仕事は文字通り「ドアを開け閉めすること」で、お客が来たらドアを開け、帰る時にもドアを開け、というのを一日中繰り返している。

初めてインドに来た外国人の中には、
「なんという人件費の無駄なんだろう。自動ドアにすればいいのに」
と思う人も多いだろう(事実、私もそう思った)。

しかし、これは憶測でしかないのだが、おそらく彼らは暗黙のうちに、「この店に入るべきではない人」を排除しているのである。

外国人は、もちろん入れる。
身なりがきれいなインド人も、もちろん入れる。

しかし、明らかに「社会的階層が違う人」が、もし店に入ろうとやって来たら、おそらく何かしら理由を付けて追い返すのだろう。

(「この店で食事しようと思ったら最低でも○ルピーかかりますけど、大丈夫ですか?」とか、「店が混んでいますので」とか、あるいはもっとシンプルに、「あなたのような人は入れません」とか。)

というかそもそも、生まれた時から階層社会で育った彼らは、自分の「行くべき場所」と「行ってはいけない場所」をある程度認識しているだろうから、ホームレスがマックに入ろうとすることなど、まずないのだろうが。

「排除」されなかった私たちは、エアコンの効いた店内で、ハンバーガーとポテトとコーラを享受する。そして、
「インドって物乞いが多くて危ないところかと思ってたけど、案外そうでもないね」とうそぶく。

店を出てからもずっと車で移動すれば、物乞いの姿を目にすることさえないかもしれない。

お金があればあるほど、むき出しの現実から身を遠ざけることができるのである。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


そう考えると、ある意味では東京よりムンバイの方が暮らしやすいのかもしれない。

東京では、深夜営業のマックやファミレスで、ホームレスの姿を目にすることが少なからずある。

直接目にしなくても、「ホームレスお断り」という紙が店内に貼ってあったら、
「ああ、そういう人がこの辺にはうろうろしてるんだな」
と認識せざるを得ない。

また、貼った方は貼った方で、その写真がツイッターで広まれば、「差別だ」「不平等だ」と言い立てられ、攻撃の矢面に立たされる。

せっかく「不快な」現実を排除して、「快適な」店内環境を作ろうとしただけなのに。


一方ムンバイにおいては、社会的階層の上位にいる限り、「不快な」現実を直視しなくて済む。

東京よりはるかに安い値段で、おいしい食事や快適なショッピングを楽しむことができるし、エアコン付きの車で移動すれば、信号待ちの時に物乞いから金銭をねだられることもない。
(車の窓をノックしてくる人もいるが、窓を開けずにやり過ごせば良いのである。)

それでいて日本に帰れば、「インドで働いてるなんてすごいね」「たくましいね」と褒められる。

それを当然のこととして受け入れられるのなら、これほど幸福なことはないだろう。


しかし、快適なマックの入口には、その快適さを守るドアマンがいる。

そのドアマンに排除された人々が、道路に座り込んで物乞いをしている。

「そのような人々がいることを、忘れてはならない」

などと言うつもりはない。

毎日目にしているのだから、忘れられるはずがない。

Sさんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります