NHKスペシャル「運慶と快慶 新発見!幻の傑作」…盟友の二人がなぜ決別?謎を解くカギは仏像内部に隠されていた
出典:『NHKスペシャル「運慶と快慶 新発見!幻の傑作」』の番組情報(EPGから引用)
NHKスペシャル「運慶と快慶 新発見!幻の傑作」[字]
日本の美に迫るスクープ!仁王像で名高い天才仏師、運慶と快慶の「幻の傑作」を発見!興奮の調査に完全密着。盟友の二人がなぜ決別?謎を解くカギは仏像内部に隠されていた
詳細情報
番組内容
日本の美の革命に迫るスクープドキュメント!東大寺仁王像で名高い天才仏師、運慶と快慶の「幻の傑作」を発見!知的興奮に満ちた調査プロジェクトに完全密着。謎の生涯を解くカギは仏像内部に隠されていた。最先端の透視技術が見つけ出した膨大な古文書や秘宝が物語るのは、盟友ふたりの決別のドラマ。激動の時代、異なる道を歩んだ運慶と快慶は、究極の美を求めて競い合った。本格的なドラマを交え、二人の天才の波乱の人生を描く
出演者
【出演】多摩美術大学教授…青木淳,清泉女子大学教授…山本勉,浄土門主・知恩院門跡…伊藤唯真,美術院工房長…八坂寿史,仏師…吉水快聞,【ドラマ出演】青木崇高,芳賀勇一,池内万作,中島広稀ほか
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日本の美術史に
新たなページを加えるスクープです。
♬~
奈良 東大寺にそびえる仁王像。
それを阿吽の呼吸で作り上げた
二人の天才仏師。
最新の科学調査によって 二人の
幻の傑作が 次々と発見されたのです。
私たちは その世紀の発見を
密着取材で記録しました。
うわ~ うわ~。
出た~! やった~!
運慶仏の新発見! 四天王像。
同じく新発見!
快慶作 阿弥陀如来像。
二人の晩年の傑作です。
しかし 不思議なことに
若き日に 二人が作った仁王像は
どちらも同じような作風なのに
新発見の仏像では 全く違っていたのです。
一体 なぜなのか?
謎を解くカギは 仏像の中にありました。
次々と見つかる 不思議な品々。
運慶仏の中には 将軍 源 頼朝の歯と毛。
快慶ゆかりの仏像の中からは
庶民が名を連ねた名簿録。
その数 実に5万人以上。
こうした新たな発見から
謎に満ちた運慶と快慶の生涯を
ひもといていきます。
貴族の世から 武士の世へ。
激動の時代を生きた 運慶と快慶。
戦乱の中 二人は決別。
全く異なる人生を
歩むことになったのです。
(運慶)うわ~!
800年の時を超えよみがえる 幻の傑作。
運慶と快慶 二人の天才に迫ります。
♬~
アメリカ・ニューヨーク。
新たに見つかった運慶の仏像が
オークションに出品されました。
落札額は およそ13億円。
仏像彫刻として
過去最高額でした。
世界でも高く評価される 運慶と快慶。
運慶作と確認された31体は
全て 国宝や重要文化財です。
快慶作63体も 傑作ぞろい。
しかし ほかにも
まだまだ眠っているのではないか。
知られざる二人の作品を見つけようと
各地で調査が進んでいます。
運慶が仏像を修復したことが知られる
京都の寺 東寺の展覧会。
ここに並ぶ仏像の一つも
展覧会を機に調査の対象になりました。
兜跋毘沙門天像 その足元。
修復の際 運慶が加えたと見られる
3つの像です。
去年12月 科学的な調査が行われました。
研究者たちは
まず 像の表情に注目。
運慶作の別の仏像と比較したところ
ふくよかな頬や にらむ目元が
よく似ています。
運慶作の期待が高まります。
今度は 木材の種類を調べます。
運慶がよく用いた ヒノキではないか。
最新のCTスキャンで
木目や年輪を調べました。
その結果…。
運慶がよく使った
針葉樹のヒノキではないと分かりました。
運慶の作品ではないと
結論が下されました。
天才仏師として名高い運慶と快慶ですが
その生涯は謎に包まれています。
運慶の姿として伝わるのは この像だけ。
生まれた年さえ 分かっていません。
快慶の肖像は 一切残っていません。
僧侶でもあったので 自分が彫った
こんな姿だったかもしれません。
僅かに残る史料から 運慶は
奈良の仏像工房の跡取りだったと判明。
その工房の仏師の一人として
快慶の名もありました。
時は平安時代の末期。
おい 型に合わせて彫るだけではいかん。
頭の中に動きを思い浮かべて彫れ。
はっ。
代われ。
運慶は 躍動感ある仏像を彫る
工房の若きリーダー。
快慶は その並外れた技術に
皆が一目置く存在。
運慶の盟友にしてライバルだったと
考えられています。
(快慶)運慶様。
うん…。 いい音だ。
快慶の知られざる作品は
どこに眠っているのか。
快慶研究の第一人者 青木 淳教授です。
快慶作かもしれない仏像の情報をつかみ
調査にやって来ました。
小さな寺に眠っていたという
阿弥陀如来像。
まず 姿形の特徴を調べます。
流れるような衣のひだ。
そして 優しげな目元や
ギュッと結んだ口元。
快慶仏の特徴を備えています。
今度は 小型のX線装置で
仏像の内部を透視します。
すると…。
古文書と見られる影。
巻物がほどけて広がったようです。
台座から仏像を外して
更に調査したところ…。
足の下に 文字の跡。
ほかの快慶仏に書かれた
快慶の署名と照合します。
特徴が一致。
間違いなく快慶仏だと判定されました。
これまで 寺の片隅に埋もれていた
阿弥陀如来像。
幸い保存状態がよく
全身が金色に輝いていました。
快慶作として 64体目。
天才仏師の知られざる名品が
800年の時を経て
ついに発見されたのです。
去年 300年ぶりに再建されました。
ここで新たな運慶仏を調査する
プロジェクトが動き出しました。
長く別人の作品とされてきた
4体の四天王像。
躍動感ある作風から
運慶作かもしれないという声が
専門家の間で高まっていました。
運慶研究の第一人者 山本 勉教授。
数々の運慶仏の発見に
立ち会ってきた山本教授は
四天王像のポーズに
まず注目しました。
別の運慶仏と比べると
腰のひねりや片足を一歩踏み出す姿が
とてもよく似ています。
更に手がかりを求め
運慶の時代の興福寺を描いた絵図を
調べました。
すると 境内の北円堂というお堂に
そっくりな四天王像が描かれていました。
記録によれば
北円堂の仏像は 全て運慶の作品。
今回調査する四天王像は
そこから移された運慶仏ではないか。
現在 北円堂に残る運慶の作品は 3体。
四天王像が この3体と同じ頃
運慶が作ったものならば
何か共通する特徴が見つかるはず。
研究者たちが注目したのは
木材の種類でした。
北円堂の仏像に運慶が使ったのは
極めて珍しいカツラの木。
もし 四天王像も
カツラで作られていたら
運慶が作った仏像である可能性が
一気に高まります。
研究チームは
科学的な調査を開始しました。
四天王像から採取された
1ミリに満たない木片。
超高精細の8K顕微鏡カメラで
カツラかどうか 内部の組織を調べます。
その時…。
見えたのは 木が水を吸い上げる管 道管。
カツラの特徴を備えていました。
四天王像の材料は
カツラの木だと判明しました。
この結果を受けて 山本教授は
四天王像が 間違いなく運慶仏だと
結論を下しました。
運慶作と判明した四天王像。
31体しかなかった運慶仏が
一気に4体も増える大発見です。
運慶が晩年に作ったという 四天王像。
老いても衰えることのないエネルギーを
感じさせる傑作です。
ところで お気付きでしょうか。
新発見の運慶仏と快慶仏を比べると
若き日の 阿吽の呼吸のように
息の合った作風は影を潜め
晩年の二人は
全くかけ離れた作風に変わっています。
力強い運慶と 穏やかな快慶。
その違いは
なぜ生まれたのか。
二人の人生を
振り返ってみましょう。
12世紀末 平安の貴族の世から
鎌倉の武士の世に変わろうとする頃…。
平 清盛率いる平氏と
源 頼朝率いる源氏が激突。
平氏の軍勢が 運慶 快慶の工房があった
奈良へ攻め入り 火を放ちます。
大変でございます!
どうした!?
平家の武士どもが攻め入ってきました!
何やと!? どこや?
あ~ あっち!
どこや!
歴史ある東大寺や興福寺が火の海になり
3, 000を超す僧侶や民が
犠牲になったといわれます。
運慶 快慶が手本にした仏像も寺も
灰となって消えました。
あ~っ!
戦乱の世の苦しみを 身をもって知った
若き日の運慶と快慶。
戦いを憂う運慶は
その後の人生を左右する
大きな選択を行います。
愛知の寺の運慶仏から
その決断の証しが見つかりました。
運び込まれる 小型のX線装置。
各地で仏像の内部調査を行う
青木教授のチームです。
運慶作の帝釈天像を透視しました。
この運慶仏の足元に
マッチ箱ほどの影を発見しました。
隣の仏像でも X線で
同じような影が見つかっています。
中身は何なのか。
寺の古い記録をひもとくと
納められているのは 毛と歯。
鎌倉右大将のものと記されている
この人物は…。
源 頼朝。 源平合戦に勝利し
鎌倉幕府を開いた将軍です。
運慶仏の中から見つかった
頼朝の形見と目される品。
これこそ 運慶の大きな選択
鎌倉武士との接近を物語る
証しです。
運慶は 戦いの世を終わらせるには
強い武士の力が必要と
考えたのかもしれません。
運慶殿が お越しになりました。
そちが運慶か。
はっ。
もうじき この世は変わる。
わしが この戦乱を終わらせ
新たな世が訪れる。
運慶。
はっ。
新たな世のための仏像を彫らぬか?
はっ。
時の権力者 頼朝と
勢いを増す武士たちに近づいた運慶。
ある大きな国家プロジェクトを
任されます。
戦乱で焼け落ちた 奈良の復興。
そのシンボル 東大寺南大門の仁王像。
運慶 快慶の
代表作になる仕事です。
阿形と吽形 2体の巨大な仁王像。
浮き上がる血管 たくましい筋肉
武士を思わせる力強い姿。
近年の研究から 運慶と快慶が まさに
阿吽の呼吸で制作に挑んだことが
明らかになってきました。
仁王さんの 矧ぎ線図というのを
お見せしましょう。
仏師の八坂寿史さんは
平成の解体修復を手がけ
その後も 研究を続けています。
驚いたのは 仁王像の構造でした。
平成の解体修復を記録した貴重な映像。
8メートルを超す巨大な仁王像が
実は 無数の小さなパーツから
作られていたことが
明らかになりました。
八坂さんたちが
パーツを 1つずつ数えたところ
2体合わせて なんと 6, 102個。
工房の仏師総動員で 手分けして
作っていたことが分かりました。
運慶率いる総勢20人以上の仏師が
仁王像の制作に取りかかりました。
いいか。
部分ではない。 全体を考えろ。
仁王像全体を考え 感じることが
大切なんや。 な?
心をひとつに。 いいか?
(一同)はい。
全体を取りしきる
総監督だったという運慶。
その右腕となったのが 盟友の快慶でした。
チームで臨んだ仁王像の制作。
膨大なパーツを 一つ一つ組み合わせ
高さ 8メートルの巨大な像を
形にしていきます。
作り始めてから ここまで およそ2週間。
早くも 仁王像が姿を現しました。
しかし 運慶が飽くなき執念を見せたのは
実は ここから。
そのことも 解体修復と
その後の研究で分かってきました。
解体のため
へその周りのパーツを外したところ
隠されていた別のへそのくぼみが
現れました。
当初 へそを彫った場所が
不満だった運慶は
18センチ下に 彫り直していました。
どっしりと力強い印象を与えるためです。
いや まだや。
分からんのか!
運慶様 一体 何をなさるおつもりですか?
この位置では いかん!
ここでは いかんのや。
修正は 全身に及んでいました。
乳首は
胸の筋肉の張りを強調するように外側へ。
手のひらは 強さを見せつけるように
大胆に ひねりました。
そして 顔。
目元を深く彫る一方 眉を盛り上げ
厳しくにらみつける表情に修正。
この世のあらゆる悪を退ける仁王の迫力に
運慶は徹底的にこだわったのです。
着工から 69日。
阿吽の仁王像は ついに完成します。
戦の世がなくなることを願い
新たな権力者 武士に接近した運慶。
平和を求める強い思いが生んだ
執念の傑作です。
運慶の右腕として
仁王像の制作を支えた快慶。
戦乱の世を退けたい思いは 運慶と同じ。
まさに 阿吽の呼吸で
ノミをふるいました。
二人で作り上げた 迫真の表情。
しかし
運慶と快慶が共に手がけた仏像は
この後 一体も見つかっていません。
快慶は 武士に近づく運慶と袂を分かち
全く異なる道を歩んでいました。
快慶の謎に満ちた人生に迫る
カギとなったのは
あの新発見の阿弥陀如来像です。
高さ およそ80センチ。
大きさも穏やかな表情も
仁王像と かけ離れています。
この像が発見された場所に
際立った特徴があります。
それは 都から遠く離れた
地方の小さな寺の片隅でした。
武士に近づいた運慶の場合
その仏像の多くは
鎌倉周辺や奈良の大寺院にあります。
一方 快慶の仏像は 都から
地方の小さな寺にまで広がっています。
それは なぜか。
答えは 仏像の内部に隠されていました。
(青木)これ 何なんだろう?
紙の塊ですね。
相当 たくさん入ってますね。
たくさん入ってますね。
文書には 何が記されているのか?
京都の寺で守り伝えられてきた
快慶作の阿弥陀如来像。
体内に納められていた文書の撮影が
今回 初めて許されました。
ずらりと並ぶ 阿弥陀如来の姿。
裏には この仏像と縁を結び
救われたいと願う人たちの名前が
一人一人 記されていました。
例えば 「千鳥」は 女性の名前。
文書には 遊女と見られる名前が
多数 登場します。
「犬」は いわれのない差別を受けた人の
名前とも考えられています。
快慶ゆかりの仏像の中に
こうして名前を残した人は
これまで分かっただけで
5万人を超えています。
貴族から武士の世に変わっても
庶民の苦しみは
変わらず続いていたのです。
武士ではなく 庶民に寄り添う。
快慶が運慶と袂を分かち 選んだ道でした。
この時代 長引く戦乱に加えて
度重なる飢饉や伝染病が
庶民を苦しめていました。
死者の数 4万人以上。
「苦しむ人々のため
自分は何ができるか…」。
南無阿弥陀仏。
快慶は 救いを求める庶民を思い
阿弥陀像を彫ります。
これこそが 快慶の作風が
運慶と かけ離れていった理由でした。
当時の庶民と信仰について研究する
伊藤唯眞さん。
快慶仏が小ぶりなことにも
大切な意味があると考えています。
今回 新発見の阿弥陀如来像は
高さ およそ80センチ。
持ち運びが容易で
小さなお堂にも納まるサイズです。
三尺阿弥陀と呼ばれる
こうした小さな仏像を
快慶は数多く作り
庶民に救いを届けたのです。
さあさあ 皆様
快慶様の彫られた御仏にございます。
(一同)あ~。
武士や貴族と違い
拝む仏像を持てなかった貧しい人々。
南無阿弥陀仏。
地方の小さな寺で発見された
快慶作の小ぶりな阿弥陀仏。
それは より多くの人を救おうとした
快慶の強い思いの証しかもしれません。
快慶が工房を去ったあと
運慶は どんな道を歩んだのか。
今回 運慶作と判明した四天王像で
更に調査が進んでいました。
戦乱を嘆き 武士に近づいた運慶。
晩年 新境地を目指しました。
その挑戦に 科学調査で迫ります。
もう少し下に向けても大丈夫ですか?
当たります?
下は ちょっと…。
危ない? 離しましょうか もう少し。
X線を当て
かつて表面を覆っていた色を分析。
こちらが 銅のピークですので
緑 もしくは青…。
銅や鉛など
さまざまな絵の具の成分が
検出されました。
クジャク石を砕いて作る 緑青。
銅山から僅かしか採れない 群青。
運慶は 高価な顔料を
惜しみなく使っていました。
研究者たちは 四天王像が作られた
当時の模様を再現します。
色鮮やかな草花です。
目が覚めるような 群青や緑青。
甲冑の腹には
美しい朱色が施されています。
よみがえった四天王像。
全身が強烈な色彩で覆われ
命のエネルギーにあふれています。
運慶は 色や模様の力で
自らの作風を
進化させようとしたのかもしれません。
うん。 これより もっと濃く。
あらゆる災いをはね返す 圧倒的な生命力。
これが 晩年の運慶がたどりついた
新境地でした。
庶民のため
救いの仏像を彫り続けてきた快慶も
同じ頃 新たな表現に
たどりついていました。
それを示す仏像が
東大寺の俊乗堂に残されています。
快慶の最高傑作とうたわれる
阿弥陀如来像です。
仏像を包み込む 金色の光。
飢餓も戦乱もない
極楽浄土へいざなうような
優しい光です。
今回 特別な許可を得て
世界最高性能のテレビカメラで
光の秘密に迫ります。
仏像の表面にズームしていくと
肉眼では捉えきれなかった光の模様が
現れました。
鈍い光を放つ金の下地に
きらびやかな金の模様を重ねる。
快慶が得意とした技法です。
この光に魅せられ
仏師の立場から研究してきた
吉水快聞さん。
金の模様に 絶妙な違いがあることに
初めて気付きました。
右の模様の線は 太さ 0.3ミリ。
左は 0.2ミリ。
驚くべき精度で表現を変えていたのです。
現代の仏師として
高度な技術を誇る吉水さん。
快慶の技に挑みました。
細い金の糸を 寸分の狂いなく貼り付ける。
とてつもない集中力が必要です。
あ~。
何で?
あ~ 駄目だ。
卓越した技で
快慶は 極楽浄土の光を表現しました。
快慶がたどりついた 救いの光。
乱世に生きる人々の苦しみを
この光で癒やそうとしたのです。
数々の調査から明らかになってきた
運慶と快慶の謎に満ちた生涯。
今回発見された 運慶 晩年の傑作
興福寺の四天王像。
さまざまな角度から調査するうち
意外な素顔が見えてきました。
勇ましい甲冑姿と裏腹に
顔はうつむき
表情に憂いを帯びています。
運慶が同じ時期に作った この僧侶の像も
深く思い詰めたような表情です。
この像が作られた頃 頼朝の跡を継いだ
二代将軍 頼家が暗殺され
再び 世に戦乱の気配が
漂い始めていました。
戦乱を嫌い
平和を願って武士に近づいた運慶。
晩年 どのような思いで
世の行く末を案じていたのでしょうか。
東大寺南大門
阿吽の仁王像を作り
袂を分かった運慶と快慶。
♬~
運慶は
貞応2年に この世を去ります。
死の直前
運慶は 快慶に息子を託していました。
仏師 湛慶。 快慶の技を学びました。
仏様の力を借り 彫り出すのだ。
湛慶は その後
日本美術の金字塔を打ち立てます。
千手観音が並ぶ
京都の三十三間堂。
国宝 風神雷神像は
運慶譲りの荒々しい作風。
一方 中央に祀られた千手観音像は
快慶を思わせる優美な作風です。
運慶と快慶の技と心は
確かに受け継がれていったのです。
800年前 貴族の世が武士の世に変わる
戦乱の時代を生きた 二人の天才仏師。
長い時を経て発見された幻の傑作は
運慶と快慶 それぞれが歩んだ道を
私たちに伝えています。
♬~
♬~
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