「ご挨拶とパワハラ被害についてのその後nobbs
専攻の皆様。
分子遺伝のWWWです。
3月末日をもって、退職させていただくことになりました。
まずは、これまでいろいろとお世話になりまして、ありがとうございます。
先日3月9日の教室会議で、専攻内の教員1名の方から複数年にわたりパワハラを受けていた事をお話し、当該教員には謝罪をしてほしい旨、要望をしました。
その後、最終的には当該教員の方からは、パワハラの事実を概ねは認めて謝罪メールを受け取ったので、今のところ大学のパワハラ相談窓口に訴える事などはしていません。その件について少し長くなりますが、経緯を報告し、今後の専攻の運営や、今後に不幸な事態が起こらないよう、参考になればと願っています。
教室会議で私が発言した時点では、謝罪については後日第三者を介して調整するとなったのですが、その数日後、当該教員から謝罪メールが送られてきました。
(メール引用)
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WWWW 様
昨日、XX先生とWWさんとのことについて話をしました。
XX先生からは、二点、パワハラに当たると指摘されました。
一つ目は、二年ほど前だったと思いますが、学生の指導についてWWさんから強く意見された時に、それまでWWさんからの意見も聞いて、最初の頃よりは自分なりに改善してきたつもりでしたが、全否定されたように感じて大きなショックを受け、それ以来、これ以上の軋轢を避けるためには直接話をして言い合いになってしまわない方が良いと思い、WWさんと直接話をすることを避けてきました。その点がパワハラに当たるとのことでした。
二つ目は、昨年だったと思いますが、WWさんが xxx/xxx について実験していることを偶然知り、自分の研究テーマと抵触すると思い、止むを得ず仕事セミナーの自分のところについては参加をお断りしました。その後のWWさんからのメールで、私としては納得し、実際にセミナーへの参加をお断りすることはなかったと思いますが、一度は参加をお断りした点がパワハラに当たるとのことでした。
どちらも私としてはパワハラに当たるとは思っていなかったことですが、パワハラに当たるとのことで、申し訳なかったと思います。謝罪致します。
XX先生にはなるべく公平に話したつもりですが、私からの見方なので、十分ではないかもしれません。
不満がありましたら、〇〇さん(〇〇先生:ハラスメント相談委員の先生)を通じて、大学のパワハラ委員会に連絡してくださって結構です。
自分としては何とか状況を良くしたいと思ってやってきたつもりですが、最後は良くない関係になってしまい、とても残念に思っています。
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(引用終わり)
まずは、謝罪という言葉が入っている事で、教室会議で私が要望した『明確な謝罪』に当たると思います。一方で当該教員の方が相談したXX先生(当該教員が後ろ盾を頼んだ模様)に指摘されるまで、パワハラの自覚が無かったという事にも驚愕しました。仮にそれが本当だとしたら、あまりにもハラスメントに対する意識が低いと言わざるをえないと思います。当該教員の方には、大学がハラスメント防止のために繰り返し講習などを行い、周知に努めている事を、真摯に考えてもらいたいと思っています。
(続きます)
(続きです)
当該教員から受け取った謝罪メールをもとに、私の認識で経緯を補足させてもらいたいと思います。
パワハラの件が起こるかなり以前から、当該教員が指導教員となっている学生が、当該教員とのコミュニケーション上のトラブルを抱えて研究続行が困難になってしまうなどのケースが複数あり(後述)、同研究室の助手/助教として、可能な限り学生のフォローに関わってきたという背景があります。その際には、学生のケアを最優先に考えつつ当該教員に報告や意見・進言をするというスタンスでした。場合によっては、当該教員の考え方に違和感を持って強く意見することもありましたが、当該教員に不利益となるような事態にならないよう、配慮してきたつもりです。
そうした背景のなかで、二年ほど前に起こったという、一つめとして挙げられている件がおきました。謝罪メールに、学生の指導について、私に強く意見されたことにショックを受けたとあります。当時、研究室に来れなくなってしまった院生の対応について、話をしていた時だったと記憶しています。その院生を数ヶ月にわたって当該教員が放置していたことに関して、当該教員の考えは『もう少し経てば、いずれ切羽詰まって心を入れ替えるかもしれないだろう』と言ったような主旨でありました。これまでの経緯から学生の精神状態が危ぶまれるような状況になっているにも関わらず、更に学生を精神的に追いつめるような姿勢に強い違和感を覚えて、『客観的にみて、これまでも高い頻度で学生とトラブルを起こして来たのにもかかわらず、あまりにも問題意識が希薄ではないか。もう少し悩むべきでは』という主旨の事を申しあげたと思います。当該教員は、私の『客観的』という言葉に怒りを覚えたと言っていたと記憶しています。(以降も、その学生の放置状態は続き、後に私の判断で院生の実家に知らせて親御さんから院生に連絡を取ってもらい、その後休学手続きとなりました。)
それ以降、当該教員からは『避けて』というよりは、コミュニケーションの『拒否』にあたるような対応をされるようになりました(いわゆる『ネグレクト』)。その後、専門実習への参加を拒否されるなどの嫌がらせと思われる行いを受けましたが、その説明を求めた際にも、まともな会話は出来なかったと認識しています。同様に、研究室の教育費の執行を意図的に制限されたりもしましたが(当該教員の許可なくしては一切の発注を禁止すると通告された)その際にも、一方的な通告だけで、同様にこちらからの問いかけは無視されたと認識しています。(研究室の別の教員SE先生からは、当該教員が私が教育費を無断で執行しているのではと疑っていることを聞かされ、私自身もショックを受けました。実際には事実誤認だった事は、当該教員もその後認めたと聞いています。)更に、研究室の院生による修論発表会や、博士論文発表会の際にも、検討委員から除外されるようになりましたが、意図的としか思えませんでしたし、これら一切は広義のパワハラにあたると思います。このようにして、当該教員から避けられているというよりは、この時点では『敵視』されている、というのが実感でした。
そして、二つめの件が起こります。
二つめのセミナーへの参加を断ったという件についての経緯は、2017年8月8日付けで、以下のメールを当該教員から受け取ったのが発端でした。
(メール引用)
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差出人: +++++@tmu.ac.jp
件名: 9月からのセミナーの予定
日時: 2017年8月8日 19:37:31 JST
宛先: (BCCによる一斉配信の形をとっていた)
返信先: +++++@tmu.ac.jp
後期のセミナーを添付の予定表のように行いたいと思います。
何かありましたら連絡してください。
日程変更を希望する場合は、自分で変更先の方と交渉し、変更後の日程、演者を連絡してください。
なお大変残念なことに、研究室内で、グループ外の人が未発表の実験結果を利用した実験を行っている可能性が考えられる事態が生じましたので、各研究室で行われているセミナーの本来の形である、非公開の形に戻したいと思います。まずは最初の段階として、添付しました予定表の赤字のセミナーについては参加をご遠慮下さい。もし参加した場合には、教授会メンバーだけでなく学生達などにも事情を説明することになります。
また菌株の窃盗の可能性も考えられる事態が生じていますが、今年度の研究報告を踏まえて来年度に、以前の菌株の窃盗の可能性と合わせて専攻内に調査委員会の設置を提案し、長期にわたる実験記録、関連する菌株の提出を求め、それらの調査結果などに基づいて対応することになると思います。
(署名)
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(引用終わり)
送信先が伏せられていて (BCC)、文面上は研究室メンバー全員に送信したかのような体裁になっており、最初は何の事を言っているのか分からないくらいでした。元々研究室単位のゼミですので、研究室外の人は通常誰も参加してないので、これまでの経緯からグループ外の人というのを私とすれば、私に対して何らかの研究不正を行っていると決めつけた上で、セミナーに出席するなという脅迫めいた要求を行っている、と思われました。
セミナーというのは、正規に開講されている研究室のゼミですから、これを当該教員が本気で言っているのだとすれば、精神状態を疑うほどにまで被害妄想が膨らんでいるか、もしくはえん罪をでっち上げた上で私を排除しようとしている、としか思えなかったので、背筋が寒くなるような恐怖すら感じたのを記憶しています。
(当該教員は専攻内でも影響力のあるポジションにいたので、巧妙に情報操作を行えば、えん罪も捏造できるのではないか、などと、その時点では疑ったりもしました。実際にはそのような事はありませんでしたが)
当然、私から問い合わせをしましたが、会話は一切拒否され、問い合わせメールへの返信は以下のようなものでした。
(当該教員からのメール 8月13日付)
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考え方、感覚があまりにも違う場合、起こってしまった問題を解決するのは難しいように思います。それよりも、それ以上の問題が起こらないようにすることが大事ではないかと思います。
繰り返しになりますが、軋轢の原因となってしまう可能性のある関わりをなるべく少なくするのがお互いにとってよいのではないかと思います。
そのためにも、後期のセミナーについて、私が発表する時については、お伝えしたようにしたいと思います。また何か状況が変わればわかりませんが、今の状況ではそれ以上の対応は考えていません。
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(引用終わり)
何をどう疑っているのかも具体的に記してないまま、問答無用な決めつけをしている、といった様相でした。
その後、当該教員が謝罪メールで『納得した』と書いているメール(当該教員の疑っていると思われる実験について説明し、なんら流用も無い事を示したもの)を送りましたが、それに対しては当該教員から何らの返答も無かったので、専攻内の第三者的な立場にあるTA先生にお願いして、当該教員に問いただしてもらうことにしました。その時には、当該教員は『このメールはBCCで宛先を伏せてあるものだし、文面中でも名指しをしてないので、WWを対象にしているという根拠はない』というような事も言っていたと聞いています。一方で宛先のリストについては明かさなかったと聞いており、私だけに送られたのであろう事は明白と思われます。結局、第三者の教員の方から、私に対するセミナー参加拒否は無くなったと知らせて頂きましたが、当該教員からの説明は一切無く、むしろ、この件は始めから無かったかのように振る舞っていたと私に思えました。(私もその時点では、それ以上は追求を求めず、なるべく刺激しないように様子を見ていましたが。)
従って、当該教員が私のメールで参加拒否を取り下げたというのは、今回の謝罪メールで初めて知った事です。参加拒否の理由も(予想通りではありましたが)今回の謝罪メールで初めて本人から明らかとなりました。
(続きます)
(続きです)
セミナー参加拒否に平行して、もう一つ、意味不明な執着と思われる行為を受けました。
私が日常のメンテナンスをしていた、機器室の超純水装置の管理についてです。採水スイッチには、ラップやビニール袋で手作りの水よけカバーをかけていたのですが、セミナー参加拒否のメール受け取る数ヶ月前より、水よけカバーが頻繁に取り去られて無くなっていることに気付きました(水よけは、業者からスイッチ部分に水がしみ込むと故障しやすいからと勧められた)。カバーは着けたまま使用することに何ら支障はないのにも関わらず、張り紙などで注意してもあまりにも頻繁に無くなるので、意図的なものを感じるようになりました。その後、少なくとも1ヶ月以上は毎日カバーをつくり直してチェックしていた所、一日も欠かさず、早朝からカバーが取り去られていて、その几帳面ぶりにむしろ驚愕するといった状況でした。
ちょうどその時、セミナー参加拒否の件が起こったため、仲介をしてもらった第三者のTA先生に、その件についても当該教員に伝えてもらった所、翌日からカバーの取り去りは全くなくなり、この件も当該教員によるものであると確認できました。
カバーの作り直し自体は簡単ですので、実害としては軽微なものでしたが、あまりにもしつこいのが不気味でした。カバーが使用時に使いにくい等の理由とは到底思えず、これはむしろストーカー行為のように感じました。
その後、年末を控えて修論や学位の審査などが迫っている研究室の学生へ影響がおよばないよう、年度末になるまではできるだけ静観していましたが(その間、ご相談していた教員の方や心配して声をかけて頂いた方々には大変お世話になりました。)、3月の教室会議の際に発言させて頂いた次第です。
その後、当該教員はXX先生に相談して事態収拾を図ったようですが、XX先生にパワハラを指摘されて、パワハラを認める謝罪メールを書くに至った模様です。
以上、誇張の無いように、経緯を記したつもりです。
専攻内に周知することで、これ以上、今後に活かして頂きたいと考え、ご報告した次第です。
(続きます)
(続き)
私が客観的に見て当該教員にトラブルが多いと意見したのは、パワハラの発端となった際の学生以前にも、当該教員との関係から精神的なダメージを負ってしまう等のケースが多かったからです。(学生以外にも、研究補助のパートの方とや、ポスドクとの関係悪化なども目撃しています。)私に対するパワハラ行為が行われる以前は、私が関われる場合は、学生との間を取り持ったり、当該教員に意見や状況報告をしながらトラブル収拾に努めてました。その間、当該教員の不利益になるようは行いはしていないと自負していますが、進言・意見する事などはしていますので、それが当該教員の嫌がらせ行為を発生させたのだとすれば、非常に残念な事であると言わざるをえません。(パワハラ以降、この1、2年は意見交換など到底不可能と感じていましたが)
・これまでに、院生が突然中退してしまったり、研究室を変わったり、ポスドクの方が突然辞めたりといった事や、卒業や修了にはこぎつけたが精神的なダメージを負ったりなど、様々な例をみてきましたが、その一部を事例として挙げておきます。
(事例)
院生NSさん。修士から入学したが、2年目以降は、登校拒否い澆砲覆襦�覆修療��謀�唆軌��蚣辰鯤垢①△修留\犬乏慇諺蠱娘爾鮠匆陲靴謄�Ε鵐札螢鵐阿鮗�韻襦��Ε鵐札蕁爾寮萓犬砲茲襪函∋愼涯軌�任△訶�唆軌�紡个靴洞�ざ寡欖兇鮖�辰討い襪箸里海函0聞漾∋愼涯軌�箸歪樟棆駭辰擦此∋笋鮹膕陲靴銅存魁�せ力席減鄒�覆匹鮃圓Α�は精鄒�虜櫃砲蓮∪儀遑海�錝罎砲盡Φ羲爾僕茲萄邏箸垢觧�鯔椰佑�召鵑世���唆軌���林さんの精神不安定を理由に正月中の登校を禁じようとする。結局正月中の三が日中も私が研究室に常駐することを条件に登校が認められ、修論提出にこぎつける。
(事例)
院生YSさん。卒研から修士に進学前後に研究室に来れなくなった。指導教員である当該教員とのコミュニケーションに強い違和感を感じていた模様で、研究室に入ろうとするだけで、足がすくんでしまう状態に。その後、私が学生相談室を紹介して、半年以上カウンセリングを継続した。その後、次年度から別の研究室に所属変更し2年で修士卒業。変わった先の研究室の教員の方の話では、優秀な学生であり、指導に支障はなかったとのこと。(当該教員は、この時にも、研究室のサンプルが紛失したのをYSさんが持ち出したものと決めつけ、YSさんに詰問メールを送っていたとのこと。それを読んだYSさんの両親が、これは何かあった時の証拠になるから、削除せずに保存しておくように、とYSさんに指示したそうである。)
(事例)
卒研生 T さん。修士にそのまま進学を希望して院入試を受験する。筆記試験は優秀な成績であったが(後に本人が試験結果の開示請求をしている。)当該教員の意向により面接で不合格となる。その後、Tさんは当該教員と面談するが、その際に自尊心を深く傷つけられた模様で、うつ症状になる。相談していた教務委員の方のすすめで研究室の所属を変更したが、変更先の研究室でも抑うつ状態が続いていた。本人は卒研の単位取得自体を諦めかけたが、移籍先の指導教員が親身にケアしてくれたそうで、何とか卒業研究を遂行できるまで精神状態が回復し、卒業した。
(事例)
院生Iさんが操作していた、計測機器の部品が劣化した時のケース: 当該教員は、その院生の機器操作上の不注意が主たる原因とし、院生が加入している学生の損害賠償保険を利用して部品の購入費用に充てる事を命じた。院生は命じられた通りに動くしかなく、親にその件を伝え許可を求めたところ、親御さんの方が懲罰的な意図を疑い、学生保険の適用に難色をしめす(親御さんは同計測機器関係の企業に勤務しており、このようなケースで賠償責任を負わせるのはパワハラではないかと、強い不信感を持ったそうである)。困った院生が私に相談してきた。修論作成が近づいている時期でもあり穏便な解決を院生が望んだため、私の判断で、親御さんには、年末で研究費が不足しているので、申し訳ないが学生保険を使う形で協力してほしい(これは本当の事)という表現で伝えるよう院生に話して、その後手続きに納得してもらった模様。
(事例)
学生では無いが、1年以上実験補助の業務をしていたパートの方が、かなり酷い状態で辞めたことがあった。詳しい経緯は把握していないが、雇用者である当該教員とのやりとりの後、かなり取り乱して号泣した状態で研究室から出て行った。直後に心配になって声をかけ、落ち着くまで付き添って話を聞いたが、かなり精神的なダメージが感じられ、その時点では詳しい事情は聞き取れなかった。(当時研究室に在籍していた方の話では、当日の勤務後にその時点での解雇を言い渡され、すべての荷物をもって出ていくように言われたという。)落ち着いた後、『都立大(当時)にはとても良い印象を持っていたのですが、残念です』と言い残して帰っていった。それまで、その方の勤務態度は極めて真面目と感じていたので不審には思ったが、この時にはあえて問いただせなかった。
以上、長くなりましたが、これまでの経緯をご報告させて頂きました。
WWWW
」