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1960年代後半から70年代初頭の新聞や雑誌の記事などを紹介します。また、私も参加している明大土曜会の活動を紹介します。

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重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子には、重信さんの八王子医療刑務所内での近況などが載っている。私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるので、この冊子に掲載された重信さんの近況をブログで紹介することにした。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。
今回は「オリーブの樹」139号に掲載された重信さんの獄中「日誌」の要約版である。(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)

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独居より 5月25日 ~ 8月17日
5月25日 小雨。新聞で大道寺将司さんの訃報を知りました。24日午前中に亡くなられたとのこと。重篤な状態が、最新の「キタコブシ」からもうかがえて、とても気になっていました。昨夜は、次のキタコブシへの短いコメントを、どんな言葉で送ろうか……、西川さんが書いていることに私も触れるべきか……確証もないし……などと思い惑いながら一筆したためたところでした。亡くなられたなんて……。棺一基の一句を思いつつ、しばし呆然です。闘いによって犠牲者を出してしまった未熟さを反省基点として、己と向き合い誠実に一日一日を生き抜いた将司さん、姿勢をやわらげて安らかに眠ってください。

小雨降る朝刊開き声を呑みつ
     君の訃報の活字を追いぬ
切り岸で己の覚悟問い続けた
     確定囚の君の生き方
棺一基エゾオオカミは納まらぬ
     アジア駆け抜け星座となるらし
             (狼座に合掌)

5月29日 今日は丸岡さんの七回忌です。あの日は寒く大雨が降り、棺の準備が整うのを待つ友人たちが、震えながら悲しみをこらえていたのを思い出します。朝、亡くなったのですが、今日の八王子は快晴です。早い時の流れ、そして数日前に将司さんも彼岸に発ったこと、時代はあなたの目指した「人間の国へ」が、安保法、秘密保護法、共謀罪、改憲のスケジュール化と、やりたい放題の安倍政権で悪化している……と伝えつつ、黙祷して語り合いました。語りたいこといっぱい浮かびます。

5月30日 グラウンド運動と重なった5・30、あの時のような青空に気温も30℃近く、ベイルートの5月が浮かびます。
もう46回も(72年の当時含め)あの日を迎えているのに、当時のことは映像のように脳裏から離れません。庭石菖の花を摘み、クローバーの上に座って、目を閉じて旧友たちと語り合う一時を過ごしました。パレスチナに平和を! 声に出して訴えてみました。(中略)

6月4日 50年前の第三次中東戦争で西岸・ガザ地区がイスラエルに占領されました。戦争は今日はじまり、イスラエル軍はすぐに東エルサレムを占領し、「嘆きの壁」のまわりのパレスチナの家々を数時間の猶予で追放してブルドーザーで破壊し、広場と通路にしました。東エルサレム全体を併合し、今ではアラブ・パレスチナ人を追放し、入植地を拡大しつつイスラエルの永遠の首都と称して「ユダヤ化」を進めています。67年に追放された人々は、ヨルダンに暮らし、あるいは自治政府の下に一部戻りつつ、まだ西岸の60%はイスラエルの軍政にあり、22%はイスラエルが警察権を持つ自治政府行政区で、自治政府が警察権も行政権もすべて握っているのは18%のみです。「暫定期間の永続化」、国もつくらせず、イスラエル国籍も与えず、これはイスラエル政府が67年戦争直後に狙っていたプランそのままに至っています。
(中略)

6月7日 5・30の記念日、PFLPのH・Pに載っていた動画を送って下さったのですね! ありがとう! 岡本公三さんを囲み、みんなでバーシム、サラーハ、ニザール、ユセフの墓参りをしているところです。旧友たち白髪、みな今も現役のようですね。パレスチナの5月は印象深いです。この墓に行く道にもふわりとジャスミンがどこからか香っていることでしょう。戦った者たちに敬意を忘れない友人たちに感謝しつつ、岡本さんの健康を祈ります。
(中略)

6月16日 6月上旬、メイが短期帰国していたのですが、河合塾京都校で6月10日に講演していたのですね。盛況でよかったようです。「アラブの民主化から現在のシリア内戦を語る」というテーマで、若者がほとんどで活発な質疑応答とのこと。
今日、ジャパンタイムズから新聞が送られてきました。5月に、ジャパンタイムズからの質問に答えたもの。6月9日の新聞。H・Pにも出ているとのこと。質問に答えた内容は、ずいぶん編集されてしまいましたが、悪意のない記事に仕上がってはいました。
(中略)

6月28日 今日はコーラス。前回の終わりに次回の歌唱指導曲のリクエストを聴かれ「『叱られて』を!」とリクエストしました。好きな少し哀しい曲調です。楽譜を見ながらずいぶん難しい歌だと知りました。でも好きな歌を教わったり歌ったり。最後は「花は咲く」でもう一時間を超えています。楽しい一時。(中略)

7月3日 梅雨空が今日は久しぶりの快晴。八王子は35℃~23℃です。アイスノンを期待したのですが、朝の段階で温度が規定に達していない今日は昼間はなし。これまで、まだ昼間の使用許可はなしです。夜は「アイスノン使いますか?」と聞かれるけど、寒いくらいで断っています。今日あたりから本格的夏。
新聞一面「自民惨敗 過去最低」「小池知事派過半数」「『安倍一強』に大打撃」の活字。当然の結果とは言え、新しい政局の流動は好もしいと思います。「都民ファースト」50人立てて49人当選し、公明らと合わせて,127議席中79議席です。自民は57から23へ激減です。小池知事は「改憲派」なので、共産党が17から19議席と増やして、チェック機能を強化するのが頼りです。民進党は、選挙前に辞めて「都民ファースト」への鞍替えが多く、残っていたのは7人。そのうち5人のみ議席を守っていますが、共産党が野党では、自民の23に次ぐ勢力。それにしても選挙が示したのは、「自民党は公明党なしには勝てない」という現実です。安倍首相の改憲構想を何とか阻止したいものです。
「プチの大通り」116号「大道寺将司さん追悼号」ありがとうございます。“狼や残んの月を駆けゐたり”の将司さんの句が狼の絵と共に表紙にあります。荒井まり子さんが、将司さんとのお別れの様子を、ていねいに心に滲みるように記しています。昌国さんの将司句10選も、いい句ばかりです。“風に立つそのコスモスに連帯す”など。由紀子さんの「最後のラブレター」の追悼もいいですね。当時の意気と連帯が浮かびます。智子先生の八首が将司さんに寄り添っています。“ひたすらきみが体力祈い期しにすべてむなしき六月の風”“将司さんもう苦しまなくていいやすらかにいまはひかり凪ぎゆく”など。改めて私も哀悼の合掌です。

7月6日 七・六を思い出し反省多い日々です。あの和泉校舎の裏の野原。やぶカンゾウ真っ盛りの中、革命とは何なのか? 仲間を殴って何が革命か、憤りと訳の分からない違和感と稚なさ……。
あの早朝、医科歯科の赤軍フラクの拠点の515教室で、モチ(同志社の望月さん)をつれて和泉校舎に行くのを指示されて待っていた私。遅いなー(その時、東京駅から電話をかけてきた彼は、医科歯科大のお茶の水駅の傍で拉致された為に待ちぼうけだったのを後で知りましたが)と思ったら電話で「今まずいことになって機動隊に包囲されている。有り金もってすぐ来てくれ!」と言われて、タクシーをとばして和泉校舎へ。
その時すでに、みな退去体制にあったのでしょうが、金が不足していたのでしょう。堂山さんに金を渡した時に、さらぎさんらをリンチしたとのこと。「包囲の中、さらぎさんが逃げられたか……と気になっている」という話を知った。「何故?!」と問うと「自分たちリーダーが悪いんだが、今日の明け方の決起集会で、塩見が反対派の腕の一本や二本折って、云々と言って景気づけやった。それを真に受けた高校生がメチャクチャ手を出した。ワシらも手を出さないと格好つかん、と手を出した……」というような弁明をしていました。機動隊が構内に入る緊張の中の二言三言交わした言葉です。
そして、裏門から医科歯科に戻るようにとのことで、校舎の裏に出たら、息を?む程のやぶカンゾウ(野カンゾウかもしれない)の美しいはらっぱ。そこを、トボトボ一人でカクメイについて考えながら歩いたこと、いつも思い出します。内ゲバは、メンツとか虚勢とかエゴとかが革命の名に潜んでいて、トップリーダーの資質に大きく規定されると思います。あの七・六のトップリーダーの間違った「使命感」がブントを分解させ、いきづまりを「連赤」へと向かわせていく道を開いたと思い返す日。私にとっても反省基点としてとらえ返す日です。23歳の夏。

7月10日 N和尚が盂蘭盆の法要に来てくれました。直前に届いた盂蘭盆会の説明を学習し、また送ってくださった法華経の冊子も持って面会室へ。これまでは読経が中心でしたが、今回は読経を少し短くして、法華経や盂蘭盆の説明や、いろいろ教えてもらいつつ、話もできました。日焼けしてとても元気そう。ポロシャツの上に僧衣をまとったラフな格好で、長い数珠で朗々と読経してくださいました。旧友の読経に安心感で、学生時代を思い返し、遠山さんらのことも祈ってもらいました。土曜会のみんなが和尚と一緒にいるような一時でした。

7月12日 盛夏! 暑中御見舞申し上げます。八王子の盆地地形の暑い夏になりました。今日から座っているだけで顔や身体から汗の吹き出す盛夏です。風もなく暑い京都の暑さを思い出します。
でもモースルやイラク、シリアで45~50度にもなる猛暑の乾燥した中で、戦火に晒されている人々を考えると暑いなどと言えません。今頃のアラブは、熱風が身体中にまとわりつくようで、汗は出ませんが着ているものは潮をふいています。
ISは猛空爆攻撃の中、よくも3年間ももちこたえたものだと思います。どれだけISと空爆によって住民が抑圧され、犠牲にされたことでしょう。猛暑の中新しい生活再建にむかう人々にこそ「湯水のような」財政支援が必要です。「湯水のような」サウジ、カタール、米らのISの前身の反アサド政権支援の11年からの武器の流入がISを拡大させたからです。
そのISの前身「イラクイスラーム国」はブッシュ政権の宗派分断支配とバアス党排除によって育ったものでした。難民の巨大な発生も武器の氾濫に比例しています。故郷に戻りたい人々が戻って生産活動に従事でき、家族と平安に暮らせる機会をつくることを破壊した有志連合、米、サウジの責任です。
熱暑はガザもそうです。海に近い分、湿度が高くもっと過し難い45度以上の夏が続いているはずです。それなのにガザ200万人の住民は電気が一日4時間すら通電しない危機的な夏を迎えています。
5月25日アッバースらパレスチナ自治政府(PA)が送電しているイスラエルに対し、ガザへの送電の支払い停止を通告したのがはじまりです。イスラエルの電力会社がガザ需要の約55%相当の電力を供給し、毎月PAに代わってイスラエルが代理徴収している税金からその分を差し引いていたのですが、「ハマースが電気料金を支払わず、PA提案の議会や大統領選に関して同意しないから」電気代40%分をカットするようイスラエルに要請したとのこと。
14年6月以降ハムダッラー首相の下で実務的な和解政府をファタハとハマースも合意して作ってきたが、行政機構の統一や期限切れの大統領、立法議会選挙など合意できず、ファタハ系の西岸政府とハマース系のガザ政府が並立している状態です。加えて米欧イスラエルと組んだアッバース政府は3条件(イスラエル承認、武装放棄、過去の合意を認める)を呑まない限り制裁すると、ハマースと対立したままです。アッバースPAはイスラエルにガザ封鎖解除を求めるのではなく、電力を使ってガザ住民に集団懲罰を強いています。アッバースらは、ハマースにガザの行政権力返上を求め、強硬です。
6月にはガザ住民が使える通電時間は4時間から、一部で3時間15分となり、加えてガザ地区の医療への資金の移送もPAは中止を始めたため、医療も危機的状況にあるとのこと。ガザ住民の不満のデモでハマース支配を終わらせようとするPAの思惑は、とてもシビアーになっているようです。
国連も介入しEUもPAがガザに課している発電所の燃料の各種税を負担するとか、カタール政府が燃料費負担したり、エジプトからガザにある唯一の火力発電所の燃料を運んだりと人道危機状態です。未処理の汚水が地中海に直接流出し、ガザと隣接するイスラエル側アシュケロン市長はネタニヤフに何とかしろと要求しています。
日本の市民団体もこの事態に声を挙げています。7月3日多くの団体で共同声明を発し「第一にイスラエル政府は直ちに100%の送電開始すること。占領国が被占領地住民の福利厚生に責任を持つことはジュネーブ議定書にも定められている。第二にPAはイスラエルにまず国際法上の義務を果たすよう要求すること。電力料金支払い条件については後で交渉すべきだ。第三に国際社会はひどいガザ封鎖の黙認を止め、イスラエルに対し封鎖解除を求めるよう」と訴えています。
反占領闘争でイスラエルの違反の数々に対決すべきPAのあり方が問われています。「オスロ合意」破産のまま5年のはずの「暫定自治期間」をネタニヤフ政権は永続化させています。PAも既得権化し抜本的な改革を望んでいない現実があり、人民に犠牲が強いられ続けています。「占領を終わらせる」アラファトの当初の「オスロ合意」の夢と過ちを原点に戻って「占領を終わらせる闘い」こそ、統一して立つ時なのですが……。ガザ住民を集団懲罰に晒すイスラエルと自治政府に怒りがわきます。
(中略)

7月18日 コーラスの日。音楽室に入ったらどっと雷と夕立の大雨。対抗して希望していた「花」(春のうららの♪「春」の歌。先生が休みで歌えないままで今回)「叱られて」「花は咲く」高音はりあげつつ歌いました。85才の先生の若々しいソプラノです。(中略)

7月23日 今日は大暑ですが、夏特有の曇りつつ蒸し暑い日。昨夜は7時から盛大にドーンドーンと打ち上げ花火の音。八王子花火大会だったのでしょう。南向きの窓から花火は見えません。西空に上がるのを北寄りの窓から見たことはあります。
7月25日 やはり大暑は猛暑の八王子。グラウンドに出ると、もうトンボが数々旋回中です。塩からトンボに赤トンボです。何もしなくても汗が噴き出てきます。でも、走ってみました。一周だけ。どっと大汗が走った後で出てきます。ちょろちょろきれいな小さなトカゲもいます。むくげの花がいっぱい。くちなしの残り花が二つ咲いていました。戻って拭身。(中略)

7月28日 パレスチナは厳しい状態が続いています。エルサレムでは、パレスチナ人のイスラエル兵に対する7月14日の襲撃事件から、イスラエル側が金曜礼拝を中止にしたり、エルサレム聖地ハラム・アッシャリーフの入り口に金属探知ゲートを設置したことに対して、パレスチナ・アラブでは抗議が拡大しました。
20日にはエルサレムのムフティと聖地を管理するワクフ当局はイスラーム教徒たちに各地での金曜礼拝を中止して、エルサレムに参集して集団礼拝を求めました。
各地からエルサレムに向かい各地でイスラエル治安当局と衝突し、ヨルダンでも大規模デモ。アンマンのイスラエル大使館で襲撃があったとされ、パレスチナ人2名が殺されました。真相解明を求めるヨルダン・パレスチナ民衆を恐れたネタニヤフは射殺事件を起こしたイスラエル人を24日帰国させ、金属探知機撤収とひきかえをヨルダン王と決めたようです。
67年の戦争占領以降聖地管理のワクフ当局と歴代イスラエル政府は「現状変更しない」と約束してきたのですが、ネタニヤフ政権になってエルサレムのユダヤ化(入植地拡大。聖地はイスラーム教徒のみ礼拝が許されていたのに、ユダヤ教徒もOKと15年9月から実施、最近では礼拝呼びかけのアサーンも騒音禁止を口実に取り締まるなどや、パレスチナ人住宅を追い出してユダヤ人を住まわせるなど)が進み、聖地管理をあれこれの理由で狙ってきたのが金属探知ゲートになったわけです。
27日にはあまりの反発(サウジやアラブ、イスラーム諸国含め)に14日の事件以前に戻すとイスラエル政府は表明しています。もっと深刻なのはガザです。電気がパレスチナ自治政府とイスラエルによって未払い代金などを理由にストップして通電は最大でも4時間、透析患者に被害が出はじめています。
7月15日PFLPは声明を発し「ガザの電力危機はアッパース自治政府大統領府とその内閣による集団懲罰だと非難し、この政策を直ちに中止するよう」呼びかけました。アッバースは聖地問題でイスラエルとコンタクトを絶つと言いつつ、他方でイスラエルと共同してガザの電力危機をつくっています。結局7月27日にはアッバースは探知機ゲートを取り去ったので、聖地内礼拝を呼びかけイスレエルとの収拾は図りつつ、ハマースとは対立したまま。しかもガザをそんな状態に置いたまま、西岸ではイスラエルからの電力供給を増やすために、ジェニーンに中継所をつくり、完成。
7月10日にはパレスチナ首相とイスラエルのエネルギー相が開所式にテープカットです。パレスチナの統一は実行されずにあります。
(中略)

8月3日 Yさんが送ってくれた7月15日の「浅間山荘から45年『連合赤軍とは何だったのか』第一部のシンポジウムの記録を受け取りました。第一部は、戦後史の中の連合赤軍、BS朝日の連赤の当事者のインタビューを行った青木理さんや鈴木邦男さん、白井聡さん、第二部は足立さんら「映画がとらえた連合赤軍」、第三部は、作家が描いた連合赤軍、桐野夏生さん、山本直樹さんら、加えて当事者の青砥さん、植垣さんに雪野さんら革命左派も出席しているものです。
Yさんの話では、会場満席で150人位の参加者で、意外に若い人が多かったそうです。皆いろいろな側
面からとらえ返そうと発言しておられます。青砥さんの発言も心に残りました。「山の中での一番重要な発言は、亡くなった山田さんが、中央委員会の中で『死を突き付けても総括要求にはならない。何故なら死は一般的なものだから』と、お話をなさったということを僕は聞いています。どうして重要かというと、我々は総括要求の中で死を突き付けているという明確な意識があったということです。組織の中でどうしてそういったことが可能なのか、そこが一番問題だと、ずっと考えてきました」と。
当時の自分たちを振り返ると、帝国主義や他党派や他人は批判できても、批判している己は自らを知らず、自分を同じ批判の観点で問うこと、批判することに欠けていたこと、だから全体も何も見えていず、思い込みや主観的観念が集団を支配していったのかと思います。集会の人々の真摯な空気が伝わってきます。Yさん、レポートありがとう。
(中略)

8月9日 Sさん「創」と共に雨宮処凛さんの「不透明な未来への30章」を送ってくださってありがとう。「創」に連載された雨宮さんの文をまとめた本で、はじめの文がメイと会った話。「『革命の子供たち』日本赤軍と赤軍派の娘たち」というタイトル。「創」連載中も一読しましたが、この文があるので送ってくれたのですね。改めて読みます。感謝。
(中略)

8月17日 今日は午前中エコー検査と胃の内視鏡検査です。エコーは胆嚢に前から黒い影があるものの経過観察しているものです。胆石というより柔らかいもので1センチ強。変化は無いようでした。胃カメラもOK。前回小さなポリープがあって内視鏡検査がてら小さいので取り除いたのですが、その痕が白く残っていました。モニターで見ると胃はきれいでした。
トランプになってパレスチナは厳しい状態です。パレスチナ自治政府はPLOで行ってきた延長上にイスラエルに殺されたり拘留されている家族に年金のように少ないですが給付金で支援したり、出獄後は一時金を払ったりします。6月にラマッラーを訪れたクシュナー一行は、こうした支払いを「テロ支援」として止めるよう求め、自治政府は拒否しましたが、ガザのハマースの人の出獄の金は6月以降支払っていないようです。「パレスチナの高官はクシュナーについて『まるでネタニヤフの顧問だ。公平な仲介人とは思えなかった』と憤慨していた」とのニューズウイークの記事もありました。
さらに8月4日米上院外交委員会では17対4で米国のパレスチナ支援金(オスロ合意を経て米日欧の支援国会議の分担金)の中から「3億ドル削減する法案」を可決したとのこと。きっかけはイスラエル訪問中の米兵が刺殺され、そのパレスチナ人は射殺されたが自治政府から家族が給付金を受け取ったのが問題となり「自治政府の払う投獄・死亡などの家族への給付金に相当する額を支払わない」というもの。自治政府への締め付けはハマースへの自治政府による締め付けを更に強めるばかりです。
ガザの電力供給問題も「ハマースの『ガザ行政委員会』解散まで続ける」と自治政府は繰り返しています。温度40度をはるかに越えるガザ200万人の8割が封鎖の結果働けず、援助なしに生活が出来ない状態とのこと。不条理な占領をまずパレスチナ人民、難民のためにアッバス政府は共同してたちむかう立場なのに……。利権利害に引き裂かれています。

【お知らせ その1】
羽田闘争50周年 山﨑博昭追悼」関西集会
●日時  2017年11月12日(日)14:00~(開場13:30)
●会場  梅田スカイビルイースト36階
●参加費 1,000円
●主催  10・8山﨑博昭プロジェクト
第一部 50周年を迎えて三事業の報告
第二部 パギやんの歌と語り(趙 博)
第三部 建碑式、ベトナム展示会の撮影記録上映 (撮影:代島監督)
第四部 記念講演「1967年から1970年代にかけての激動の時代をふりかえって」    三田誠広(作家)

【お知らせ その2】
国立歴史民俗博物館 企画展示 (千葉県佐倉市)

「1968年」無数の問いの噴出の時代
●展示期間 10月11日(月)から12月10日(日)
詳細は国立歴史民俗博物館のHPを参照してください。
http://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/index.html

【お知らせ その3】
野次馬雑記」は隔週(2週間に1回)の更新となりました。
次回は11月10日(金)に更新予定です。

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