ずっと思い焦がれた甲子園のマウンドで投げる日がついにきた。28日の阪神戦に先発する高橋優貴投手(22)が27日、聖地への思いを告白。東海大菅生高3年時には西東京大会決勝で日大鶴ケ丘にサヨナラ打を浴び、出場がかなわなかった夢舞台。G球場で最終調整した左腕は「やっぱり楽しみでもありますし、憧れの場所でもあるのでいいプレーができれば」と憧れの地で4勝目をつかむ。
野球を始めた頃から目指してきた甲子園での登板を前に、高橋は背筋を伸ばし率直に思いを語った。
「こんなに早く甲子園で投げられると思っていなかった。まずそういう場所に立てることに感謝をして、自分が憧れていた場所でもありますし、いいプレーができればなと思います」
東海大菅生高3年時、西東京大会決勝で敗れ甲子園出場はならなかった。自身がサヨナラ打を浴びたこともあり、しばらくは放心状態。両親も「ずっと泣いていましたよ。小さい頃から地方大会も見てきましたし、甲子園への思いは人一倍強かった」と振り返る。悔しさは行動にも自然に表れた。
「すごく悔しかった。甲子園は毎年見ていましたけど、唯一その年は全く見なかった。見る気が全くおきなかったです」
子供の頃からテレビで追い続けた夏の甲子園。中でも印象に残るのは自身が9歳の時の06年決勝で、早実・斎藤佑樹(現日本ハム)と駒大苫小牧・田中将大(現ヤンキース)の引き分け再試合となった投げ合いだ。
「あの試合を見てあそこでやりたいなって思いが強くなった。15回を一人で投げきって、再試合でも投げて。やっぱり心打たれるものはありましたよね」
八戸学院大で努力を続け巨人に入団。ついに憧れのマウンドに立つ。だが、甲子園初マウンドは過去に先輩らも苦しめられてきた。360度取り囲む阪神ファンの大声援をどう受け止めるかがポイントだと経験した首脳陣は語る。
三沢ファーム投手コーチ「試合になると入っていけるけど、練習中の声はよく聞こえる。それも含めて楽しめればいいんじゃないかと思いますね」
木佐貫ファーム投手コーチ「自分の状態が悪いとあの応援は嫌でした。2死から走者を出しても雰囲気が変わる。なんとかプラスに捉えて気合を入れてましたね」
小さい頃は虎党。甲子園で生観戦し「右翼よりの一塁側でジェット風船を飛ばしたのは覚えています」と笑った。
「相手への応援を味方につけるじゃないですけど、そういった部分の気持ちを前向きにできれば、いいパフォーマンスができるんじゃないかなと思います」
前回、22日のDeNA戦(東京D)は4回3失点と精彩を欠いたが、仕切り直しの1勝をつかむ。(河原崎 功治)
【VTR】東海大菅生の高橋優貴は同点の7回途中から登板。9回に2死一、二塁のピンチを招くと、日大鶴ケ丘の中里雅也が左前にサヨナラ打を放ち、6年ぶり3度目の甲子園出場を決めた。試合後、高橋は「自信のある直球を打たれてしまった。監督を甲子園に連れていきたかった」と涙した。
◆甲子園初登板メモ
▽三沢興一(97年7月4日) 帝京高時代は91、92年の春、夏と4季連続甲子園に出場。92年センバツでは優勝も、プロではリリーフ登板して本塁打を浴び、0回2/3を2失点で敗戦投手。
▽上原浩治(99年5月23日) 8回8安打2四球3失点で完投も敗戦投手。
▽木佐貫洋(03年5月17日) 7回6安打3四球1失点と粘投も黒星。
▽菅野智之(13年7月2日) 5回2/3を7安打4四球2失点。118球を要し、勝ち負け付かずもプロ最短で降板。