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【コラム 人生流し打ち】

名古屋で横綱昇進、北尾の「しこ名」は? 「双羽黒」付け人が名前を耳打ちしてくれた

2019年3月30日 14時5分

1986年7月、横綱推挙の知らせを受け笑顔で記者会見する立浪親方(左)と双羽黒(元・北尾)

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 元横綱の双羽黒が死んだ。自宅のスクラップブックを前に、気持ちは沈んでいる。力士としての才能を発揮しきれなかったことが残念でならない。

 大相撲担当だった筆者が彼と出会ったのは十両時代。こらえ性がなく、入門したころ2度ほど脱走したこと。プラモやラジコンの趣味はあったが飽きっぽい性格。共通点が多く、自然と仲良くなった。

 付け人ら4人と食事に行った時は、自らタクシーの助手席に乗った。体が大きい彼が後部座席に座ると全員が乗れないためにそうしたのだが、天井につかえた首は曲がったままだった。気取らない男だった。

 ただ、親方との折り合いが悪く、後援者からもらった祝儀をめぐる愚痴も聞いた。大方の部屋ではうまくやっていたようだが、彼には辛抱できない部分があった。部屋を飛び出したのを知ったのは、筆者がドラ番になってからだが、こじれた原因はそこだった思う。もっと話をきいてあげれば短気を起こすこともなかったのだろうか。そこは後悔である。

 彼はまぎれもなく恩人だった。1986年の名古屋場所前、カナダのレスリング王者だった琴天山脱走を3紙に1面で抜かれ、局長に「君はなぜ知らなかったんだ」と直々にしかられた。本社主催だったせいもあってか風当たりは予想外に強かった。

 そんな窮地を助けてくれたのがこの名古屋で横綱に昇進した彼だった。それまで本名の北尾で相撲を取っていたが、協会からしこ名をつけるよう命じられ、その名前をすっぱ抜こうと各社がしのぎを削っていた。「やり返したい気持ちは分かるが、オレからしこ名を教えてもらおうなんて甘いよ」と彼は他社の記者たちの前で言い放った。

 しかし千秋楽当日、付け人が「双羽黒」の名前を耳打ちしてくれた。何も言わなかったが、すべて彼の差し金だった。ありがとう。そして、やすらかに。(増田護)

 

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