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【コラム 人生流し打ち】

発掘!25周年ドアラに先輩がいた 19日からの竜陣祭前に知っておきたい

2019年4月18日 18時1分

82年に登場した「宇野くん人形」

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 ドアラが登場して25周年。4月19日からの竜陣祭などで今年はさまざまな企画が催される。彼の初お目見えは1994年3月27日。当時、ナゴヤ球場で立ち会った筆者の感想は「なんじゃこれは」。

 モデルは東山動物園のコアラ。87年に球団が青色のぬいぐるみを作り、本塁打を放った選手らに贈ったのが始まり。それがマスコットになった。最初は芸もなく愛嬌(あいきょう)を振りまくだけだったが、やがて顔つき、体形、性格さえも変わり、現在の人気者に成長したのである。

 だが、このドアラには先輩がいた。82年に大活躍した、その名は「宇野くん人形」。デザインしたイラストレーターで漫画家のゴトー竜さんに聞きました。

ドアラのお披露目

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 「当時の中日は人気球団にほど遠く、何とか盛り上げようと(日本画家の)平松礼二さんと相談して『十人会』を発足させました。その会議で持ち上がった企画なんです」

 ヘディング事件で注目された大型遊撃手の宇野に託した有志のプロジェクト。事前に近藤貞雄監督の了解も取り付けたそうだ。顔はFRPで製作され、ユニホームに身を包み、おもに内野スタンドで活動した。

 10人のメンバーで後楽園球場にも遠征したこともあった。球場側からは三塁側ベンチの上で踊る許可もとったという。

 「そうしたら試合前、ジャイアンツの関係者がやってきましてね。何事かと思ったら、『うちのベンチにぜひ来てくれ』と言うんですよ」

 さっそく中畑選手や原選手がいる一塁側ベンチに向かった宇野クン人形。気後れすることなく、ナインに向かってあっかんべーのパフォーマンスで沸かせた。

 「半ば冗談で言ったら、本当にやってきちゃったので驚きました」

 行動さえもドアラのルーツと言ってもよさそうだ。そして巨人のおおらかさも評価されていいと思う。

 この年、宇野クン人形も盛り上げもあって、中日は8年ぶりにリーグ優勝。野武士野球は花開いた。気を良くして翌年には「中尾クン人形」もデビューしたが、選手本人が成績不振。人形に魂を抜かれたと揶揄(やゆ)されたこともあり、肩身が狭くなった2人のマスコットもやがてフェードアウトした。

 全国区になって久しいドアラには、消えた先輩の願いが託されている。頼むぞ、ドアラ。

(増田護)

 

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