トップ > 中日スポーツ > コラム > コラム 人生流し打ち > 記事

ここから本文

【コラム 人生流し打ち】

ドラゴンズを変えた「ホントは怖い」与田監督 プロデビュー戦でもいきなり荒れた

2019年4月26日 17時12分

 あの形相に驚いた人は多い。4月21日のヤクルト戦で、審判の判定にクレームをつけた与田剛監督。京田もその一人で「めっちゃ怒っていました。怖かった」と話した。ふだんはNHK時代に見せたように語り口はソフトで、物腰もやわらかい。だがスイッチが入ると、これほど怖い人もいない。

4月21日のヤクルト戦で、判定をめぐって二塁塁審に抗議する与田監督(谷沢昇司撮影)

写真

 彼のデビュー戦は1990年4月7日。大洋を迎えたこの開幕戦(ナゴヤ球場)に、しばし付き合っていただければ理解していただけると思う。

 出番は同点で迎えた延長11回表無死一、三塁。与田投手は、星野監督が交代を告げる前にブルペンを飛び出し、ファウルラインをまたぐ寸前で止められていた。

 彼が引退した直後、本人にじっくり聞いた。「星野監督と目が合った気がしたから」とのことだった。繰り返しになるが、この時は初登板を控えた新人。しかもマウンドは西本聖だった。

 さらに先頭の田代を投ゴロに仕留め、本塁に送球した時には騒動が起きた。三塁走者が捕手の中村に体当たりしたため肩をいからせてマウンドを降りて抗議。大洋ベンチも応戦し、小競り合いになった。

 「あれは、けんか腰でしたね。体を張って守ってくれるおれの女房役に何をするって」

 このイニングをピシャリ抑えた後、雨がひどくなって引き分け。すると与田投手はベンチで荒れた。「決着をつけたかったんです。いろいろ生意気でした」と振り返ったが、こんなルーキー、たぶんほかにはいない。

 「1年で終わってもいいつもりで投げていました。入団した時から引退に向かっているわけです。悔いは残っていません」。3度のクビを経験した与田さんは話した。

 監督となったいま、選手生命を削ってまで燃えるタイプの出現は望んではいないだろう。故障した平田を休ませたさい配にも思いが見え隠れする。だがこの指揮官に手抜き、いいわけは通用しない。懲罰交代だって平気だ。中日を変えたのは、ホントは怖いこの与田剛なのである。(増田護)

 

この記事を印刷する

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ