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【コラム 人生流し打ち】モヤ昇格に考える外国人の起用法 過去にはブライアントを放出したことも…2019年5月24日 18時18分 打線のてこ入れへ中日が5月24日、モヤ外野手を1軍に昇格させた。かつて外国人選手の1、2軍入れ替えは考えられなかった。というのも本人の同意なく2軍降格させない条項をつけた契約でなければ有力外国人の来日は望めなかった。 そんな時代に風穴をあけた選手がいる。ラルフ・ブライアント。東京ドームのスピーカー直撃弾など数々の伝説をつくり、中日ファンを悔しがらせたスラッガーである。彼はなぜ近鉄に移籍したのか。 来日は1988年4月中旬。この年、中日はフロリダのドジャータウンで春季キャンプを張り、ここでブライアント入団の話が持ち上がった。当時の彼はメジャーと3Aを往復する26歳。中日との練習試合でも場外弾を放った。 移籍に積極的だったのはド軍サイドだった。ブライアントは処遇に不満を抱いており、本人の希望をくんだオマリー会長が星野監督に獲得を頼み…。当時ドラ番だった筆者は、キャップからそう聞かされていた。 入団を報じた4月19日の中日スポーツを見ても期待度がしれる。1面トップはスケートの橋本聖子が自転車で五輪を目指す話題。推定年俸1000万円のブライアントは左肩の扱いだった。 当時の外国人枠は2。中日にはゲーリーと郭源治がおり、パワーがあっても三振が目立つブライアントが入り込む余地はなかった。そして2カ月後、大麻所持で逮捕されたデービスの穴埋めに苦慮する近鉄がアプローチをかけ、金銭トレードが決まった。同一リーグではなかったことと、中日OBである権藤博コーチの人脈も大きかったようだ。 やがてブライアントの話題を持ち出すのはドラ番の間でご法度になった。星野監督の機嫌がたちどころに悪くなるからだ。シーズンが終わってみるとブライアント34本塁打に対し、ゲーリー16本。逃がした魚は大きかった。 だが星野監督も気付いていたはずだ。中日に残留していてもあの活躍はなかった。切羽詰まった近鉄は中西太コーチらが口を酸っぱくしてボール球を振らないよう指導し、3打席三振しても4打席目のチャンスを与え続けた。対する中日には育てる視点はなかった。 日本球界はいま、外国人の大量採用時代。4人の枠に対して巨人が10人、中日は8人(ともに育成を含む)を抱える。外国人の競争に任せるだけでなく、しっかりした計画がなければ生き抜くことはできない。そもそも外国人頼みでいいのかも含め、考え直す必要があると思う。
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