新月の悪魔(かごの悪魔三次創作) 作:澪加 江
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「モモンガさん……?」
唖然と紡がれたその音はアインズの精神を激しく揺らした。
と同時に混乱。そしてそれが潮の様に引く。
「何故お前が……!」
極めて冷静な頭とは裏腹に衝動的に体は動いた。それを押しとどめたのはアルベド。その目には警戒と憎悪が渦巻いていた。
「アインズ様、迂闊に近寄っては危ないかと。私より決して前に出ないで下さい」
盾として連れてきた者にそう言われてはアインズはそれ以上近寄れない。
いつになく動揺している。アインズはそう思いながらもその人間から目が離せなかった。聞きたいことは山ほどある。だが、何よりも知りたいのは一つ。
「お前は何者だ、人間」
横柄に、威厳を持って尋ねる。どんな返答が来てもやる事は変わらない。仲間へと繋がる手がかりを掴んで、そして会うのだ。そして取り戻す。あの輝かしい青春の、光り輝いていたーー
「貴方は、ウルベルトの知り合いか?」
「よい!!」
静止の声はアインズから放たれた。
それにすんでのところで動きを止めたのはシャルティアとアルベド。
「よい。……。人間、私を怒らせたく無いのならばその名前には敬意を払え。でなければ次こそお前の首が無くなるぞ?」
「あ、ああ。いえ、はい」
「それで、お前はウルベルトさんに会ったことがあるのか?」
カシュバの首に添えられていた禍々しい二つの凶器は一旦ひかれた。しかし、もし先程の様な失言をしようものなら次は喋ることすらできなくなるだろう。
「その前に質問が……」
「……許そう」
「貴方はウルベルトさ……まとはどんな関係なんですか?」
「ウルベルトさんとは……盟友、だ」
「盟友」
カシュバは絶望的な顔付きにかわる。
その変化に最悪の事態を想像したアインズは、しかし、続く言葉で救われる。
「ウルベルト様は、生きています。直接会ったことは無いですが、俺の恩人です」
「今どこに?」
「それは……」
アインズは声に喜色が滲むのを自覚する。
ウルベルトさんもここに来ていた!
その感動がアインズを支配する。一人ではなかった。自分はもう独りの墳墓の主ではない。
過去の栄光は蘇り、今から新しい栄光が始まるのだ。
「ここに」
「俺の中に、ウルベルト・アレイン・オードル様は生きています」
「は?」
その疑問の声は誰のものだったのだろうか。
この世界で最も頂点に近い強さを持つものが集まるこの空間には似つかわしく無い空気が支配した。
もし、この日記よ読むことになる日本人がいたのならば幸いだ。
俺はユグドラシルというゲームのプレイヤーだった。しかし気がついたらこの世界にいた。もしも似た境遇の人が居たら、これを参考にして欲しい。
俺は現実の世界で死んだ。そして気がついたらこの世界の住人の意識の一部を借受ける様になった。月に一度の新月の夜だけ自分の意識が持てる。正直不便な生活だ。これを読んでいるあなたもそうなのか? それともちゃんとした自分を保てているのか?
どうやら俺の意識は徐々に宿主である少年の意識を蝕んでいる様だ。共有されている記憶でこちらの思考に引きずられている様子があった。同時に、こちらの意識も宿主に同調しようとしている様だ。
一つ疑問があるとすれば、今の俺の意識は人間ではなく、ゲーム内での自分のキャラクターに引きづられていることだろうか。悪魔としてキャラメイクしていたのだか、自分の見た目が人間な事に強烈な違和感と、思考が邪悪に歪んでいるのが自覚できる。もし、あなたが同じ状況なら気をつけて欲しい。そして理解して欲しい。ゲーム内でのキャラクターの種族に引きずられているとはいえ、元は人間なんだ。だから話し合える筈だ。だからどうか、俺を許して欲しい。人間を殺しても何とも思えない俺を。むしろ楽しいとすら感じてしまう罪深い俺を。
最後に。もしも懐かしいユグドラシルの仲間が居たらまた会いたい。馬鹿らしい願いだけれど、もし俺の名前に心当たりがあるのなら訪ねて欲しい。
俺のプレイヤー名はウルベルト。
ウルベルト・アレイン・オードル。
誰か俺の話し相手になってくれ。
カシュバに渡された本。
この世界の言葉で書かれた日記のそれは、中身のほとんどが読めない字で書かれていた。しかし、その中でもアインズが読める部分があった。本の裏表紙の内側に書かれたそれは、間違いなく日本語だった。
悪筆と言っていい筆致だったが、それは仕方ないだろう。リアルでは基本字を書かない。キーボードに慣れきった人間が書いただろうそれはその乱れきって読みにくい字も、間違いだらけの漢字も内容を知った今では愛おしい。
「カシュバの言った事はどうやら本当の様だ。間違いなくウルベルトさんは彼の中にいる」
本を優しく撫でる。
場所は帝国ではなくナザリックに移っている。
階層守護者全員を集めた中でカシュバが差し出した日記を改め、その結果を言う。打ち消されても打ち消されても湧き上がる喜び。アインズは今この世界にやってきて一番幸せだった。
「しかし、これを読んで別の問題が出てきたわけだがーー」
アインズはそう言って自分の前に跪く守護者達を見回した。
カシュバは別室で休ませており、ここに居るのはナザリックの者達だけだ。アインズは自分の考えに自信がない。なのでどうやって見つけたウルベルトにナザリックに戻ってきてもらうかの作戦会議として招集した。
「私は我が盟友ウルベルトさんにここナザリックに戻ってきてほしいと考えて居る。しかしーー」
問題はいくつもある。
まずはウルベルト自身のことだ。
現在ウルベルトはカシュバという人間の体に宿って居る。しかも体を自由に使えるのは月に一晩だけと言う事だ。ウルベルトの依代となって居るとはいえ、人間をナザリックで生活させるのは抵抗がある。何よりも引っかかるのは“同調”という言葉だ。もしウルベルトとカシュバの意識が今後完全に同化した場合どの様な弊害が起こるか計り知れない。既にカシュバの身体能力について何人かのものに見せたが、レベルはユグドラシルで言う所のは大凡30代。年齢と本人から聞いた境遇を考えると異常な値だ。これにウルベルトが関係しているとするのならばいずれカシュバはレベル100になるのだろうか。
次は宿主のカシュバの事。
現在彼は半ば強引にナザリックに滞在させている。
帝国の魔法省に入る事が確定している彼を長時間こちらに滞在させるのは帝国との関係を悪化させる。戦力としては帝国に負けることはまずないが、まだ姿を見せないプレイヤーがいる可能性はウルベルトの件で確実にいる事がわかった。他のプレイヤーを不快にさせない為にもカシュバと帝国の扱いは慎重に考えるべきだろう。
最後はこのナザリックの面々だ。
アインズ自身も含めて今とても浮き足立っている。更には他にも来るだろうギルドメンバーの事を思うとない胸が引き裂かれそうだ。軽い気持ちで言った“世界征服”という目的を可及的速やかに果たし、ユグドラシルからのプレイヤーを探し、ギルドメンバーを集めるべきではないだろうか。
それに今回の件でわかったように下手に人間を殺すのは良くない。ナザリックの者達は忌避感を抱いているが、人間を蔑視する意識も早めにどうにかするべきだろう。
「僭越ながらアインズ様。ここはアインズ様が前々から温めておられたあの計画に組み込んでは如何でしょうか?」
「あの計画、か……」
デミウルゴスの言葉にアインズは動きを止める。
考える時の癖で顎に当てていた手は、もし骸骨の体では無かったら手汗ですごいことになっていただろう。
(わー。久しぶりに来たよこのデミウルゴスのこれ。全くわかんない。あの計画ってどの計画? )
ちらりと目線をあげる。
デミウルゴスとアルベド以外の守護者は例によって上手く理解できていないようだ。となれば言うことは一つ。
「ふむ。では答え合わせといこう。デミウルゴス、他の者達にもわかるように説明する事を許そう。勿論わかりやすく説明するのだ。ひょっとしたら私の考えが間違っているかもしれないからな」
「はい。かしこまりました。しかし、智謀の神とでも言うべきアインズ様に間違いなどあるはずがありません」
「そうとも限らん。事実ウルベルトさんの件は私の計画外であったのだ」
デミウルゴスはアインズの言葉に口を開き、噤む。丸眼鏡の奥の宝石の輝きをもつ瞳は何処を見ているのか他の者にはわかりづらい。が、きっと自らの造物主に思いを向けているのだろう。
「ーーそれでは僭越ながら私がアインズ様のお考えを代弁させていただきます」
声は何時もの調子であった。そして理論整然とした説明もアインズを感嘆させるものであった。これならば。これならばきっとウルベルトさんもナザリックに戻って来てくれるだろう。
そして人間の依代をもつウルベルトさんがナザリックに滞在することになれば、ナザリックの僕たちの意識も変わるはずだ。
「流石はデミウルゴス。完璧な読みだな」
「お褒め頂きありがとうございます」
「この計画はナザリックの全ての者に伝えよ。そして少なくともカシュバの身の安全を確保するのだ!」
「は!」
素晴らしい返事の声の余韻が消えるとそれぞれの守護者が己の担当区分を目指して出て行く。その後ろ姿を見送ってから、アインズもまた自分の仕事の為に部屋を移した。
「アインズ様。あの人間の件でお話があります」
「どうしたアルベド」
場所はアインズの私室。広い机の上で溜まっていた報告書を処理し、ひと段落した時に側で控えていたアルベドは静かに話を切り出した。控えていたと言ってもただ立っていたわけでは無く、アインズの振り分けた書類をまた細かく分類している。
「あのウルベルト様の依代となっている人間をナザリックに置く為の策ですが、もう一つ楔を打ち込む準備がございます」
「もう一つの楔か?」
「はい。デミウルゴスの計画では今回の侵入者をダシに帝国に同盟を持ちかけ出向員としてカシュバをナザリックに置くという事でしたが、それだけではナザリックに対する忠誠心に疑念が残ります」
「そうか? 確かに人類の為にという程正義感に溢れた人間だとは思わないが、帝国にとっては破格のポストだ。出世欲があるのならば問題はないのではないか?」
出世欲が強く貴族を嫌う下層階級の出身。でありながら非凡な魔法の才能によって最年少での魔法省入りが約束されている英雄級の人物。拾ってもらった恩からか皇帝にはそれなりの忠誠心を見せている様に見える。
ナザリックでそれなりの地位を用意し、出向員として帝国から引き離すーーフールーダに聞いたカシュバの人となりから導いた懐柔策ではあるが、あの弟子が間違った情報をよこすとは思えない。ならばこの楔は十分有効ではないか。
勿論、ナザリックで最高の待遇を持って迎え、ナザリック自体に良い印象を持ってもらうつもりである。
「確かに、ですが人間は利益だけでは動かないものでございます。ですからカシュバに個人的に恩を売ります」
「ふむ。どうやってだ?」
「侵入者の一人、あのアルシェという女を使います」
ばさり。
純白のドレスから覗く濡羽色の羽が音を立てる。
顔はその種族に相応しい官能をたたえた色が乗っていた。その場違いな顔にアインズは疑問に思う。
「どうやら二人は浅からぬ仲のようです。なので、取り引き材料には申し分ないと思われます」
「確かに情でも縛って置くのがいいか。アルベド、お前に任せよう」
「はい。お任せください」
アインズの許しを得たアルベドはしずしずと部屋を後にする。
アインズの部屋の扉が閉まった直後に聞こえた雄叫びを、アインズは聞かなかった事にして溜まっていた仕事の続きに手をつけた。
ナザリックに来て2日後、カシュバは麗しい人外の美女アルベドに連れられ、腐臭漂う一区画へと案内される。
そこに繫がれた想い人を助ける為にカシュバは悪魔との取引に応じた。
それが戻れない道への一歩だとしても、カシュバはアルシェを愛していた。引き返せない程に愛していた。