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2019-05-27

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・日曜の午後に、ちょっといっしょに遊びましょ、と、
 童謡「どんぐりころころ」の歌詞について、
 おもしろく読んでいくという内容の文を書いたら、
 なんと、ぼくが詩の一部を間違っておぼえていたんです。
 「どんぐりころころ どんぐりこ」と思っていたら、
 「どんぐりころころ どんぶりこ」だったんですね。
 書いてるときには「どんぐりこ」だと思っていたから、
 この「どんぐりこ」の「こ」はなんなんだということを
 入り口のカギみたいにして、そのあとの歌詞のことを、
 あれこれ考えて遊んだわけです。
 「どんぐりこ」なんて歌詞はなかったということらしい。

 ほんとうに書きたかったことは、
 目の前に見えてるだけの現実から、作詞をした詩人が、
 じわじわと「虚構の世界」に誘い込むこと。
 そういう技術を鑑賞しましょうということでしたが、
 出だしの「どんぶりこ」のところで転んじゃったので、
 そんな意図のところにまで届きようもなくなりました。

 そんな意図を読んでくれた人も多くいるのでしょうが、
 それより「どんぐりこ」じゃなく「どんぶりこ」が正解、
 という間違いのほうが気になっちゃうものだから、
 ついつい、そっちを語りたくなるんでしょうね。
 いやぁ、ぼくが傷つかないようにやんわりと、
 あるいは、ただ正誤表を記すだけでさっぱりと、
 はたまた怒りをこめて「調べればわかるはず」と、
 とにかくいろんなかたちでご指導いただきました。

 インターネットを知ったばかりのころなら、
 どうしようかとあわてたかもしれないことですが、
 「お詫びと訂正」を急いで更新するようなことと、
 このケースはちょっとちがいそうだなぁと思いました。
 作詞した人の尊厳だとか、表現に対する敬意だとか、
 そういうものが足りないと叱られたら、
 それはもう正論ではあるのだけれど、なんか、
 歌も、ぼくの文も、そういう次元のことじゃない
 …のではないか、と思ったんですよね。
 だから、そのままにして1日を過ごしたのでした。
 で、いま、それについて、また書いているわけです。
 「正誤だけじゃないこと」について…かな?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「そのままでいいか」ということ、あるんじゃないか、と。


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