連載社説「天皇と憲法」で取材した君塚直隆・関東学院大教授は、立憲君主制が独裁者の出現を妨げる、と指摘する。プロイセン帝国崩壊後、ナチスが台頭した経緯は連載で紹介した通りだ。
後日談がある。ナチ・ドイツ敗戦後、東ベルリンには、プロイセン皇帝、ホーエンツォレルン家の王宮がまだ残っていた。
東独共産主義政権は帝国主義のシンボルだとして爆破し、跡地にガラス張りの人民議会議事堂「共和国宮殿」を建てた。
ドイツ統一後、アスベスト(石綿)が使用されていることが分かって使われなくなり、廃虚と化した。「宮殿」を残すべきとの声は高まらず、独連邦議会(下院)は「宮殿」取り壊しとバロック様式の王宮再建を決めた。寄付も集まり、今年秋に完成予定だ。
専制のイメージが強いプロイセンだが、治下ではベルリン大学が創設され、哲学者ヘーゲルの講義が評判を呼び欧州思想界に影響を広げた。新王宮内に設ける文化施設には、当時、海外に目を向けた言語学者、地理学者のフンボルト兄弟の名を冠するという。プロイセンの記憶は暗黒ではない。
これに対し、プロイセン崩壊後もたらされたナチス、共産主義の独裁時代は忌み嫌われている。共通するのが不寛容なイデオロギーの押しつけ。民主主義と共存し得る君主制と決定的に違う点だ。 (熊倉逸男)
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