日韓近代史資料集

韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題

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第二章
第四節 独島領有権理論に関する交換覚書

三 1954年2月10日付け亜二第15号 日本外務省覚書


  外務省は、駐日韓国代表部に敬意を表すると共に、竹島に関する1953年9月9日付け同代表部の覚書に関して次のように言及する光栄に浴する。

1 日本国政府は大韓民国代表部の前記覚書に同封された「竹島(独島)に関する日本政府の見解に対する韓国政府の反駁」を慎重に検討した結果、それは歴史的事実及び文献等に対する顕著な誤解に依拠するものであり、竹島の領有に関する大韓民国政府の主張をいささかも根拠あるものとするものではないことを見出した。

2 右に記した検討の過程において、日本国政府は、竹島が近代国際法の要求する必要かつ充分な要件を具備した完全なる日本領土であるのみならず、古くから日本人に知られ、日本の領土の一部だと考えられており、日本人に利用されていた反面、韓国側においてはこのような事実はなく、また同島を日本が領有するということについて韓国から論議されたことがないということを改めて確認する。

3 したがって、日本国政府は、竹島が日本国の領土であるという疑いのない事実に対して大韓民国政府が有している誤った観念を一掃するため、ここに、「独島(竹島)に関する日本政府の見解に対する1953年9月9日付け韓国政府の反駁」に関する日本国政府の見解を別紙のとおり送付する。
1954年2月10日 東京にて
[附録19参照]

日本の見解
 
竹島領有に関する1953年9月9日付け駐日韓国代表部の覚書として韓国政府が取った見解に論駁する日本政府の見解

1 日本政府は、標題の件に関して発送された韓国政府の見解を慎重に検討した。日本政府は、韓国政府がさまざまな資料に基づきその主張を確立しようと企図している事実を歓迎し、万一、問題をそのような態度で両政府が胸襟を開いて研究することができるならば、正当な結論に当然に到達するものである。

2 しかし、韓国政府がその議論の根拠として挙げるものは、遺憾ながらその立場に徹底していると考えることはできない。文献からの利用と事実の参照が不正確で誤導的である。そして、それは韓国政府の立場を確立するにおいてその目的を達する助けになっていない。その顕著な例を次に引用する。
(一)竹島はかつて韓国において認知されていたという証拠として、韓国政府は、「世界実録」(翻訳者注:たぶん「世宗実録」の誤り)にいう于山島と金自周が探検した「東國輿地勝覧」にいう三峰島が現在の竹島と同一のものであると主張する。しかし、韓国は、その主張する同一性に関しては証拠書類を提出できていない。また、「東國輿地勝覧」にある金自周の記事は間違っている。金自周は「成宗実録」においてのみ言及されている。
  一方、日本政府は、韓国の文献を通じて、欝陵島に間違いない三峰島あるいは于山島に関する一節を指摘したい。
  上記「世宗実録」に見える于山と武陵の記述の中に、韓国政府が言及した一節の次に、次のような一節がある。すなわち、「新羅時代にその島を于山國と称し、また欝陵島として知られていた。」(新羅時 称于山國 一云 欝陵島) また、「東國輿地勝覧」では、于山島と欝陵島の記述の中に「一説によれば于山と欝陵は一島として同一の島名を持つ」(一説 于山 欝陵 本一島)としている。「文献撮録」に関しては、次のような言葉で三峰島と于山島と欝陵島の三島の同一性を明白に表明している。
  「欝陵島は蔚珍の正東海中に位置している。日気が清明であれば島上にある峰頭と険しい連脈を歴々と見ることができる。島上にある土地は沃饒である。そこでは大竹を産出するのでその島を竹島と言い、三峰があるので三峰島と言う。于山、于陵、欝陵、武陵、貴竹(翻訳者注:「磯竹」の誤りか)などは転誂(翻訳者注:「転訛」の誤りか)したものである。(欝陵島 在蔚珍山東海之中 清明即峯頭山根歴歴可見 地廣土肥 以其産竹故 謂竹島 以有三峰故 謂三峰島 至於于山 羽陵 欝陵 武陵 磯竹 皆音訛而然也)
  竹島が独島として韓国人に知られていたとの申立ての事実に関して、そのような名称の言及は韓国の古代文献あるいは古地図から発見することはできない。

(二)「『粛宗実録』によれば、1696年に安龍福を含む韓国人が欝陵島と独島に赴き、日本の船がこれら両島に接近できないよう厳重に警告した。」として、そのことは「韓国人は韓国領土の不可欠の部分である欝陵島及び独島の海上を日本人が侵害できないようにした。」とされている。しかし、粛宗実録における上記の記述は、安龍福が調査をして帰ったときに安龍福と韓国防衛当局によって声明されたことに基づくもので、非常に仮想的なものである。
  特に、彼が欝陵島において日本漁船と出遭い、欝陵島と独島から撤去せよと彼らに警告したという彼の声明は、全く根拠のないものである。その年に、日本漁夫は欝陵島に入った。一方、韓国政府は不法出国をしたという嫌疑により安を逮捕し追放した。以上により、安龍福の件に基づく韓国の議論は根拠のあるものではないということを、容易に知ることができる。

(三)竹島が韓国によって所有され効果的に管理されたという証拠として、韓国政府は次のように列挙している。
(a)欝陵島郡守沈興沢が「我郡に属する島嶼である独島」と1906年に報告した。
(b)中井養三郎が、その島は韓国領土の一部だと信じて、日本農商務省に対して、当時の韓国政府からその島の譲渡を受ける許可を得るため出願した。
(c)「桶畑雪湖」の論説の中に、独島は韓国領土の最東端と記述されている。
(d)「朝鮮沿岸水路誌」の中で、竹島は欝陵島の属島とされている。
(e)1904年11月に、軍艦「對馬」が、欝陵島にいる多数の居住者たちが毎年夏期に竹島に上陸してその島の近傍において漁撈に従事していたことを報告した。
(f)韓国の漁業に関して日本人が行った「調査」において、竹島が韓国に属するものとされた。

  しかし、すべての場合において文献からの引用と事実の証拠が不正確で、これらのうちの一つも韓国の議論を実証する助けとなっていない。貴国の主張に反駁する日本の反対理論は次のとおりである。

(a)確実な原本が引証できないため、日本政府の見解を提示することができない。しかし、次のような事実があることに注意しなければならない。すなわち、同年(1906年)3月に島根県庁の秘書神田由太郎を指揮者とする40人以上の一団が、前年に島根県に編入された竹島の現地調査に従事した帰路に欝陵島を訪問し、郡守沈興沢に会い、神田は竹島において捕獲した海驢一頭を郡守に進貢し、郡守は来訪と進貢に対して神田に感謝した。もし、郡守がその当時に竹島が欝陵島に属していると考えていたならば、彼はこのように神田を迎接しなかったはずである。

(b)韓国政府の議論は、1923年6月の島根県教育会編纂発行(ただし、韓国政府は7月に発行されたものと述べている)の「島根県誌」を根拠とするものである。この本には、「中井は内務、外務、農商務の大臣たちに竹島の日本領土の編入及び貸下げの願書を提出し、これに基づいて、内閣会議において三大臣は島根県庁の意見に照らしてその島を日本領土に編入することを決定した。」とされている。この本には、韓国政府が主張するように中井が農商省に対して当時の韓国政府からその島嶼の譲渡を受ける許可を得るために出願したという句節はない。確かに次のような一節はある。「竹島は韓国領土だと信じたため、中井は東京へ行き、韓国政府にその島嶼の譲渡を申請することを彼に許可するよう農商務省を説伏しようとした。」しかし、竹島に関する隠岐島庁に提出した理由書によれば、中井は、現竹島は長期間日本人によって認知され管理されていたと信じていた。したがって、上に引用された句節は、編集者側において何か誤解した結果であろう。

(c)1930年に問題の論説が出版されたときには竹島は島根県に属しており、韓国の江原道に属していない。したがって、著者は確実に誤解していた。著者の過誤は、その論説において引用した文学の取扱方法において明晰に表示したごとく、かつての「竹島」として知られていた島嶼は欝陵島であって現在の竹島ではないという事実を知らずしてそのように書かれたものである。

(d)水路誌は、使用者の便宜のために編纂され、その島の領土管轄を処理するためのものではない。竹島が欝陵島近傍の航海に関係する島嶼であるので、その島嶼は欝陵島と同じく言及されたものである。そして、竹島は隠岐島の近傍の航海にも関係するため、本州水路誌第二編第二巻「本州の西北沿岸の東南部」において「隠岐島及び竹島」の標題の下に言及されている。このように、水路部当局は、竹島を欝陵島の属島として取扱ってはいなかったことは明白である。

(e)「朝鮮沿岸水路誌」によれば、戦艦對馬は単に次のように報告している。「・・・・・・・彼らは、東方島に漁夫用の菰草小屋があったが、風浪のためひどく壊れているのを発見した。」しかし、「欝陵島にいる多数の居住者たちが毎年夏期に竹島に上陸して・・・・その島の近傍において漁撈に従事していた」という韓国政府によって引用された記事は、水路誌の編纂者が伝聞に基づいて添加した後年の竹島事情であり、對馬艦からの報告ではない。それだけでなく、原本では「欝陵島から来た人々」となっていて、韓国側が指摘するように欝陵島の住民とは書かれていない。彼らは、貝類及び海藻の採取のために欝陵島の基地から竹島へ出撈した日本人及び彼らに雇用された韓国人であることが分かる。

(f)この主張の源泉が確実ではないが、韓国政府は1910年5月に出版して韓国の農商工部水産課によって編纂された「韓国水産誌」を指すものと考える。しかし、韓国東海岸の漁業に関する第二巻には、独島の名称はどこにも出てこない。彼らの位置選定の見地から、そこで言ういわゆる「竹島」いずれも、現在問題となっている竹島と同一視することはできない。





(続く)

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