日韓近代史資料集

韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題

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第二章 独島領有をめぐる韓日関係
第三節 日本の再武装と独島


  1953年7月27日、長期間継続して来た休戦協定に双方が調印し、新たな情勢に入ることとなった。それで、共産第五列の潜入を防止し戦時禁制品の会場密輸ルートを封鎖するために設定された韓国防衛水域宣言線は、同年8月27日に、前年9月26日から満11ヶ月と1日ぶりにクラーク将軍によって撤廃された。
  これは、日本の背後における活躍が効を奏したもので、日本はクラーク線の設定当時から反対の意思を持っていた。なぜかと言えば、平和線を画した李承晩大統領の政策を米国が間接的に援助し保障するというものであったのだ。換言すれば、日本の海上侵犯を米軍が阻止するというものだ。したがって、韓国側から見れば、クラーク線の撤廃は自動的に日本の侵略意欲を挑発する結果となるものであり、平和が撹乱される可能性と危険性が濃厚となった。
  ここに、韓国は、クラーク将軍の一方的な措置に抗議すると共に、海洋主権線の厳存性を再強調し、日本が平和線を侵犯すれば撃破するという固い決意を表明した。


 
  一方、日本は再武装を強力に推進しようと努力したが、 国民世論が再武装に反対する傾向が顕著であるため、日本政府は独島問題を掲げて世論を煽動する方策を樹立し、言論機関を総動員して凶策を実践に移した。1953年8月6日づけ朝日新聞には、


韓国軍艦には対抗できない
竹島問題 保安庁答弁
  韓国の竹島侵犯及び発砲事件は、4日の韓国側の逆抗議によって事態の急速な解決は望めない状態となったが、上村保安庁官房長は5日の衆議院外務委員会において、並木芳雄氏(改進党)の質問に対して「韓国側が軍艦を竹島に派遣した場合、警備隊としては、これを排除することは現状としてはできない。」と発言し注目を受けた。上村官房長の答弁は次のとおりだ。
 「警備隊の活動は国内法及び国際法上、制約されている。国内法上は、保安庁法(第61条)において、警備隊が出動命令を受けるのは「治安維持のため」と限定されており、国際法からは、警備隊の船舶は軍艦と認められていない。韓国民が竹島を占拠している場合に限って出動してこれを排除することができる。」


という煽動的な記事が報道され、事実上、衆議院の外務委員たちを再武装に導くため上村官房長は法的制約を解除すべく訴えたことになる。

  ついに日本保安庁においては、9月1日、いわゆる「防衛五ヶ年計画」を作成して政府及び党政調会の首脳部に提出した。この計画案は、期限を5年とし、陸上部隊21万、艦隊14万5千トン、航空機1,400機という物々しい計画であった。
  これは、9月7日に一般に公開するに当たり、吉田内閣は、彼らに対する野党の攻撃を減少させ所期の防衛力を増強させるため、平和線問題と独島問題を最大限に利用した。すなわち、日本政府は大漁船団を巨文島近傍の韓国領海内に急派し、韓国海軍に拿捕させた。当時の韓国海軍は休戦協定によって、また米軍幹部の指令によって領海外の行動は禁止され、一切発砲ができなかったことに注意しなければならない。

  1953年9月8日の毎日新聞は第一面の8割までも李ラインと竹島問題に割いて「政府、自衛権発動の決意」と特筆大書し、「直接交渉で解決できなければ国際裁判に提訴することも考慮」、「国連軍に依頼」あるいは「巡視船二隻を急派」等の民心を激動させる好戦的な字句を羅列した。そうして、特に竹島の日本領有を強調して平和線を否定しようとする愚策を敢行した。

  外務政務次官小滝彬は、「日本側としては、例を挙げれば海上保安庁の巡視船に警戒させるとか、韓国漁船との接触を避けるなどして充分な警戒措置を取りつつ、今後とも漁船の出漁を認め、漁業者の既得権を擁護して参る方針である。」と、その海賊的行為を激励している。
  改進党の須磨弥吉郎は、「竹島進入は純然たる日本領土に対する侵害であり、将来、韓国が壱岐、対馬等まで侵略しようとする前奏曲として到底看過することはできない。日本の漁船員の射殺事件は、日本人の生命安全の見地から断乎として韓国政府の反省を要求しなければならない。」と挑戦してきた。
  右派社会党の加藤勘十は、「李ラインを設定すること自体が間違いである。日本が武力を持てないことを良く知りながら、武装した者たちを日本の領土である竹島に派遣することは、李大統領の人格が卑劣であることを示している。」と甚だしくは偉大な李大統領の人身攻撃まで敢えて行っている。
  毎日新聞の政治部記者は、結論として次のように放言している。すなわち、「日本政府は、最悪の場合には漁民保護のために自衛権を発動するし、両問題(李ラインと竹島)の今後の推移は当面の防衛力増強問題にも微妙な影響を与えるのではないかと見ている。」 これは、彼らの紛争挑発の目的を表明するものだ。

  要するに、彼らは日本の再武装促進に利用するために韓国が休戦中には作戦を取ることができないことを知り、韓国を犠牲にしようとするものだ。こうして、社説として、また放送として、虚無の浪説まで流布させて日本国民を再軍備にも導いて行った。
  一部の政府指導者たちの中には、李ライン及び独島問題等を解決するためまず日本の実力を強化しなければならないとして軍事力を背景とした暴力的な外交交渉を力説する者があり、また、日本の議会においては韓日両国の海軍力を比較してその戦闘能力の優劣を論ずるなど、その間、日本側は韓日関係の悪化を自国の再軍備促進を正当化するための格好の資料として利用し、日本人たちの排韓感情を助長させて来た。



  日本は現有の保安隊(陸軍)6個師団(11万名)を、1954年度中に3万余名を増募して8個師団に増強させる計画だというが、同保安隊の装備はすこぶる優秀なもので、また、保安庁法によって、現在、表面上では警察的任務を帯びている同保安隊を軍隊化するための「防衛隊法案」及び「防衛庁設置法案」等の立法措置とその他の再軍備促進問題において、自由、改進、日本自由等の保安三党が共同戦線を形成して極右勢力の進出に拍車をかけており、また、現行の単一の保安庁法を「防衛隊法」と「防衛庁法」に二分化しようとするのは、いわゆる軍令、軍政の両系統を分離して、保安隊を完全に軍隊組織化しようとすることを示唆するものであり、一方、「自衛庁設置法案」によれば、国防の基本方針と防衛計画、防衛出動の可否等を諮問するための統合幕僚会議あるいは国防会議のような組織を新設することとし、旧軍人が最高国防会議にも登場する道を開いている。

  日本の軍需生産力は既に第二次大戦前の水準を凌駕するほどの重工業体制を備えており、また、その間の軍備拡充により、事実上、旧軍人の相当数が現有保安隊の責任ある地位に登用されている。それに、第二次大戦後、占領軍当局によって解体された日本の有数の財閥は復活され、特に1953年末に財閥解体前の名称で再び看板を回復した三井、三菱、住友等の銀行は、現下の日本の軍需生産増強に大きな役割を果たしている。
  日本政府は、兵器生産に対する補助金として、1954年度予算案に総額41億5千万円を計上している。同補助金中36億円は、米国のMSA法第550条に依拠した対日経済援助の一部として米国が日本に贈与する約5千万ドル(小麦)中の1千万ドルの対充資金として支出されることになっているとされ、また、兵器種別から見た補助額は次のとおりだ。
 
  △ジェットエンジン会社 10億円
  △ジェットエンジン整備工場 12億5千万円
  △練習機製造工場 4億円
  △飛行機修理工場 2億5千万円
  △砲弾銃弾工場  4億円
  △機関銃工場   4億5千万円
  △各種爆薬工場  3億円
     合 計  41億5千万円


  次に、独島を武力で強制占領すると豪語する木村保安長官の発言の原動力となる日本保安庁の海洋警備隊(海軍)の現有勢力を検討して見れば、次のとおりだ。
  総トン数は米国から貸与された68隻(フリゲート艦16隻、砲艦等の各種艦52隻)を含めて、現在4万8千トンを保有しており、この外に1953年度の実行予算として、建造中の平均300万トン級の雑種艦30隻と海上保安庁(海上警察)所属の警備船が相当の隻数に達するものと判明している。

  ところで、1954年には、昨年に米国会においてアジア地域に対して貸与することと決定した艦船25隻中20隻(32,475トン)を日本に貸与する可能性があり、また日本政府自体としても、1954年度予算案に平均190トン級14隻(2,670トン)の建造に必要な予算額を計上しており、1954年会計年度末の日本の海軍力は、現有勢力4万8千トンの約二倍の93,145トンに達するという。
  1954年度中に日本が米国から貸与を受けようとする艦船20隻の内訳は次のとおりだ。

  △駆逐艦11隻(7千トン級1隻、2,400トン級3隻、1,600トン級3隻、1,400トン級4隻)
  △潜水艦2隻(1,600トン級2隻)
  △掃海艇5隻(320トン級4隻、30トン級1隻)
  △LST2隻(1,600トン級2隻)

  2月27日の日本放送によれば、日本海上保安庁においては、昨年秋から巡視船を武装することを計画していたが、今般、その一部すなわち7隻について火器を装置することになったが、火器としては、3インチ砲1門と若干の機関銃(20ミリと40ミリ)を装置したものだといい、これは3月18日から31日までに装備を完了する予定だという。




『独島問題概論』 96~107p



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>竹島進入は純然たる日本領土に対する侵害であり、将来、韓国が壱岐、対馬等まで侵略しようとする前奏曲として到底看過することはできない。
対馬のみならず、壱岐まで奪われることを恐れていたのは、李承晩が書いた論文(?)である「Japan inside out」で壱岐まで韓国領だと主張していたことを念頭に置いていたからなのでしょうか? 中央日報でこんな記事を見つけてビックリしました。まあ、大多数の韓国民はさすがにこの主張に同調してはいないと思いますが。できればこの「Japan inside out」の全文を読んでみたいですね。
http://japanese.joins.com/article/814/147814.html?servcode=100§code=120

2012/9/2(日) 午後 9:42 [ h2b ] 返信する

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韓国では李承晩は国民の民主化要求を抑えつけた人物として全般的には人気が無いわけですが、その中央日報の記事のように李ラインに着目する人たちからは、よくぞ独島を確保した、と評価されていますね。李ラインの不当性などは全く考えの中に入ってこないようです。

2012/9/10(月) 午後 7:26 [ Chaamiey ] 返信する

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