第二節 不法侵犯及び銃撃事件(続き) (1)日本の新聞報道とそれに対する措置 このような一連の侵犯事件に関し日本言論界の世論を見れば、 1 6月27日付読売新聞夕刊では、次のように報道している。 韓国人の上陸確認 竹島巡視船から入電 島根県穏地郡五個村に属する竹島(北緯37度9分、東経131度55分)の韓国人による領土侵害事件を確認するため海上保安庁は関係各省と協議、26日夜、第8管区海上保安部巡視船「おき」、「くずりゅう」を同島に派遣して調査に当たらせた結果、27日、同船から「本日未明、韓国の伝馬船一隻(長さ3メートル大)を同島附近において発見、目下、事情を聴取中」という入電があった。竹島問題は、5月28日、島根県水産試験場の試験船島根丸(63トン)が韓国の漁船10隻、漁夫30名が上陸していることを発見、22日、外務省は韓国政府に漁業関係法令、入国管理令違反として厳重な抗議を発し、23日未明には第8管区海上保安本部の巡視船「のしろ」、「くずりゅう」を同島へ派遣したが、風波が高く、船影、人影は認知できなかった。海上保安庁ではこの調査により韓国人の不法上陸を初めて確認したとして、外務省を通じて韓国政府に抗議する。 2 6月28日付朝日新聞夕刊では、 保安部(舞鶴)の発表によれば、去る5月末、韓国漁船30隻が島根県竹島(日本海中の無人の小島)附近に出漁し、同島に上陸して漁業を続けているため、27日午前3時半、島根県庁、国警島根県本部、法務省入国管理局松江事務所係員30名の臨検隊が巡視船2隻で同島に上陸、「島根県穏地郡五個村竹島」と記入した日本領土としての地名と「韓国人の出漁は不法漁業」という注意書きの立て札2個を建て、島内でテント生活をしている男子のみの韓国人6名に退去を勧告した。韓国人たちは、伝馬船(2トン)一隻で漁業に従事し、海藻、貝類を採っていた。彼らは一週間前に欝陵島から発動機船で来たようだ。 池端八管本部長談 日本の領土であることを認識させることとし、司法処分はしない。 ◇ 海上保安庁では、この竹島問題に関し、27日、外務省に「韓国人の退去を通告するよう」連絡した。また、島根県水産試験所の島根丸は、先月28日、同島に韓国人30名が10隻の動力船で上陸、漁業をしているのを確認している。 と報道している。 このような新聞報道を見て、駐日代表部では、6月29日午前3時30分に外務部へ電話報告すると共に、駐日代表部崔圭夏総領事をして日本の外務当局にその事実の有無を調査するよう要請したところ、事実であるというので、まず口頭で厳重に抗議し、6月30日に柳参事官がアジア局に口頭で抗議した。 また、7月1日にも日本の船舶が独島を侵犯したことを確認したという。一方、国内では、この事実が報道されるや日帝の侵略の再現だと世論が沸騰し、7月3日には慶尚北道警察局において前記の標柱2個と掲示板2個を撤去、保管し、7月8日の国会第19次本会議では、次のような決議を行った。 独島侵害事件に関する対政府建議 (主文) 大韓民国の領土である独島に日本官憲が不法侵入した事実に対し、日本政府に厳重に抗議することを建議する。 (理由) 去る6月27日、日本島根県庁、国立警察島根県本部、法務省入国管理局松江事務所員等約30名が、大韓民国の領土であることが明確である独島に大挙侵入し、「日本領土」とする標識と、さらに「韓国人出漁は不法」とする警告標を立てる際に、たまたま出撈中の韓国人漁夫6名に退去を要求する不法行為を敢行し、厳然たる海洋主権と大韓民国の国土を侵害する不祥事を惹起し、韓日両国の友好的な国文に一大暗影を投げかけている。それゆえ、大韓民国政府は、今後、韓国の主権を保障するのみならず、山岳会を含む強力な現地調査団を独島に派遣することを援助し、韓国人漁民の出撈を十分に保護し、今後の事態収拾に積極的な措置を取ることを要請し、左記の決議文を提出する。 (決議文) 一 大韓民国の主権と海洋主権線の侵害を防止するための積極的な措置を取り、今後独島に対する韓国漁民の出撈を充分に保障すること。 二 日本官憲が建てた標識を撤去するのみでなく、今後いかなる不法侵害も再発しないよう日本政府に厳重に抗議すること。 」 7月10日、慶尚北道議会第7回第4次本会議では次のような建議案を満場一致で可決した。 建 議 書 一 要旨 独島は韓国領土であることを内外に宣布し、日本の侵略行為に対して強力な措置を取ることを建議する。 二 理由 去る6月25日及び同27日、28日の3日間にかけて、○○○○○米国旗を盗用して独島に侵入し、漁撈作業中であった韓国人を逐出し、「甚だしくは、韓国の領土標識と慰霊碑を破壊して」彼らの掲示板を立てた日本人の野蛮な行為は、韓国を無視する態度であると同時に、往時の侵略根性の再開始を暴露した野欲であると考えるほかはないのであり、本会議は、我々の領土を守護する理念から、300万道民を代表し、当局において標記の要旨の断乎たる措置を取ることを建議する。 右、建議する。 檀紀4286年7月10日 慶尚北道議会 大統領閣下 このような世論によって、韓国山岳会においては第三次独島学術調査団の派遣を積極推進し、外務部においては駐日代表部を通じて8月4日に厳重に抗議した。 (2)8月4日代表部覚書と8月8日日本側覚書 8月4日付代表部覚書 駐日韓国代表部は、日本外務省に敬意を表し、日本国人が独島として知られる大韓民国の島嶼に侵入し数次の不法行為をなしたことに言及し、外務省に次のとおり通告する光栄に浴する。 大韓民国政府の調査によれば、次の事実が認められる。 一 1953年6月25日午後4時ごろ・・・・・・(以下、一~三までは第二次から第四次までの侵犯状況であり、内務部において報告したものと同じ) 四 7月1日に、独島は再び日本人によって侵犯された。 前述の事実に関し、代表部はここに、大韓民国政府は政府官吏を含む日本人によってその島嶼において犯された遺憾かつ不法な行為に対して非常に深い関心を有していることを外務省に通報した。その島嶼の領有権に関しては、代表部は、1952年2月12日付け及び1953年6月26日付け覚書を含めて、何度もこの問題に関して大韓民国政府の見解を既に外務省に通告したので、独島が明白に大韓民国の領土であることを外務省は充分に感得しているものと信ずる。そのことに関して外務省に送付した代表部の繰り返しとなる通告文にも拘らず、独島が日本人によってのみならず日本政府の官吏によっても継続的に侵犯されることは、不法行為を含む侵犯が良く計画され目的があって行われたことを意味する。 そのような状況であるため、大韓民国の領土に日本政府の官吏が陸標と掲示板を不法に立てることを含めて、日本人が韓国の領土と領海と漁業保護水域に侵入することは、国際法と国際慣例に違反し、領土保全上、大韓民国の主権に対する明白な侵害であるという事実に関して、日本政府に厳重な抗議を提出しないわけには行かない。 この機会に、再び代表部は、日本政府が、将来、同様の事態が再発しないよう適当な方策を取ることを外務省に要求する光栄に浴する。 [附録11参照] このような厳重抗議に対して、日本側は、8月8日付けで次のように反論してきた。 8月8日付 亜二第205号 覚書 外務省は、駐日韓国代表部に敬意を表し、1953年8月4日付け貴部覚書に言及し、次のように言明する光栄に浴する。 一 1953年7月13日付け外務省覚書において詳細に証明したように、竹島は歴史的事実と国際法と日本講和条約の条項等によって日本領であることは疑いがない。前記の外務省覚書は、1952年2月12日付け及び1953年6月26日付け貴部覚書において言明し、1953年8月4日付け覚書において言及したその島嶼の領有に対する大韓民国の請求は、間違いなく根拠の無いものであることを明確にした。 のみならず、竹島に対する日本政府の見解に対して、最近の韓国代表部の覚書は言及をしていない。日本政府がその島嶼に巡視船を派遣し、また、いつでも、必要があると認められるいかなる手段を取ることも全て命令によるものであり、この点について韓国政府が何らの抗議をする理由もないものである。 二 一方、1953年6月22日と7月13日付けの外務省覚書において述べたように、韓国人と政府官吏が、数次、竹島に不法に侵入し、韓国政府官吏がちょうど調査のためにこの島に接近した日本政府官吏に不法に銃撃をした。故に、外務省は、ここに、このような不法行為に関して韓国政府に厳重抗議を繰り返し、再び将来に同様のことが再発しないよう、適当かつ効果的な方策を直ちに取るよう求める。 三 外務省は、1953年8月4日付け貴部覚書において言及された「漁業保護水域」は、韓国政府による一方的宣言に基づくものであり、それは国際法を逸脱するものである。駐日韓国代表部に送付した1952年1月28日付け外務省覚書において明言したように、日本政府はそのような宣言を正当なものとは認めない。 (附録12参照) 日本側覚書に言う7月13日付け覚書は、この覚書の前に日本巡視船「へくら」号銃撃事件が発生した直後に彼らが我々に送付して来たもので、韓国側はしばしば真相調査報告が遅れ、抗議の覚書も遅れた結果、次節と対照すれば内容が明瞭になることを附言する。 (3)第三次調査団派遣 第一章第三節三(一)と(四)において言及したように、韓国山岳会が主催して鬱陵島、独島学術調査団を派遣し、独島の所属問題の解決に貢献したところは大きかった。ところで、本章第一節三(二)において言及した7月8日付け国会第19次本会議の決議事項、すなわち「山岳会を含む強力な現地調査団を独島に派遣することを援助すべし」という要請に基づき、韓国山岳会では調査団の再派遣計画を積極推進した。いよいよ同年10月12日から独島の調査事業のために活動を開始し、1947年8月の調査の不備な点を補完し、独島の実態を科学的にさらに明確に究明し把握して調査記録の完成を期して努力した。 『独島問題概論』64~75p |