| 独島問題概論 第二章 独島領有をめぐる韓日関係 第一節 第二次韓日会談における独島問題 1953年4月15日から同年7月23日まで、いわゆる第二次韓日会談が開催された。漁業問題は韓日関係の底流を形成する難問題であり、我々の側が平和線を制定したことにより国際的先例に依拠した漁業資源保護措置を主張したのに反し、日本側は古典的な公海自由の原則を掲げて平和線を無視する態度に出て、恒常的な対立が続いて来た。 第二次韓日会談の漁業分科委員会においては、前年の会談においては原則論、法理論に終始したことに鑑み、今回は、双方が実質的な面から問題を討議し、現実的な解決に到達するよう努力することとしたため、漁業管轄権、海洋自由の原則など法理論は横に置き、日本側においては実際の漁業状況に関して、漁場、魚種、漁獲方法、漁船隻数などの説明があり、韓国側からは、漁業の実情、魚族の減退状況、保存措置の実績などに関して説明し、最大の持続的な生産性の確保という実質的な面から平和線内の保存措置の必要性を力説した。 日本側は平和線を否定するため、独島が日本の領土であり、日本の領土まで包含する平和線は不法な画線だということを強調し、実力により平和線を侵害し、巡視船を派遣して独島領有権を確定しようとする凶計を実践に移したのだ。 この侵犯事件が韓日会談の進行中に展開されたという事実に注目するところだ。日本は、意識的に韓日紛争を挑発して韓日会談における自らの目的を達成しようと凶計を謀った。日本側は、また、休戦会談の終結を前にした我が国の政治情勢を観望して、自国に有利に韓日会談を展開させようとの意図の下に時期的な休会を提議したので、韓日会談は7月27日の休戦成立の3日前である7月23日に休会に入った。 |