| 企画特集 日本の独島領有権主張の虚構性批判 明治10年太政官指令に関する日本の主張の批判 キム・ホドン 嶺南大学独島研究所教授 独島研究ジャーナル/韓国海洋水産開発院独島・海洋領土研究センター 2012年春号(第17巻) 最初に 明治10年に太政官が下した「竹島外一島の件は日本と関係ないと心得ること」という指令に対して、韓国では、日本政府の最高機関である太政官が鬱陵島と独島が日本の領土ではないと公式に宣言したものと見る。これを根拠として、独島が日本の固有領土だという主張と1905年に独島が無主地なので日本領土に編入したという日本の無主地先行獲得論を無力化する決定的な証拠だという評価をする。1) ところが、日本では、初めからこの指令を取り上げなかったり、「竹島外一島」が「竹島」とか「松島」と呼ばれる鬱陵島だという主張をしている。 本稿は、そういう論理を立てる杉原隆の<明治10年大政官指令-「竹島」外一島の件は本邦と関係なし-を巡る諸問題>の検討を通じてその論理的矛盾を批判しようと思う。 「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と太政官指令「竹島外一島之儀ハ本邦関係係無之」の作成経緯 島根県が内務省に「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」をすることになった理由は次のとおりだ。 明治4年(1871)に廃藩置県が断行されて地籍編纂が急ぎ必要になると、明治政府は全国の地籍を作成するように地方政府に訓令した。内務省は地籍を作成する部署を設立して担当官吏に各地方を巡回させ、測量を実施するようにした。これに伴い、島根県に地籍作成のために派遣された官吏が島根県の地籍編制係に「竹島」(鬱陵島)を地籍に含ませるべきかどうかを問いつつ、島根県の古い記録や古地図などを調査して内務省に問い合わせてくれという内容の公文書を送った。島根県は調査をし、次のような質問書を内務省に提出した。 貴省(内務省)の地理寮の職員が地籍編纂確認のため本県を巡回されたが、日本海内にある「竹島」調査の件で別紙第28号のような照会がありました。この島は永禄年間(1558~1569)に発見されたと言いますが、旧鳥取藩の時、元和4年(1618)から元禄8年(1695)までおおよそ78年間、同藩領内隠岐国米子の商人大谷甚吉と村川市兵衛が江戸幕府の許可を得て毎年航海し、島の動植物を持ち帰って売却していました。これについては確証があります。現在まで古書や古い手紙が伝わっているので、別紙のとおり由来の概略や図面を添付して上申します。本来、島全体を実検した後、詳細を付け加えて記載するべきですが、元々本県の管轄に確定されたものでもなく、また北海百余里の遠くにあって航路も確かではなくて、普通の帆船では容易に往復することができないから、上記の大谷、村川家の伝記など詳細を追って申し上げます。しかし、大まかに推測するなら、管内隠岐国の北西に位置して島根県一帯の西部に附属すると見るならば本県の国図に記載して地籍に編纂しますが、この件はどうすべきか指令を望みます。 明治9年10月16日 島根県参事 境二郎 島根県の「竹島外一島」の地籍編纂に対する問い合わせに対して内務省は自主的に元禄年間の「竹島一件」に関する記録を調査して、最終的に「日本と関係なし」という結論を下した。しかし、「版図の取捨は重大な事件」と判断した内務省は、1877年3月17日、「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を太政官右大臣岩倉具視に送って太政官において指針を下してくれと要請した。 太政官は、内務省が上げた「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」に対する論議をして、三日後の3月20日、次のような指令案を太政大臣に上申した。 別紙内務省の照会、日本海内「竹島」外一島地籍編纂の件、右は元禄5年(肅宗18、1692)朝鮮人が入島して以来、旧政府(江戸幕府)と該国(朝鮮)が(文書を)取り交わした結果、遂に本邦(日本)は関係がないと聞いていると主張している以上、照会内容に対して次のような指令を作成すべきではないか伺います。 指令案 伺いの「竹島」外一島の件は我が国と関係がないと心得ること 明治10年3月29日(印) その結果、「竹島外一島の件は日本と関係ないと心得ること」と言う指令案が、3月29日、太政官右大臣岩倉具視、参議大隈重信、寺島宗則、大木喬任などによって了承され内務省に伝達された。内務省はその結果を4月9日、島根県に知らせた。上記の太政官指令は、日本政府の最高機関である太政官が鬱陵島と独島が日本の領土ではないと公式的に宣言したものだ。 これを根拠として、韓国では、独島が日本の固有領土という主張と1905年に独島が無主地なので日本領土として編入したという日本の無主地先占論を無力化する決定的な証拠だという評価をする。ところが日本ではそれとは違う解釈をしている。次の章でこの問題に対する日本の主張を検討し、その主張を批判したいと思う。 (続く) <コメント> 太政官指令についての日本の主張を批判するのは御自由ですが、批判したところで、明治政府が版図外と認定していたのは「鬱陵島」の一島であったという歴史的事実は変えようがないのですから、徒労にしかならないでしょう。 |
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