(続き) しかし、次の資料を見れば、裵季周が鬱陵島在留の日本人と島民たちから信望を失い、鬱島郡守の職務を遂行せずに本土に逃走したので鬱島郡守を免職になったというのが穏当なようだ。 ④その後明治34年に宮内府調査委員崔秉鱗(チェ・ビョンニン)が島に来た頃、畑本、ワキタらは自分の船に韓国人の荷物と本邦の物品をのせて朝鮮本土の非開港場へ出港しようとした。これを島監が知って崔秉鱗と謀って汽船チャンニョン号が島に着き次第便乗して、釜山税関に行って訴えて船体と貨物を押収して、一方で本人たち(畑本ら)を島から退去させようと島の韓国人などと協議した。これを畑本栄次郎ほか数人が知ることとなった。事態が尋常でないとして畑本が崔秉鱗にその理由を尋ねたところ、彼は決してそのような協議はしたことがないと答えて裵郡守他3人を立てて立証しようとしたが、畑本らは確実な証拠があると主張して聞き入れなかった。論争の最後に互いに3,650ウォンの懸賞金をかけて事実によって勝敗を決めることを約束した。 双方が道洞に集まって証人を立てて事実の取り調べをすると、協議に参加した韓国人金性述が崔秉鱗と裵季周が密計したことを証明した。すると崔秉鱗もしかたなく契約金を支払うことにした。しかし所持金がなかったので豆200石で承諾した。ちょうど島民キム・ビョンムン他7人が豆165石5斗5酌を釜山に送って生活必需品を買うために天野七蔵の船昌栄丸に載せていた。それを(崔秉鱗は)無理に自分の豆だといって裵季周も指揮して船から陸上げし畑本に交付した。そして金性述を自宅に呼んで、日本人に先ほどの証明をしたことを叱責して、「この損害はお前が早く支払え」と厳命して拘留した。金性述は鬱憤をこらえることができなかったが、他に取る方法もなかったために、明日豆を調達して弁償すると言いつくろって帰宅し、その日の夜、自分の家の木の枝に縄をかけ首をくくって死んだ。したがって、荷主はもちろん島中の韓国人が大きく激昂し、裵郡守にその処置が不当、不合理だといって非難した。裵は崔と密かに島の西側裏面の通九味へ行ってチャンニョン号に便乗して本土へ逃走したので、島民たちから評判が良くなかったという。 参考:今年5月5日に崔秉鱗と裵季周から畑本栄次郎に渡った豆の被害者キム・ビョンムン他7人から豆を戻してくれるよう畑本を説得してほしいという申請があった。事実を取り調べると、裵季周と崔秉鱗の二人が完全に自分の所有品として受け渡した証拠があった。したがって、裵季周が島に帰って来た後に再び申請するように言い聞かせた。 以上のとおり報告する。 明治35年(1902) 5月30日 鬱陵島警察官駐在所在勤 警部 西村鍷象 領事 幣原喜重郎 様 上の資料に出てくる崔秉鱗は内部の官員崔聖麟だ。鬱陵島の在留日本人の二大派閥を率いる畑本とワキタは自分の船に荷を積んで出港しようとするとすぐに裵季周と崔秉鱗がチャンニョン号が着き次第便乗して釜山税関に行き、船体と貨物を押収して畑本らを鬱陵島から退去させようと島の韓国人らと協議した。その気配を知った畑本は崔秉鱗に問い詰めた。そのことで論争が広がって3,650ウォンの懸賞をかけて事実で勝敗を決めることを約束した。事前謀議に参加した金性述が崔秉鱗と裵季周が密計したことを証明した。すると崔秉鱗が所持金がなかったので島民キム・ビョンムン他7人が豆165石5斗5酌を昌栄丸に積んでいるのを自分の豆だといって、裵季周が船から下ろして畑本に与えた。そして金性述を叱責して結局金性述は自殺した。そのために荷主キム・ビョンムンと島民たちが激昂して裵季周郡守に不当、不合理だといって非難した。窮地に追い込まれた裵季周と崔秉鱗はチャンニョン号に便乗して本土へ逃走した。それによって鬱島郡守を免職となり、第2代郡守として姜泳禹が1901年12月10日以前に任命されたと見られる(注48)。 『皇城新聞』1902年3月4日の「雑報」欄に、「鬱島郡守姜泳禹氏が免官されて、代わりに前郡守裵季周氏が任命された」という記事がある。この記録に対する解釈として、「姜は任命された後に任地に行かず、浮浪輩と旅費を浪費したので1902年2月19日に免官された。これに対し、内部では鬱島郡守を長く空席にして置けないので、再び裵季周を第3代鬱島郡守に任命した。」という解釈がある(注49)。姜泳禹は鬱陵島赴任を控えて現地日本人の弊害のために大きく恐怖感に捉われていたが、日本公使館の書記官国分象太郎が姜泳禹と数回接触して日本警察の問題を協議し(注50)、1902年3月に鬱陵島に警察官駐在所を新設、警察を常駐させ始めた(注51)。第2代鬱島郡守の姜泳禹は鬱陵島に赴任しなかったが、鬱陵島に日本の警察官駐在所を作る役割を果たすことだけはしたようだ。 大韓帝国政府が日本の警察官駐在所の設置を認知したのはこの年9月末のことで、江原道観察使の報告を通してだった。江原道観察使の報告によれば、日本側はただ鬱陵島に駐在所を設置しただけでなく島民を任意に連行したし、また、島民たちの中では不満のあることを日本警察に訴えることさえあったという(注52)。 (注48) 『駐韓日本公使館記録』(機密第133号(1901年12月10日) 「(67)欝陵島在留民取締ノ為メ警察官派遣ノ件上申」) (注49)シン・ヨンハ編著2000 前掲本151p (注50) 『駐韓日本公使館記録』本省機密往信(明治34年)機密第133号 (注51) 『欝陵島郵便所沿革簿』 (注52) 『交渉国日記』光武6年9月30日 上記史料④の「参考」によれば、警察官駐在所に1902年5月5日に崔秉鱗と裵季周から畑本栄次郎に渡された豆の持ち主キム・ビョンムン他7人から豆を戻してくれるよう畑本を説得してほしいという申請があった。駐在所の取り調べの結果、裵季周と崔秉鱗の二人が完全に自分の所有品として受け渡した証拠を発見し、裵季周が島に帰って来た後に再び申請するように言ったということから見て、裵季周が鬱島郡守として渡任すればそういう訴訟に巻き込まれる可能性がある。それで、夜逃げした裵季周が鬱島郡守としての威厳を守るために「郡規」を用意して「鬱島郡節目」と名付けて内部に上申したのは、それに対する突破口を用意するためのものだったと見ることができる。 1902年5月10日、鬱島郡民金賛寿が鬱島郡守裵季周を告訴したために平理院では法部に拘禁したという報告があり(注53)、 5月17日「平理院で鬱島郡守の在任時船舶賠償金徴収の過程で民を威嚇した裵季周の処罰報告」に関する資料がある(注54)。平理院が法部に送った報告書と上の史料④は同じ事件だが別に見える。それは、裵季周が被告として自身の立場を積極的に弁護した資料であるためだ。平理院の報告書の場合、裵季周が鬱島郡守である時、金性述が日本人の私船を借りて豆をのせようとしたが、調査委員崔秉鱗が私船を利用して発覚すれば海関に没収されるといって、公船である蒼龍丸に移してのせた。一人の風帆船主が崔秉鱗に損害賠償を請求したが崔秉鱗は金性述に追徴しようとし、書記パク・ピルホが内部の指令を受けて金性述を強制連行してきて、損害賠償問題は金性述の誣嘱から出たことといったので、金性述は自ら命を絶った。この時、裵季周は公務で上京するところであったのに金性述の死体を見て自殺は明らかだと思って検視を行わず、成案しなかったといって笞刑40に処したという報告を法部に送った。 史料④は裵季周は本土へ逃走したとしているのに反して、裵季周は公務で上京したといった。多分、裵季周はこのように言い逃れて3月7日に鬱島郡守に再採用されたようだ。そういうことに不満を持った前郡守姜泳禹(カン・ヨンウ)が、6月22日に裵季周が禁山で不法伐採したとする訴状を受け付けて平理院が裵季周を拘禁したことを法部に報告した記録が出てくる(注55)。多分、姜泳禹が自身が免職になって裵季周が後任となったために裵季周の不法事実を告訴したようだ。おそらく、この両者に鬱島郡守の交替をめぐって相当な対立があったと見られる。その後7月7日平理院で裵季周を放免することを報告して、8月25日に裵季周に対する善処を要請した記録など裵季周に関連した訴訟が1903年1月5日まで続いた。 (注53)国史編纂委員会『各司謄録』司法稟報(乙)報告書第71号(光武6年5月10日) (注54)国史編纂委員会『各司謄録』司法稟報(乙)報告書第72号(光武6年5月17日) (注55)国史編纂委員会『各司謄録』司法稟報(乙)報告書第99号(光武6年6月22日) そうした点から、裵季周は1901年3月7日に鬱島郡守に任用されたが鬱島郡に赴任できなかった。そのような状況から、裵季周はソウルで自身が「郡規」を作って「鬱島郡節目」として内部に上申して内部の裁可を受けてそれを得たが、鬱陵島に入ってハングルに複写して各洞に掲示することはできなかった。施行することができなかった「鬱島郡節目」を指して独島を含む鬱陵島の所轄区域を大韓帝国が実効的に経営した証拠として注目するほどの価値があると評価する (注56) のは問題がある。 (注56)柳美林2010前掲文218p (続く) <コメント> なんてやつらだ。 |
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・”鬱島郡”が、現竹島産アシカと承知して、1%の輸出税のみの課税ならば、補采税不課税→現竹島管轄外の有力証左・証拠になると思います。調査してみないとハッキリしませんが。
2017/3/17(金) 午前 11:22 [ おそ次郎 ] 返信する
補採税は島外から来た者が採って行く場合に掛けたもののようですから、鬱陵島に住んでいる日本人はそもそも該当しなかったと思われます。
2017/3/17(金) 午後 1:03 [ Chaamiey ] 返信する