「鬱島郡節目」を通じて見る1902年代の鬱陵島社会像 キム・ホドン 嶺南大学独島研究所研究教授 Ⅰ はじめに Ⅱ「鬱島郡節目」の脱草文と翻訳 1 脱草文 2 翻訳文 Ⅲ 「鬱島郡節目」に現れた鬱陵島の社会像 1 裵季周の行跡を通じて見る「鬱島郡節目」の作成背景 2「鬱島郡節目」に現れた1902年代の鬱陵島社会像 Ⅳ 結び Ⅰ はじめに 韓国では「独島」に関しては感性的に対応することが多い。その代表的な例が「欝島郡節目」だ。2010年に鬱陵郡で公開されたこの資料をめぐって(注1)、当時「大韓帝国が実際に独島を治めた」とする証拠として言論に報道され、『中学校美しい独島』の教材でその記事を紹介して鬱陵島と独島を実際に治めたことを立証する資料として提示されることもあった(注2)。 2012年8月、「鬱島郡節目」は再び注目を浴び、「鬱島郡守が日本人のアシカの輸出に税金を賦課する内容が含まれ、独島に対する韓国の実効的支配を立証できる史料と評価されている。」とする報道が言論に出た(注3)。KBS TVは2012年8月17日夜9時ニュースの後、<KBSスペシャル-独占発掘、独島の証言>の広報ニュースの内報を出す中で、「鬱島郡節目」を独島のアワビを採る日本人たちに輸出税を課した証拠だと紹介した。そして8月19日、<KBSスペシャル-独占発掘、独島の証言>で、「当時、日本人は独島で捕えたアシカを鬱陵島に持ってきて輸出したという事実が日本外務省の記録に残っている」として「鬱島郡節目」と結びつけたりもした。 ところが「鬱島郡節目」と日本外務省の記録、すなわち日本の漁業者などが鬱陵島監に輸出税を払うという約定文、また島監が日本人に出した領収書のどこにも独島に関する言及がない。これは、大韓帝国勅令の石島すなわち独島を行政的に管轄したという点、また、当時鬱陵島の日本人が独島でアシカとアワビを獲ったので、「情況上」から鬱島郡守に独島のアワビとアシカに対する輸出税を払ったというだけだ。しかし、「鬱島郡節目」に独島アワビを採る日本人たちから輸出税を受け取ったという証拠はない。この文で「鬱島郡節目」の原文とその翻訳文を明らかにするのはそのような理由のためだ。 (注1) 2010年10月、鬱陵郡は開郡110周年を迎えての「郡民の日」の行事に、初代の鬱島郡守であった裵季周(ペ・ケジュ)元郡守の子孫と、日本の独島編入の事実を最初に上部に報告した沈興澤(シム・フンテク)元郡守の子孫を招請した。この過程で裵季周の外ひ孫であるイ・ユミ氏が所蔵していた鬱島郡及び裵季周関連の資料が初めて出てきた。1902年4月当時の内部大臣の印章が押されているこの資料には、節目の他に裵季周任命の教旨(辞令)、裵季周及びその子、孫の写真などが含まれている。 (注2)ホ・ヨンラン、柳美林『中学校美しい独島』ソウル特別市教育監認定、2012.1.27,天才教育、2012.2, 60ページ (注3) 『文化日報』2012年8月16日 「鬱島郡節目」に関する資料紹介と研究としては、「鬱島郡節目の発掘とその意味―大韓帝国勅令第41号宣言に伴う鬱陵島と独島に関する行政管轄証拠」(キム・ヨンス『領土海洋研究』2, 2011 Winter)と「1902年の鬱島郡節目翻訳および解題」(『2010慶尚北道独島史料研究会研究報告書』慶尚北道2010)、「収税慣行と独島に対する実効支配」(柳美林『領土海洋研究』4 2011 Winter)がある。キム・ヨンスは副題に見るように「鬱島郡節目」を独島に関する行政管轄の証拠として把握している。柳美林は「鬱島郡節目」の収税慣行を検討して「貨物税」を輸出税と見なし、この当時、鬱陵島の日本人が独島のアワビとアシカを獲って鬱陵島で「貨物税」すなわち輸出税を払ったので独島の実効的支配の証拠と見なすことができるという。 この文では独島領有権に関連させて「鬱島郡節目」を語ることをやめ、裵季周(ペ・ケジュ)の行跡と「鬱島郡節目」に現れた鬱陵島の社会経済像を調べようと思う。そのために「鬱島郡節目」の翻訳を提示して、それを分析したい。 Ⅱ 「鬱島郡節目」の脱草文(判読文)と翻訳 筆者は2010年春、鬱陵島でキム・ギベクから「鬱島郡節目」を譲り受けた直後に、柳美林が「鬱島郡節目」を送ってきた。 鬱陵郡で「鬱島郡節目」を公開するとのことで、その後に資料を利用することにした。2010年、慶尚北道史料研究会の『2010慶尚北道独島史料研究会研究報告書』に柳美林が原文の脱草文(判読文)と翻訳及び解題を載せた。下の原文判読と翻訳は、当時嶺南大学独島研究所に所属したチョン・モンジュ研究員がした。それをここに載せ、柳美林の判読と翻訳を参照して筆者が修正した。 1 判読文 内閣總理大臣尹容善閣下 内部 鬱島郡節目 本郡陞設今旣兩年全島庶務尙多草創之中數三悖民興訛梗化煽動居民則不可不自本部講究方略確立郡規故別成節目以送依此擧行無或違越島民中若有如前執迷不遵令飭者這這摘發卽速馳報則當有別般嚴處矣惕念擧行節目辭意亦爲眞諺飜謄揭付各洞俾無一民不聞不知之弊事 一 日本潛越人等偸斫木料別般嚴禁事 一 本島人民中家屋田土或有暗賣外國人者當一律施行事 一 本島開拓尙未盡墾爲念民人成家姑未定稅凡於島民耕食居生若移居內陸不 得私相賣買還爲官有事 一 現存公廨爲七間則仍舊修葺若果狹窄四五間略加建築俾無民弊事 一 鄕長一員書記一名使令三名姑先略施以爲供役事 一 郡守以下鄕長書記使令餼料不得不自郡略略算定而本島戶數足爲五百戶則每戶春等麥三斗秋等黃豆四斗式收斂分排廩料事 一 五百戶每戶收麥爲三斗則共計一千五百斗作石則爲一百石內郡守一員廩況六十石鄕長一員餼料十二石書記一名十石使令三名每名六石式合十八石總計一百石以爲定式事 一 各道商船來泊本島捕採魚藿人等處每十分抽一收稅外他出入貨物從價金 每百抽一以補經費事 一 官船一隻 不可不急先辦備然後以便航路而來往本部調査委員入島時田士能李東信處偸斫木料之屬公者這這査徵以爲購買船隻事 一 未盡條件自本郡爛商會議 更爲磨鍊事 後錄 香木貳百斤間一年進上事 戶布錢五百兩每年輸納于度支部事 郡守年俸及鄕長書記使令餼料總算郡守春等麥六十石秋等黃豆四十石合一百石鄕長春等麥十二石秋等黃豆十二石合二十四石書記一名春等麥十石秋等黃豆十二石合二十二石使令每名春等麥六石秋等黃豆十二石三名合麥十八石合黃豆三十六石總計麥壹百石黃豆壹百石 光武六年四月 日 内部 (続く) |
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