日、韓国外交権剥奪1905年乙巳保護条約以後の日本地図にも独島なし 独島財団、日本地図4点入手公開 2016.04.19慶北道民日報 ▲ 1925年に大阪毎日新聞が発刊した日本交通分県地図。独島財団はこの地図を入手して分析した結果、島根県の管轄区域に独島が入っていないと明らかにした。写真=独島財団提供 [慶北道民日報=ソン・ギョンホ記者]日本が韓国の外交権を剥奪するために強制的に締結した1905年乙巳保護条約以後、日本で作った島根県の管轄区域地図に独島が入っていないことが分かった。 日本が独島領有権主張の根拠として立てる1905年のいわゆる「島根県告示」は、日本の中でも実効性のない対外宣伝用に過ぎなかったという指摘が出ている。 慶北道の支援機関である財団法人独島財団(理事長ノ・ジンファン)は、1905年以後に日本で製作された島根県地図4点を入手して18日公開した。これを見れば、1908年に日本文部省が発刊した中国地方、1925年大阪毎日新聞の日本交通分県地図、1938年和楽路屋出版社の島根県地図、1951年日本地図株式会社が出した島根県地図だ。 これらの地図はどれも島根県地域を中心に作ったものだ。島根県から北に約50km離れた隠岐島は詳細に表記しているが独島はない。 これまで、日本は無主地先占論を押し立てて、1905年2月22日の島根県告示40号を通じて国際法的に独島を島根県に編入したと主張して来た。しかし、今回発見された地図を通じて、日本が1905年の島根県告示以後にも島根県地図に表記しなかった事実が明らかとなった。つまり、日本が独島を韓国領土と認識していたという証拠と見ることができるわけだ。 パク・ギョングン独島財団次長は、「1905年以後の島根県管轄地域に独島が入った地図は発見できなかったし、日本でも発見したという話を聞いたことがない」と明らかにした。続いて、「地図を発刊した機関が日本の中央部署、有力新聞社、出版社などである点から推測して、島根県告示が日本国内では公式に公布されたことのない、単に国際社会に向けた宣伝用だった可能性が大きい」と強調した。 <コメント> 竹島を地図に描かなかったことが日本の領土ではないということに直結するわけではない。地図にはその地図なりの趣旨目的があるから、絶海の無人孤島は描かないこともあるだろう。竹島を描かない地図があるとしても、日本が竹島を実効支配して来た事実は否定しようがない。 「1905年以後の島根県管轄地域に独島が入った地図は発見できなかったし、日本でも発見したという話を聞いたことがない」という解説もあるが、竹島を日本領として描いた地図ももちろんある。 田中さんのサイトで二つ確認できた。 東亜輿地図 島根県誌 <追記 nobyさんからの御教示> 「文部省検定済教科書『最近統合帝国地図』(明治39 年及び大正4 年発行)における竹島の記載について」 『大日本交通明細地図』(1908年) http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20130507101438274_ja 『中国五県下交通明細地図』(1910年) http://mainichi.jp/articles/20151126/ddl/k32/040/481000c この件に対する舩杉力修氏の反論 http://www.ssri-j.com/SSRC/island/funasugi-1-20160419.pdf |
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1905年以後の地図といえば、大正4年の『最近統合帝国地図』にも竹島が日本領として描かれていますね。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/942360/9
地図ではありませんが、他にもさまざまな資料に竹島が日本領として書いてあります。
・『小学日本地理教授資料報告』(1908年) 「竹島 隠岐を去る西北八十五浬に在り隠岐島司の所管なり」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762041/104
・『地理的日本歴史』(1929年) 「この島がわが領土に編入されたのは明治三十八年二月」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242228/276
・『朝鮮総督府初等地理書「巻一」解説』(1934年) 「極東 東経130度56分 慶尚北道鬱陵島竹島」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280140/17
2016/5/7(土) 午後 11:45 [ nob*7*84 ] 返信する
なお、『最近統合帝国地図』については、この地図の発見について島根県が行った記者発表の資料が、島根県のサイトにあります。
http://www3.pref.shimane.jp/houdou/files/2E81A1BA-F426-4E79-B120-0B9157AFB18C.pdf
独島財団次長さんのコメントとして、「1905年以後の島根県管轄地域に独島が入った地図は発見できなかったし、日本でも発見したという話を聞いたことがない」と書いてありますが、この人達は本当に調査活動をしているのか、はなはだ疑問に思ってしまいます。
2016/5/8(日) 午前 0:01 [ nob*7*84 ] 返信する
「日本交通分県地図」ですか…そりゃ竹島は掲載されていませんよ(笑)
「『交通』地図」ですよ?
竹島に「公的道路」なんてあったかなぁ…船便にしても本土との定期便ってありましたっけ?
道路や定期便といった交通に関する主題図なのですから1905年当時の竹島が掲載されているわけがありません。
「掲載されていない!」って大いばりされても困りますよね。
2016/5/8(日) 午前 1:45 [ mam*to*o*1 ] 返信する
そもそも「地図」には「全ての領土を記載しなくてはならない」というルールはありません。
地図の目的(主題)に従って割愛されるものもあれば、詳述されるものもあります。
(写真の「交通地図」などでは、道路の入り組んだ部分は市街地図として別枠で掲載)
地図で「領土と認識していた、認識していなかった」を主張したり判断するのはとても愚かな事柄です。
でも韓国としては「地図にこだわるしかない」のでしょう。
なぜなら「(于山島=竹島と言い張って)それくらいしか主張できる証拠がない」からでしょうね。
2016/5/8(日) 午前 1:59 [ mam*to*o*1 ] 返信する
本件については、舩杉力修氏が反駁文を出していますね。
http://www.ssri-j.com/SSRC/island/funasugi-1-20160419.pdf
他にも、竹島記載の地図に関する報道が、ネット上にありました。
・『大日本交通明細地図』(1908年)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20130507101438274_ja
・『中国五県下交通明細地図』(1910年)
http://mainichi.jp/articles/20151126/ddl/k32/040/481000c
これらの地図は、mamatotoさんがコメントされている「日本交通分県地図」(1925年)と同じく、大阪毎日新聞が発行したものです。編入直後の時代には、竹島と隠岐との航路を地図に書いていたようですね。次第に、海上の往来が減少してしまったのでしょうか。
それにしても、調べると地図発見の報道記事がいくつも出てきます。独島財団の皆さん、もっとしっかりと調査活動をしてください笑
2016/5/8(日) 午前 11:40 [ nob*7*84 ] 返信する
nobyさん、情報ありがとうございます。本文に追記しました。
2016/5/8(日) 午後 2:37 [ Chaamiey ] 返信する