昭和に入ると、日本は戦争に突き進み、国際情勢は緊迫の度を増していきます。日本は米国や欧州諸国による経済封鎖が敷かれ、国内では様々な物資が不足するようになりました。これに伴い金属製品も統制を受け、41年(昭和16年)に御下賜品は木製の盾になりました。盾は文化勲章メダルなどの制作も手がけた東京高等工芸学校の教授・畑正吉がデザインし、鋳物師・持田増次郎が金物を制作しました。これが現在の盾の原型になります。47年(昭和22年)春、「平和賞」の名で行われた際には賞品の下賜がありませんでしたが、同年秋には盾に戻りました。このときから盾は持ち回りとなり、馬主にはJRAが制作した盾の複製品(本物の3分の2ほどの大きさ)が与えられることになります。つまり、現在の盾は47年から使用されているものなのです。
京都の芝コースのゴールポストも天皇賞仕様になっている
■職員が輸送、細心の注意
では、盾は普段どこに保管され、どのように管理されているのでしょうか。レースの賞品の管理や購入を行うJRA京都競馬場総務課の坂上英樹・会計担当課長によると、盾はレースが行われた競馬場内の金庫に厳重に保管されているということです。次の開催が近づくと、もう一方の競馬場に移動させます。たとえば、秋に東京競馬場でレースが行われた後は東京に半年ほど保管され、春の京都でのレースに向けて1カ月から2週間ほど前に輸送するという流れです。毎年、東京と京都の競馬場を交互に盾が行き交うことになります。今回の場合、レース11日前の18日に京都競馬場に到着しました。
唯一無二の盾で保険は利かないため、輸送は外部の業者に依頼せず、総務課の職員が直接取りに向かいます。しかも慎重を期すために必ず複数(多くの場合2人)で行います。東京―京都間は新幹線、それ以外の行程は全てタクシー移動です。丁重に扱わなくてはならないため、輸送中も気を抜けません。新幹線内では3人掛けの真ん中の席に置き、両隣を職員が挟みます。他の乗客の迷惑にならないよう、あまり混雑しない昼の時間帯に乗車するということです。タクシーでも職員が盾を膝の上に乗せ、抱えて持っていきます。当然、床に置いたりトランクに入れたりといったぞんざいな扱いは許されません。輸送の際にはやはり「緊張します」と坂上課長。代々受け継がれてきた輸送手法ということで、若い職員への教育は徹底しているそうです。
既に芝コースのゴール板は天皇賞仕様になり、場内の入場門やパドックにも天皇賞を示す大きな幕が張られ、舞台は整いました。栄光の天皇盾を手にするのはどの馬主でしょうか。盾の重さは約5キロ。門外不出だけに筆者ももちろん、自らの手でその重みを実感することはできませんでした。勝者だけが手にできる重みは、実際の数値以上の手応えなのかもしれません。
(ラジオNIKKEIアナウンサー 米田元気)
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2011年、ヴィクトワールピサが日本馬で初めてドバイ・ワールドカップを制したとき、現地でその瞬間を見届けた方々が口々に「異国の地で聴く『君が代』に感動を覚えた」と語っていました。以来、実況アナウンサ
男もすなる日記というものをアナウンサーもしてみむとてするなり。4カ月で終わった平成31年。ここまでを振り返って思いついたことを書いてみたいと思います。
■1月12日(土)京都競馬場にて
京都競馬場の放
「大型連休は横浜・根岸へ」
「そうだ。根岸へ行こう!」
桜が咲きそろいつつあった3月下旬。近所の桜の名所は何年も見てきたし、飽きてきたなぁ……と思っていたある日。ふとひらめいた。そうだ。根岸へ行こう