あす29日、京都競馬場で第157回天皇賞・春が行われます。年に2回、春秋(秋は東京競馬場での開催)に行われるこのレースは1937年(昭和12年)秋が第1回とされ、80年近い歴史を刻んでいます。そして、天皇賞の代名詞としてよく用いられるのが「盾」です。天皇賞を10勝し、昭和の競馬史に多大な貢献をした保田隆芳元騎手は「盾男(天皇賞男)」と呼ばれ、28日現在で天皇賞を14勝している武豊騎手も当初は「平成の盾男」の異名がありました。いずれも表彰式の際に優勝馬主へ下賜される、いわゆる天皇盾からきているものです。国内のレースで盾が手渡されるのは天皇賞だけ。そこで今回は天皇盾の秘密にクローズアップしていきます。
天皇盾は移動の際も厳重な手順で運ばれる
現在、馬主に下賜される天皇盾の正式名称は「御紋付楯」です。縦56センチ、横(最長部)49.5センチの木材(ラワン材)でできた板に「競馬恩賞」の文字が板金ではめ込まれ、その上部に鋳物で金メッキされた菊の御紋章が輝いています。盾は天皇陛下から賜った唯一無二のものであるため、敬意を表して素手では取り扱わないことになっており、表彰式で馬主は白い手袋をして受け取ります。これが他のレースとの大きな違いです。表彰式をご覧になる機会がある方はぜひご注目ください。
■現在の盾、70年前から使用
実は、レースの御下賜品として盾が最初から使用されていたわけではありません。ここからは御下賜品の変遷をひもといていきます。日本中央競馬会(JRA)が2005年に発行した記念誌「天皇賞競走100年の記録」(非売品)によりますと、記録がある中で最も古い御下賜品は明治時代の天覧競馬に遡ります。1875年(明治8年)12月19日、競馬に出場した軍馬局出張員らにはミカンとぶどう酒が、翌年7月には馬見所を新築した商人に200円と大杯が下賜されました。その後も天皇のお好みに合わせた競馬が行われた際には、花瓶や織物などが騎手への賞品となりました。
京都競馬場のパドックには天皇賞・春の開催を告げる横断幕が準備されている
一方、馬主への御下賜品は、1880年(明治13年)春の横浜競馬での花瓶(金銀銅像嵌銅製花瓶一対)が現存する最古のものとなります。品はそのほか、銀製サラダ椀、銅製の馬象など多岐にわたりました。1902年(明治35年)年ごろからは、宮内省御用達職人の鍛金家による御紋付きの花盛鉢や花盛器が中心となりました。1918年(大正7年)ごろからは三越、天賞堂、サムライ商会など宝飾品を扱う商社や美術商による制作に変わりました。菊の御紋の周りに「競馬恩賞」の文字が刻印されるようになったのは当時のことです。大正末期から昭和にかけては、御紋付きの洋杯に切り替えられました。
2011年、ヴィクトワールピサが日本馬で初めてドバイ・ワールドカップを制したとき、現地でその瞬間を見届けた方々が口々に「異国の地で聴く『君が代』に感動を覚えた」と語っていました。以来、実況アナウンサ
男もすなる日記というものをアナウンサーもしてみむとてするなり。4カ月で終わった平成31年。ここまでを振り返って思いついたことを書いてみたいと思います。
■1月12日(土)京都競馬場にて
京都競馬場の放
「大型連休は横浜・根岸へ」
「そうだ。根岸へ行こう!」
桜が咲きそろいつつあった3月下旬。近所の桜の名所は何年も見てきたし、飽きてきたなぁ……と思っていたある日。ふとひらめいた。そうだ。根岸へ行こう