大津園児死傷事故、保育園会見マスコミ批判への見解 京都新聞
大津市で8日に起きた保育園児らの死傷事故で、保育園側が開いた記者会見を巡り、報道機関への批判が起きています。「園は被害者なのに、なぜ取材する必要があるのか」「マスコミは園の過失を追及しているように見える」といった声が京都新聞にも寄せられています。今回、大きな批判が起きた理由と背景を探り、京都新聞の考えをお伝えします。
記者会見取材への批判
今回、事故が起きた当日の5月8日に、被害にあったレイモンド淡海保育園の運営法人が記者会見を開き、園長や法人幹部が事故の状況を説明しました。冒頭の質問で、犠牲になった園児がどのような子どもだったのかを問われた園長が涙で声を詰まらせ、25分間の会見では終始涙声で記者とのやり取りを続けました。会見の様子はテレビで生中継されたほか動画サイトにも上げられ、その映像を見たと思われる読者から「泣いている園長を責めているようだ」といった批判が高まりました。
なぜ被害者を取材するのか
批判の中には、「深い悲しみにある被害者や遺族は、そっとしておくべきなのに、なぜマスコミは取材するのか」という指摘があります。
その疑問に答えるために、なぜ報道機関が事件・事故の報道をするのかという理由とあわせて説明したいと思います。
報道機関の最大の役割は、「正確な事実の速報」です。例えば、近所でパトカーや救急車のサイレンが鳴り響いているのに、何の情報もなければ多くの人は胸騒ぎを覚えるでしょう。でも、どこで何が起きているのか分かれば、ひとまず安心したり、あるいは急いで対応したりできるはずです。
しかし事件などの発生当初は、警察でも全容を把握できていなかったり、把握していたとしても発表を控えたりすることがあります。そんな時、何が起きたのかを知るため、加害者や被害者を含む当事者に話を聞く必要が出てくるのです。
事件・事故報道のもう一つの役割が「再発防止」です。報道機関は事故などが起これば、その背景や原因を探ります。それなしには、再発防止に向けた対策が立てられないからです。
遺族や被害者を取材するのも「再発防止」が大きな目的です。当事者でなければ語り得ない思いや犠牲者の人となりを伝えることは、事件・事故の悲しみや理不尽さを社会で共有し、再発防止に向けた機運を高めることにつながります。
今回の事故でも、「正確な事実の速報」「再発防止」という報道機関の責務を果たすため、被害者側である保育園にも直接取材する必要がありました。
記者会見を振り返る
記者会見は、保育園を運営する法人側が「事故の状況を説明する」として開きました。法人側は、開催の理由を明らかにしていませんが、多数の報道機関からの取材に対応する必要があったということは容易に想像できます。
会見では保育園を運営する園長や法人理事長、副理事長ら計4人が対応しました。京都新聞を含め新聞4社、放送2社、社名を確認できない2社の記者が計32の質問をしました。
内容を大別すると(1)散歩の参加者数や年齢、コース、時間(質問の数16問)(2)散歩時の安全対策や、事故現場が危険だったのかどうかという保育園側の認識(同12問)(3)犠牲になった子どもたちについて、また園長の子どもたちへの思い(同4問)-です。
京都新聞は、いずれも、狙いとしては必要な質問だったと考えています。
散歩の参加者数やコースなどの客観的事実は、どのような経緯で事故にあったのか、全体像を把握する上で不可欠な情報です。
散歩時の安全対策や、園が現場を危険ととらえていたのかどうかについては、子どもの命を預かる園・法人として、事故防止に向け普段からどのような取り組みをしていたのか確認するのが目的です。
犠牲となった園児の生き生きとした生前の様子や、園長の思いを伝えることは、先ほど述べたように社会全体で悲しみを共有することにつながると考えています。
なぜ批判が高まったのか
京都新聞に寄せられたマスコミ批判の中に「保育園は被害者なのに、責任や過失を追及している」といった指摘があります。そのような印象を与えた大きな理由は、犠牲になった園児について問われた園長が涙する中、園長・法人関係者に対して、安全対策や、現場を危険と思っていたのかどうかといった質問が続いたことだとみられます。この映像を目にした人たちの多くは「記者たちが、泣いている園長を問い詰めている」という印象を受けたのではないでしょうか。
京都新聞編集局の複数の記者が動画をチェックしましたが、他社の記者を含め、詰問調や糾弾するような問い掛けは確認できませんでした。また園長は、園児について問われると涙で言葉に詰まっていましたが、散歩のコースや安全対策の質問には、可能な限り答えようとしているように見えます。
園長と法人関係者の説明から浮かび上がったことは、今回の事故が、安全と思われていた散歩道で、車道から遠い側の歩道を歩くなど安全に配慮していたにも関わらず起きてしまった-ということです。いわば、決して特殊なケースではなく、いつどこで次の事故が起きてもおかしくないことが示されたわけで、社会全体で再発防止に取り組む必要があるという機運が高まりました。
私たちが得た教訓
記者会見はあくまで事実を明らかにするという取材の一過程です。会見翌日の京都新聞9日付朝刊には、園の過失や責任を問うような記述はありません。
とはいえ、テレビや動画の視聴者の中には不快感を覚えた人がいたのは事実でしょう。批判が高まった背景には、これまでの被害者取材に起因する根深いマスコミ不信があることが想像できます。
報道機関が事件・事故の際に被害者を取材する中で、ただでさえ混乱し、深い悲しみにある遺族や関係者をさらに傷つけてしまうことがあります。京都新聞もこれまでの取材を振り返ると、その批判を免れないことがあったと思います。被害者取材の目的として「正確な事実の速報」と「再発防止」を挙げましたが、それはあくまでも報道する側の論理で、被害者や遺族がそのような取材に協力する義務はありません。
一方で、遺族らの中には、報道機関を通じて思いを広く伝えたいという人たちがいないわけではありません。これまでの京都新聞の事故取材では、遺族と信頼関係を築き、息の長い報道を続けている記者もいます。取材を無理強いすることは決してありませんが、被害者へのアプローチはこれからも必要だと認識しています。
取材がはらむ加害性を常に自覚しながら、報道の責務との調和を追求する-。そんな姿勢が今までになく強く求められているというのが、今回私たちが得た教訓です。
事件・事故取材ではこれまで以上に被害者の心情に配慮した取材方法を検討し、当事者と読者の皆さまの理解と信頼を得られるよう努めてまいります。
【 2019年05月21日 11時00分 】