池内教授は、外務省の「なぜ日本の領土なのかがハッキリわかる!竹島問題10のポイント」に天保の竹島渡海禁止令のことが書かれていないことについて、次のように書いています。 ところで、竹島の日本領たることを主張する際に、かつては天保竹島渡海禁令に言及する場合が少なくなかったが、日本パンフはこの点にも触れない。川上健三も取り上げた重要な論点なのに、である。(p102) 池内さんの理解では、天保の竹島渡海禁止令というものは「天保竹島渡海禁令にも松島(竹島)渡海を禁止する文言が明示されないが、元禄竹島渡海禁令を踏まえて発令されたものである以上は、ここでも継続して日本人の松島(竹島) 渡海が禁止されていることが明らかである。」というものなので、外務省がこの件を取り上げないのは「竹島は日本の固有の領土」という主張に不利になるから無視しているのだろうとお考えのように見える。 しかし、実際は天保の竹島渡海禁止令は竹島(鬱陵島)には行くなということを周知しただけのものであって、現竹島の領有権を積極的に裏付けるものではない(また、否定するものでもない)から、「10のポイント」という基本的なことを解説するレベルの広報文において天保の竹島渡海禁止令を取り上げる必要性はほとんど無いでしょうね。八右衛門たちが「最寄りの松島に渡海する名目をもって竹島へ渡り・・・・・」という密議を行ったことから「この事件の当時においても松島への渡航は何ら問題はなかった」とする解釈はありますが、これもそもそも「元禄の竹島渡海禁止令では松島への渡海も禁止された」などという間違ったことをしきりに言う人たちがいるからそれへの反論として持ち出すことになるものであって、言うならば副次的な議論ですからね。結局、「10のポイント」に天保の竹島渡海禁止令のことが出ていないのは当然というか当たり前のことであって、怪しむべきことではありません。 (この項終わり) |
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これまで、天保竹島一件は重要視していませんでしたが、管理人さんの本項解題でけっこう重要な事件だな!と感じました。幕府の対朝鮮専門部局対馬藩も、旧松島の位置付けついては断定的な結論は持ち合わせていません(解釈としては属島的認識アリ・無所属説も排除していない)。幕府は元禄竹島一件の時に竹島鬱陵島を朝鮮領と認定→渡海禁止。それ以上でもない・それ以下でもない。
結局は、1883年明治16年松島こと鬱陵島が再度渡海禁止(歴史は繰り返す!?笑)。このときもリャンコ島(旧松島)は問題となっていません。結局1904年明治37年(9月)に、天保竹島一件のときからあった属島的認識を排除して、リャンコ島無所属説を採用ですかね。
2016/3/9(水) 午後 8:54 [ gku***** ] 返信する
「歴史は繰り返す」ですねえ。元禄、天保、明治と日本の中央政府はしつこく「鬱陵島へは行くな」だけを繰り返しました。
2016/3/9(水) 午後 9:11 [ Chaamiey ] 返信する
(23)の1877年の太政官指令の記事、変なのがはいっていますが、・・逆に朝鮮領だと判断したわけでもない、・・<は言えますね。江戸時代~は、属島的解釈(竹島・松島セット論)はあったが無所属説も排除していない。竹島・松島セット論は、”竹島外一島”の表現に表れています。
しかし、その後明治16年禁令を出す過程において、松島も(リャンコ島・旧松島ではなく)鬱陵島だとその誤謬を修正しています(本ブログ外一島過去記事)。韓国側の批判は当たりません。
2016/3/11(金) 午後 6:14 [ gku***** ] 返信する
・{天保竹島1件}により、間接的・結果的にせよ、{松島}の存在が浮き彫りされたといえ、{松島}へならば是との幕府の姿勢が読み取れると思います。
2016/9/28(水) 午後 2:44 [ おそ次郎 ] 返信する