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 うん、そりゃまあ、九州から向かうなら右の島かも知れんが、隠岐から向かうならば手前の島だろうし、青森からならば左の島になってしまうんではないか?



 コーヒーとかお茶など飲みながらこれを読んでいる人は、今回の記事の末尾の立て札の紹介文のところで吹かないように注意。 




独島博士チョン・ヨンチョルの独島の話 7
 
 
鬱陵島領有論争と独島渡海禁止

国際ニュース 2015.06.09  

 安龍福が対馬を経ずに日本に入って江戸幕府と直接交渉をして帰って来た以後、対馬は自ら不安に震えたこれまで日本と朝鮮との交易を独占して行ってきた不正と腐敗が安龍福の日本訪問を通じて江戸幕府に知らされたと判断したためだそして対馬は自分たちの仕業をうやむやにして自らの立場を維持するためには江戸幕府に何か意味のある功績を立てなければならないと考え、書契を利用して鬱陵島を日本の領土ということにしようとした。そして1693年春に安龍福が日本に行って来たその年の冬、対馬から次のような内容の書信を朝鮮朝廷に送って来た。
 
 「貴域の海辺で魚を獲る民たちが毎年本国(日本)の竹島(当時の鬱陵島)に船に乗って来たので、今春に漁民40人余りが竹島に入ってきて乱雑に魚を獲るので、土官(翻訳者注:翻訳怪し)がその2人を捕まえて一時の証質としようとしたが、本国で藩主(翻訳者注:翻訳怪し)が東都(日本の首都、すなわち江戸幕府)に早く事実を知らせようとして、漁民を弊邑(対馬)に任せて故郷に送り返すようにしたので、今後その島に断じて船を容認しないようにして、より一層禁制を保持して両国の交誼に隙間が発生しないようにしてほしい。」(朝鮮王朝実録 粛宗20(1694) 223(辛卯)記事)
 
 このように送ってきた対馬の書信に対して朝鮮朝廷の礼曹では「弊邦(朝鮮)では漁民を禁止取り締まって外洋に出て行けないようにしたので、例え我が国の鬱陵島であってもはるかに遠くにあるという理由で勝手に往来できないようにしたが、ましてそれ以外の島でしょうか? 今、この漁船があえて貴境の竹島に入って送り返す手間をかけて、国境を越えて深く入って乱雑に魚を獲るのは法としても当然厳しく懲戒しなければならないことであるから…」(朝鮮王朝実録 粛宗20(1694) 223(辛卯)記事)と返信をした。
 このような朝鮮朝廷の返事内容に対して、対馬は「書契にはただ竹島とだけあれば良いことなのに、鬱陵島を挙げて話すのは何の理由か?」として、朝鮮朝廷の返信内容のうち鬱陵島を削除することを執拗に要請したが、朝鮮では聞き入れなかった。
 
このように日本に送った書信に対する回答書は次のような内容で、その年の夏(8)に対馬州を通じて朝鮮に送られたが、「私たちの書契にはかつて鬱陵島に言及しなかったが、回答書では突然「鬱陵」の二つの字を取り上げ論じました。これは理解し難いのですぐに削除してほしい。」(朝鮮王朝実録、粛宗20(1694) 814(己酉)記事)。 その内容の核心は、朝鮮朝廷の書信内容から「鬱陵」という二つの字を削除してくれというものだった。
 このような要求は、対馬側で、朝鮮朝廷の書契から「鬱陵」という文字を削除することになれば文書上で竹島(鬱陵島)が自然に日本の土地になるという点を狙っていたのだ。 このような意図を朝鮮朝廷で識別して、粛宗王も「狡猾な倭人の情状から見て、必ずや占拠して所有しようとすることであるから」と発言して対馬側の意図を把握していた。
 再び年が変わって1695年になるとすぐに対馬側から第2の書に対する回答を要求してきたが、朝鮮朝廷では二つの書信の内容は同一なので、一度返事をしたことで充分だとして拒絶した。鬱陵島をめぐる朝鮮と日本のこのような交渉の結果は、1696128日、江戸幕府が日本人たちの竹島(鬱陵島)渡海禁止措置として現れた。結局、竹島渡海禁止措置は安龍福の外交的努力の結実といえる
 


(写真提供=ホダム政策研究所) 江戸幕府時代の独島渡海禁止の立て札。2013315日、日本、京都の競売に出て韓国人事業家が落札し、20141月国内に入ってきた。1837年に掲示された独島渡海禁止の立て札。立て札には「竹島(当時の鬱陵島)は元禄(元禄16881704)時代から渡海停止を命令したところであるから他の国の土地に航海することを厳重に禁止する。」とし、「竹島(鬱陵島)右側の島も航海してはいけない。」と記録されている。 ここで右側の島というのは独島をいうものだ




<コメント>
 対馬藩が安龍福のために不正がバレるのではないかと不安に震えた? いったいどこからそういう話が出てくるのかな? 元禄竹島一件の話の中にそういうことはないと思うのだが。
 
 交渉の中で対馬藩が朝鮮側の文書から「鬱陵」という文字を削ってくれと言ったのは事実のようです。独島博士はこのことを、対馬藩が不正をごまかすために幕府に功を立てようとしたのだと言っています。 独島博士殿の頭の中では、この交渉の前に既に幕府は安龍福に対して「竹島(鬱陵島)と松島(今の竹島)は朝鮮のものと認める」と約束しているということになっているのですが、それにもかかわらず、対馬藩は幕命に背いて鬱陵島を日本のものにしようと勝手なことを実行したということになります。独島博士殿は、対馬藩が後で幕府にバレたならば厳罰を食らうかもしれないそんな危険なことをしたと思っているんでしょう。

 ところが、実際は、このとき対馬藩は幕府から、竹島(鬱陵島)は日本のものという方針のもと、「朝鮮人の竹島(鬱陵島)渡航を禁止させろ」という交渉課題を受けていたのだから、「鬱陵」という文字を削ってくれというのは、幕府の方針とそれほど乖離した話でもないですね。
 
 まあ、こういうような元禄竹島一件の細かな話は、現在の竹島問題には別に関係のないことです。元禄竹島一件の話では、最終的に幕府は竹島(鬱陵島)を朝鮮領と認めて日本人の竹島(鬱陵島)渡航を禁止したことと、その際、松島(今の竹島)への渡航禁止命令なんぞは出なかったということだけが、現在の竹島問題にとって重要なことです。

 
 そして、今回の独島博士のお話の最後の部分では、本文が元禄竹島一件の話なのに、なぜか突然「天保竹島一件」の事後処理としての竹島(鬱陵島)渡海禁止の高札が紹介されています。

 まーだ「右の島」なんて言ってる御仁がいたとは何ともはや・・・・・これを見ただけでも、「独島博士/チョン・ヨンチョル ホダム政策研究所長」という人がいかにいい加減なことを言って韓国人たちにウソの情報を垂れ流す人か、ということが分かります。
 
 「右の島」というのは、およそ次のような文脈で書かれているのです。「右の島」は竹島(鬱陵島)です。

 今般、松平周防守の元の領地である石州の浜田松原浦にいた住所不定の八右衛門が竹島(欝陵島)へ渡海した一件、吟味のうえ、右の八右衛門その他はそれぞれ厳罰に処された。右の島は、昔は伯耆・米子の者たちが渡海して漁労などをしたが、元禄期に朝鮮の国へお渡しになった時から渡海停止が仰せつけられた場所である。
 すべて異国へ渡海することは重いご禁制である。今後、右の島のことも同様に心得て渡海してはならない。もちろん、国々の廻船などは海上で異国船に出合わないように乗り筋などを心がける旨を先年も触れたとおりであるが、いよいよ守り、以後はなるべく遠い沖へ出ないように乗り回すことを申しつける。



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「竹島」をすりかえた朝鮮日報  http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/48492741.html












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「『竹島(鬱陵島)の右側の島も航海してはいけない。』と記録されている。」とは、無知をさらしていますね。「右の島」=鬱陵島だと教えてやらないと一生恥をかき続けることになるのですがねぇ。こういう基本的なことすら間違えている御仁が「博士」を名乗るとはいやはやもう……。

天保竹島事件の立札は今日の竹島を放棄していないことを証明するものです。韓国にとっては不都合な物件なのですが、それに気づいていないとは……(クックックッ、笑いを堪えるのも大変だ。)

2015/6/29(月) 午前 2:33 [ Makoto ] 返信する

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元禄竹島一件の細かな話は、現在の竹島問題には別に関係のないことです。<とボクも理解しています。興味ある時代は、やはり、1900年10月25日勅令41号~06年7月13日鬱島郡配置顛末までの事実関係です。 削除

2015/6/29(月) 午後 8:33 [ Gくん ] 返信する

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> Gくんさん

大韓帝国勅令第四十一号(1900年10月25日)はその請議書から韓国による竹島(韓国称:独島)領有宣言とはいえないのは明らかです。竹島の領有を主張した文書があるかというとありません。継続的かつ平穏な国家主権の表示を伴った占有がなされた事実もありません。こんな状態なのに第二次世界大戦後、竹島の領有を主張しだしたのです。法的根拠がないにもかかわらず領有を主張するなんて、常識的にはありえないのですが……。

2015/6/30(火) 午前 4:38 [ Makoto ] 返信する

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Makotoさん、ありがとうございます。「勅令41号」そうなんですよね。そこを捻じ曲げて、例えば石島=独島説に持って行ったりしています。かの池内敏センセもこの仮説は、一蹴します(というか相手にしない感じ・笑)。
この1900年10月25日~06年7月13日の鬱島郡配置顛末には、相手側主張・事実関係に不可解なところがあったり説明できないところが多々出て来ます(石島=独島説とかもそうです)。ゆえにこの「竹島問題」の争点・論点は、この5~6年に凝縮されているではないかと思うんですよね。 削除

2015/6/30(火) 午後 5:31 [ Gくん ] 返信する

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発音の類似性を根拠に石島=独島と言っていたのに、大韓帝国勅令第四十一号の請議書によってこの説が成り立たなくなっちゃいましたね。それにもかかわらず、いまだに石島=独島と主張し続けているのが信じられません。

2015/6/30(火) 午後 11:56 [ Makoto ] 返信する

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「右の島」ですか。最初、本スレの独島博士の文書を見たときに、少し違和感を覚えました。
あれ?立て札の原文を読めば、右の島=竹島(鬱陵島)、ということはすぐにわかるはずだったけどなぁ・・・と。

少し考えて、ようやく分かりました。この独島博士は、立て札の原文を紹介する際に「右の島」と書くのではなく、「竹島(鬱陵島)の右の島」と書いているんですね。だから、右の島=竹島(鬱陵島)、読み取ることが難しくなっているようです。
実際には、管理人さんの紹介する原文を見てもわかるとおり、そこには「竹島の」+「右の島」という表記はありません。この独島博士は、原文の文面を把握していないのか、捏造しているのか、どちらかだと思われます。

余談ですが、現在、シンシアリー氏の「韓国人による沈韓論」という本を読んでいて、その中に「(韓国では)日本を悪くするための嘘ならそれは正義である。」という筆者の指摘がありました。これに照らし合わせれば、独島博士は正義感に満ち溢れた方なのかも知れませんね笑。日本にとっては迷惑な話ですが。

2015/7/1(水) 午前 0:48 [ nob*7*84 ] 返信する

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竹島問題を始めとして日韓関係について発言する韓国人の大半は、日本は悪だから正義の韓国が懲らしめるべきだと思っているんでしょうね。
竹島については、韓国人たちの主張は、結局のところ「日本は独島領有の主張をやめろ」ですしね。

2015/7/1(水) 午後 11:34 [ Chaamiey ] 返信する

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