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【大相撲】

朝乃山、初V! 令和初、富山県出身103年ぶり賜杯

2019年5月26日 紙面から

豪栄道(右)を寄り切りで破った朝乃山。結びの一番で鶴竜が敗北し、初優勝を決めた=両国国技館で(潟沼義樹撮影)

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◇夏場所<14日目>

(25日・両国国技館)

 単独首位の平幕朝乃山(25)=高砂=が大関豪栄道を寄り切って12勝2敗とし、3敗で追っていた横綱鶴竜が関脇栃ノ心に敗れたため、千秋楽を待たずに初優勝を果たした。三段目最下位格付け出しデビューの朝乃山は、初土俵から所要20場所での初制覇で、史上8番目の速さ(付け出しを含む)。新入幕から所要11場所は、年6場所制となった1958年以降で8位のスピードとなった。平幕優勝は昨年初場所の栃ノ心以来。三役経験がない平幕の制覇は61年夏場所の佐田の山以来、58年ぶり。栃ノ心(31)=春日野=は10勝目を挙げ、規定により1場所での大関復帰を決めた。十両は、貴源治(22)=千賀ノ浦=が13勝1敗で優勝を決めた。

 「富山の人間山脈」の異名通りのパワフルな攻めで、大関相手でも一歩も引かない朝乃山が、令和最初の場所で初優勝にたどり着いた。豪栄道に先に左上手を許す苦しい展開から187センチ、177キロの恵まれた体を生かして立て直して左上手を引き、自己最多の12勝目をもぎ取った。

 土俵下で息をのんで見守った結びの一番。鶴竜が敗れた瞬間、自身と同じ富山市の呉羽地区出身の横綱太刀山以来、103年ぶりとなる富山出身力士Vという歴史的な瞬間を迎えた。

 「まだ実感はないっす」。祝福の拍手と大歓声の中、表情を変えずに引き揚げた。最初に笑顔を見せたのは、TVインタビューを終え、大関復帰を決めた栃ノ心とすれ違ったときだった。

 「『おめでとう』って言ってもらえて、うれしかった。昨日は『すいません』と謝りたかった」

 13日目、栃ノ心との際どい土俵際の攻防で行司軍配差し違えの末、白星を拾った一番が心に影を落としていた。「喜べない。納得してないんで。自分も(栃ノ)心関も悪くない…」と誰も責めない。一方的に攻めながら足を送れず、仕留めきれなかったことをひたすら課題に挙げた。

 この日も、支度部屋に戻ると報道陣とのやり取りを中断して、まずリプレー映像を注視した。「反省は先に上手を取れなかったこと。上位には通用しない」

 明治から大正にかけ、9回優勝した郷土の英雄・太刀山を目標にするからこそ、向上心を燃やし続ける。相撲の原点は太刀山の遺族の寄付で完成した「太刀山道場」だった。

 小4で相撲を始めた頃は遊びの延長にすぎなかったが、道場がなければ「(相撲を)やってなかったかな。横綱がいたからこそ、土俵ができたと思う」と感謝の思いは尽きない。

 千秋楽は1歳上で、学生相撲時代から背中を追ってきた御嶽海に挑戦する。「満足せず、先があるので目指していく」。白星締めで堂々と賜杯を受け取り、新時代を引っ張る新たな一歩を踏み出す。 (志村拓)

◆両親も誇らしげ

 朝乃山の晴れ姿を両親は国技館の升席で見届けた。初優勝の可能性が出たことを受け、急きょ駆け付けた父の靖さん(61)は「信じられない。誇らしい」と感慨深げ。劣勢から豪栄道を力強く寄り切った姿が頼もしく映ったようで、「まだまだ強くなると思う」と期待を込めて話した。母の佳美さん(56)は「けがをしたこともあったので、ずっと心配していた」と打ち明け、大輪の花を咲かせた息子へ、ねぎらいの拍手を送った。

<朝乃山英樹(あさのやま・ひでき)> 本名・石橋広暉。1994(平成6)年3月1日生まれ、富山市出身の25歳。187センチ、177キロ。高砂部屋。小学校4年で相撲を始める。富山商、近大を経て、2016年春場所で三段目付出で初土俵。17年春場所で新十両、同年秋場所で新入幕。最高位は西前頭5枚目。得意は右四つ。幕下優勝1回。敢闘賞2回。新十両が決まった時、石橋から朝乃山に改名。同時に下の名も、高校時代の監督の故浦山英樹さんにちなんで改めた。

 

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