2019年4月11日、ヘブライ語で創世記を意味する「べレシート」と名付けられたイスラエルの月面探査機が、月面着陸を試みた。成功すれば民間探査機として初の偉業で、宇宙探査の新時代を切り拓くはずだった。イスラエルの非営利組織「スペースIL」が製作したべレシートは、晴れの海(月の表側の北部にある広大な火山性盆地)への着陸を試みたが、降下中にメインエンジンに不具合が生じた。エンジニアたちはべレシートをリセットしたが、通信不能に陥り、重さ150キロの探査機は墜落した。(参考記事:「NASA公式写真家が撮影してきた「宇宙への挑戦」 写真15点」)
スペースILの筆頭出資者で代表のモリス・カーン氏は、着陸のライブ中継で「成功はしませんでしたが、挑戦することはできました。どんな形であっても、目的地に到達できたのは素晴らしいと思います」と語った。「私たちはこの挑戦を誇りに思います」
「挑戦しないことと、失敗することは違います」
成功していれば、イスラエルは月面に着陸した4番目の国となり、スペースILは、主に民間からの寄付によって地球以外の天体に宇宙探査機を着陸させた、最初の組織となるはずだった。べレシートには、2台の科学機器と「ルナ・ライブラリ」を含むデジタルタイムカプセルが積み込まれていた。この記事の発表時点では、探査機と搭載機器にどの程度の損傷が生じたかは確認できていない。
着陸は失敗に終わったが、このミッションは画期的だった。べレシートは、これまでで最も月面着陸に近づいた民間探査機となり、イスラエルは、探査機を月周回軌道に投入することに成功した7番目の国となった。
米セントラルフロリダ大学の惑星科学者フィル・メッツガー氏は「ミッションに挑戦しないことと、失敗することは違います。失敗は前進なのです。そこまで行けると証明されたのですから」と言う。「宇宙で道に迷わず、月に衝突できたのです。これは驚異的です! ミッションの99%はやり遂げたと言ってよいでしょう」
べレシートの挑戦は、8年以上前に始まった。スペースILが発足したのは2010年末のこと。きっかけは、ヤリブ・ バッシュ、クフィル・ダマリ、ヤナタン・ヴィネトラウブという3人の学生が、ある晩テルアビブ郊外のバーで酒を飲んでいたときに、月に行く宇宙探査機を建造できると確信したことだった。
彼らは早速、グーグル・ルナ・Xプライズにエントリーした。2007年に始まったグーグル・ルナ・Xプライズは、月面に探査機を送り込むことに最初に成功した民間組織に2000万ドル(約22億円)が与えられるという国際的なコンテストだった。バッシュ氏は「まったくクレイジーでした。これほどの大ごとになるとは思っていませんでした」と言う。「今、私の元には、宇宙飛行士のような服を着た子供たちの写真が送られてきます。こういうものを見ると、プロジェクトの広がりを実感して嬉しくなりますね」(参考記事:「民間チームが挑む 月面探査レース」)
このミッションの経緯や意義について、さらに詳しくご紹介しよう。