急に思いついたスターウォーズ考察。
アナキンはずっと奴隷のままだった。辺境の惑星でワトーという廃品回収業者の奴隷として育ち、ジェダイという共和国の平和を守る守護者に拾われる。一見するとサクセスストーリーだがそうじゃない。
アナキンはワトーの奴隷からジェダイの奴隷になっただけなんだ。奴隷は自分の意志で行動することができない。ワトーの奴隷だった時のアナキンの行動は全てワトーの許す範囲でのものだ。ジェダイになったアナキンという存在も本質的な面ではワトーの奴隷だった時と変わらない。アナキンの行動はあくまでジェダイの戒律が許す範囲での行動なのだ。
唯一彼の意志に基づいた行動はパドメとの極秘結婚だ。パドメとの間に子供を作ったのも奴隷の戒律を破ったアナキン自身の意志に基づいた行動だ。言うまでもなく、結婚も、子供を作ることもジェダイという奴隷制度の戒律には違反している。アナキンにとって自分の意志で掴んだ幸せであるはずなのに、そのことは絶対に秘密にしなければならないのだ。(この時点でジェダイという制度が屑制度なわけです。)
オビワンの例と比較してみるとわかる。オビワンにも心通わせる可能性のあった人がいた。サティーン公爵だ。しかしそれは可能性止まりだった。あれだけ美しい女性が心を寄せてもオビワンの心は最終的には動かない。彼はあくまでも共和国の守護者ジェダイの奴隷なのだ。
「結婚するな」という奴隷の戒律にオビワンは決して違反しない。それは彼がジェダイという制度やそれが守護する民主主義というものを本当に信じていたゆえの行動なのかそこまではわからない。少なくともオビワンはアナキン以上にジェダイの奴隷でありジェダイというロボットなんだ。
アナキンという奴隷の師匠はオビワン。奴隷制度の戒律の中での弟子がアソーカ。デススターで再会したオビワンを躊躇なく殺そうとするアナキンと、再会した弟子アソーカに躊躇なくライトセーバーを向けるアナキンの行動は全く同じものだ。これは、アナキンがヴェイダーとなった直後にジェダイ聖堂でジェダイイニシエイト(かつてのアソーカのような子供たち)を自らの手で皆殺しにする場面でも同じだ。
奴隷だった時の師匠と奴隷だった時の弟子は、本当の師匠でも本当の弟子でもない。彼にとってはまさに忌まわしき記憶でしかないのだ。ジェダイという制度そのものが彼にとって忌まわしき奴隷の記憶でしかないのだ。だから師匠だろうが子供だろうが弟子だろうが薙ぎ払わなければならないのだ。(僕自身が何十年間もアナキンのような奴隷だった経験があるからそれがわかる。)
ジェダイという奴隷制度から抜け出すためにアナキンが取った行動は、シスの奴隷になる事だった。彼はフォースの申し子だったはずだ。選ばれし者だったはずだ。今更シスマスターの手下にならずとも道を切り開くための圧倒的パワーを備えていたはずだ。しかしアナキンはずっと奴隷だった。彼自身が類まれな能力を備えていることを自分自身で自覚していなかった。自分自身で考えることができなかった。これは本当に悲劇だ。
オビワンやアソーカと再会しても動かなかったヴェイダーの心が、ルークと出会って動くのは当然のことだ。奴隷としてではなく自分の意志で作り出した命が「お父さんやめて!」と命懸けで訴えてきたからこそ彼の心は動くんだ。皇帝のフォースライトニングからルークを救い出すシーンは、オビワンが訴えてもアソーカが訴えても、子供を皆殺しにしても決して動かなかった彼の心が動く瞬間なんだ。
って、ここまで書いていて?となるのが、妹を暗黒面へ引きずり込んでやる、っていうあのくだり。まぁ、このあたりはシスの奴隷としてのヴェイダーだから仕方ないか。ここは人間としての揺らぎとという許容範囲内ってことで。おしまい。