広宣流布と憲法

 最後に、この高校生大会で、広宣流布と憲法の関係について、敢えて一言ふれておきます。
 憲法というのは、国家の在り方を規定する最高法規ですね。
 明治以降の近代日本においては、二つの憲法が施行されております。
 その一つは、明治二十二年に制定された「大日本帝国憲法」、明治憲法ともいわれております。もう一つは、敗戦により昭和二十一年に改めて制定された「日本国憲法」、これが現在の憲法であります。
 この二つの憲法を仏法の観点から見るとどうなるかといえば
 明治憲法は、その根底に国家神道を据えている。すなわち国家が皇室の祖先の天照太神(あまてらすおおみかみ)を崇め、これを国教としているのです。明文化こそ避けているが、関係諸法規を合わせ見れば、そうなる。天照大神を祀った伊勢神宮を根本の社廟として、国家が護持するというのが、明治憲法の根本精神になっております。
 先月の四条金吾殿御返事に御教示されているように、日本に仏法が渡って来たとき、聖徳太子は日本古来の神々に固執する物部守屋を打ち破って、始めて日本に仏法を確立した。
 このとき、仏は主君、神は所従となって、仏と神の位置が決まったのです。
 ゆえに大聖人様は曽谷抄に
 「神は負け、仏は勝たせ給いて、神国はじめて仏国となりぬ」
 と仰せられている。それまで神を中心として崇めてきた日本が、このとき始めて仏法を中心とした仏国となったのです。
 ところが明治政府は、これをひっくり返した。歴史を逆転させたのです。再び神を崇めて国教と定め、国民にもこれを強要した。その罰で、戦争に引きずり込まれ多くの犠牲者を出してしまったのです。
 そして昭和二十年に敗戦となり、憲法も革命的に変わった。この憲法では、明治憲法における国家による神道の強要を排除して、皆さんのよく知っている憲法第二十条の「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」という一条が設けられた。
 これにより、それまでの国家権力の弾圧は全くなくなり、広宣流布する時を迎えたのであります。

 だから私は〝昭和二十年の敗戦は広宣流布の遠序、遠い序分である〟と言って来たのであります。
 この時代の大変化こそ、大聖人様が作って下さったものです。
 「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」
 と仰せられる大聖人のお力によって、すべては動いていくのであります。

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