6:簡易図と対策
「ふう。疲れた……ね。それに佐野先輩、とても怖かったし」
「ああ……。見た目こそごついけど、普段は面倒見がよくて優しいタイプの人、ってイメージがあったからな。そのギャップもあってか、マジの雰囲気になると迫力がすげえの何の」
ホールで佐野先輩が行った突然の告白。そしてゴーストに同調するかのような殺意すら籠った宣言。完全に僕たちは凍り付き、佐野先輩に場を支配されてしまった。さらに先輩は『千世がストーカー被害にあっていた』という驚きの証言をし、ますます僕たちを混乱のドツボに叩き落とした。
先輩は千世がストーカー被害に遭い苦しんでいたことや、彼女が将来都会に出てもっと幸せな人生を歩んでいたはず。こんなに早く死んでいいはずがないなど、犯人への恨みを込めて話しているうちに怒気がどんどんヒートアップ。ついには壁がへこむんじゃないかというほど強く拳を打ち付ける場面もあった。
そんな先輩に恐怖してか、根津は話の途中でテーブルに置いてあった鍵を一本掴み、鍵番と対応する部屋に逃げ込んでしまった。その根津の姿を見た先輩は自分がかなり興奮していることに気づいたのか、「少し頭を冷やしてくる」と言って、テーブルの鍵を一本掴むと対応する部屋に引き上げていった。
一気に二人もの人物が退場したため、このまま話し合いを続けることは厳しいと判断し一度作戦会議は中断に。僕と友哉はそれぞれ一本ずつ鍵をとると、それぞれ鍵に見合った部屋に撤収。その後すぐ友哉が僕の部屋へと訪ねてきて、お互い人心地着いたところだった。
友哉は椅子に座ってぼんやりと天井を見上げながら、ベッドに寝転がった僕に聞いてきた。
「なあ、さっきの先輩の話、本当だと思うか?」
僕も天井に目を向けながら言い返す。
「さあね。千世はとにかく友好関係が広かったから。本当にこの村の全員と仲がいいんじゃないかってくらいだったし。特別親しい人こそいるようには見えなかったけど、逆に言えば誰と親しく話してても違和感なんてなかったからさ」
「だな。普通こんな小さな村なら浮いた話はすぐに知れ渡るところだが、あいつはちょっと例外だったからなー。誰とでも親しくするはマジで最高の隠れ蓑だわ」
「でも本当だったならちょっとショックだね。幼馴染である僕たちにくらい教えてくれてもよかったのに。ストーカーの件だって、なんで佐野先輩にだけ……」
「……まあ何つうか、お前はともかく俺は最近そこまで千世と話す機会が多かったわけじゃないからな。それこそいろんな奴――氷室とも仲良くしてたみたいだし、学校終わったらすぐ教室出てどっか行ったり忙しそうだったしよ。一番長い時間一緒にいる彼氏にくらいしか相談する暇なかったんだろ」
「……そう、だね。最近は千世、色々と忙しかったみたいだし……」
最近の千世……。昔とは違って、とても多忙な日々を送っていた……。僕もその全てを知っているわけじゃないけど、色々と焦り過ぎていたような気はする。佐野先輩が言っていたけれど、千世は都会に出るという夢がこの村で誰よりも強かったから。実際彼女は、こんな田舎の村で一生を過ごすような器じゃなかっただろうから……。
しばらくの間、僕たちの間に沈黙が流れる。
お互いに黙っている理由は違っただろうけど、様々な考えが脳内で渦巻いていることは間違いない。
不意に時間が気になり、身に着けていた腕時計に目をやった。誘拐されてから丸一日経っているわけでないのなら、誘拐後まだ五時間程度しか経っていないようだ。流石にまだ眠たくはないが、あと一、二時間もしたら村の人たちは全員眠りにつく時刻。この調子だと今日はこれ以降そこまで話し合いも起きないかと思い、ほっとため息を漏らした。
ただ、今も胸にわだかまっているこのしこりだけは除去してしまおうと考え、僕はベッドから体を起こす。少し乱れた服を整えるとベッドに座り直し、意を決して友哉に尋ねた。
「友哉。答えたくないなら今は答えなくてもいい。でも二つだけ、僕に尋ねさせてくれ。
友哉は、本当にあの日の夜、学校に来ていたのか? もし学校にいたとしても、千世の死に関わっていたりはしていない。そう信じても大丈夫、だよな?」
友哉は僕の方に一瞬だけ視線をよこすと、すぐに俯いてしまう。それでも、その口からはぼそぼそと質問への答えが返ってきた。
「俺があの日学校にいたことは、本当だ。その理由は……お前にも言えない。ただ、俺は千世の死に関与はしていない。そのことだけは嘘偽りない事実だし、信じて欲しいと思っている。勝手な話だとは思うけどよ……」
「大丈夫。僕は友哉を信じられるよ。それに、あの日学校にいた理由を言えないのは僕も一緒だからさ。友哉こそ、僕が千世を殺してないって信じてくれるかな?」
「馬鹿。信じるに決まってるだろ」
僕の問いかけに対し、友哉はこちらを見つめ素早く返事する。お互い数秒見つめ合った後、妙におかしくなり同時に笑い始める。
ちょっとしたデジャブを感じつつもしばらくの間笑い合い、心がだいぶ落ち着いていくのを感じた。
心が落ち着いてくるのに従い、思考能力もかなり戻ってくる。僕はスッと目を閉じて、これからのことを考え始めた。
このまま部屋から出なければ、特に何も起こらず明日を迎えられる気もする。しかし、こんな誘拐劇を起こした犯人が、このまま何もせず僕らが救助されるのを待つとも思えない。初日ぐらいはあくまで様子見で、特に行動は起こさないだろうと楽観視してもいいだろうか。それとも氷室からの挑発もあったし、焦って何か動き出してしまうだろうか。
分からない。分からないけど、やっぱりこのままじっとしているのは落ち着かない気がする。
僕はベッドから立ち上がると、友哉に顔を向け言った。
「ねえ友哉。一回ホールに戻って他のみんなの様子を見にいかないか? 今日はさして話し合いは進まなかったから、ゴーストが最悪の行動に出ることはないと思う。けど、このままゴーストが何もしてこないとは思えないし、やっぱり皆がどうしてるか気になるから」
「おう。勿論構わないぞ。氷室はともかく、根津なんかかなり怯えてたしな。佐野先輩も、もし本当にゴーストの仲間になんかなられたらヤバそうだし……。んじゃま、いっちょ見回ってきますか」
軽く頷き合い、部屋を出てホールに出る。
てっきりもう誰もいなくなっているかと思っていたが、意外にもホールには二人も人が残っていた。
一人は栗栖で、椅子に座りながら目を閉じて瞑想(?)している。
もう一人は氷室で、何やら扉のあたりでガチャガチャと鍵をもてあそんでいた。
もしかしたら寝ているかもしれない栗栖を避け、氷室に近づいていく。僕たちの接近に気づいているだろうに、氷室は顔を上げることなく鍵をいじり続けていた。仕方なく、こちらから声をかけることにする。
「えと、氷室君。さっきからそれは何をやっているの? 鍵を鍵穴に刺したり抜いたり。遊んでる……わけないよね、ゴメン」
遊んでると言いかけた途端、ものすごい目で睨み付けられ言葉尻を濁す。氷室は侮蔑した様子で「はぁー」と大きなため息をつくと、唐突に右手を差し出してきた。
握手がしたいのかな? などと考えそっと手を握ろうとすると、ぺしりと手の甲を叩かれた。一体何なんだ。
「馬鹿かお前は。どうして俺の手を握ってこようとする。鍵だよ、お前の鍵をよこせと言ってるんだ」
「へ、いや、どうして? というかいくら何でも鍵を渡すのは抵抗があるよ。まだ氷室君がゴーストじゃないと分かったわけじゃないし」
「そうだよ。なんで司の鍵をお前に渡さないといけないんだよ。この状況を理解してなさすぎだろ」
友哉も隣から援護射撃をしてくれる。しかし氷室は、呆れた表情を浮かべたまま言葉を続けた。
「何を勘違いしてるんだ貴様らは。俺が今やってるのは本当に一つの鍵が一つの扉にしか対応していないかの実験だ。もしゴーストとやらに鍵のかかった部屋を通り抜ける力があるのだとしたら、最も手っ取り早いのは合鍵を持っていることだ。それでこの鍵が本当に鍵としての機能を果たせるのか調べているんだろうが。貴様らもゴーストでないというなら、その確認の手伝いをしろ」
「成る程。でもそれならそうと、最初から言ってくれればいいのに」
少しばかりぼやきながら、僕も友哉も氷室に鍵を渡す。言っていること自体はまともなので、手伝う分には特に支障はなさそうだし。
僕らからもらった鍵を使い、氷室は再び鍵穴をいじり始める。その姿を見ていると、ふとあることを思い出した。
「そういえば、すでに栗栖君がどの鍵でどの部屋が施錠できるのか確認済みって言ってなかったっけ。結果的には部屋番と鍵番が普通に対応してたみたいだけど」
「ふん。よくもまあそんな他人の言葉を疑わずに信じられるな。あいつがゴーストの可能性だってあるんだ。念のため自分で確認しておくぐらい当然のことだろう。それに貧乏人どもが勝手に部屋に引き上げたせいで、俺の三つ目の案の実行が叶わなくなったんだからな。これぐらいは当然の自衛行動だろ」
「ま、まあゴースト探しは明日からすれば大丈夫じゃないかな。ゴーストの目的は僕らを害することじゃなくて千世の死の真相を知ることみたいだし、まだろくに状況把握すらできていない初日から派手な行動はとらないだろうから」
「全く、お気楽な考えだな。何かあってから行動しては遅いというだろうに」
氷室はそういうと、別の扉に移動し同じ行為を繰り返し始める。氷室の最後のぼやき。傲慢なのはいつものことだけど、何かそれ以外の感情も含まれていたような……。
ぼんやりと彼の後姿を眺めていると、後ろから友哉に肩を叩かれた。
「なあ。あいつに話しかけてもどうせ侮蔑の言葉しか返ってこないだろ。取り敢えず鍵の調査が終わるまでは放っておこうぜ。それよりテーブルに役に立ちそうなものが置いてあるんだ。たぶん栗栖が書いたもんだと思うけどよ」
友哉に連れられ、栗栖が寝ている椅子の隣に移動する。友哉の言う通りテーブルには、役に立ちそうなあるものが置いてあった。
僕はそれを手に取りながら、感心した声で言った。
「これ、この八角館の簡易的な見取り図と、部屋割りだよね。凄い。皆が部屋に戻った後、わざわざこれを書いてくれたのか」
「俺の部屋、氷室の隣になってたんだな……。まあ害はないだろうが、なんとなく嫌だな」
「そんなはっきりと言わなくても」
今の話が氷室に聞こえてないか気にしつつ、小声で返す。
それにしても、改めてこの図を見ると八角館は本当にシンプルな建物であることが分かる。綺麗に八等分された部屋と、各部屋に繋がった中央のホールだけ。根津が言っていたように何か隠し通路があるとすれば、それは地下に繋がっていることになるだろう。
「氷室じゃないが、ここに書かれてあることが本当かちょっと確認してみないか。どうせ後の二人にも会いに行く予定だったわけだしさ」
「そうだね。栗栖君はまだ寝ているみたいだし、そうしよっか」
友哉の案に頷き、まずは根津の部屋を訪れてみることにした。
軽くドアを三回叩き、中に声をかけてみる。かなり怯えているようだったし扉を開けてもらえないかとも考えていたが、予想に反して扉はすんなりと開き、根津が姿を現した。
僕ら二人の姿を目にとめると、「ふ、二人とも、何か用かな? 取り敢えず中に入りなよ」と言い部屋の中へ通してくれた。
一度調べたから知っていることではあるが、中は全く同じ内装。扉の前で僕らが立ち尽くしていると、根津はキヒヒと変な笑い声を上げながら尋ねてきた。
「そ、それで。お二人して、い、一体何の用事かな? もしかして、さ、さっきの会話の続きをしに来たのかな?」
「用事って程の事じゃないんだけどさ。純粋に根津君が今夜どうするつもりなのか気になって。なんか自然と初日は各自の部屋で寝ることになったじゃないか。ゴーストは閉ざされた部屋の中にもやってくると考えてた根津君は、じゃあどんな対策をとってるのかと気になってね」
「そ、そんなことか。こういった館ものでの初日は、き、基本、運ゲーなんだ。相手の出方なんてさっぱりわからないから、じ、自分は襲われないと祈ることくらいしかできない」
すっかり佐野先輩が激していた時に見せていた怯えは影を潜め、再び推理小説的展開への興奮に包まれたらしい。頬を上気させながら、熱く話し始める。
「ふ、二人はもう気づいてるかな? じ、実はこの館においてある家財は、ほ、ほぼ全て固定されてるんだ。ベッドも、棚も、テーブルも、冷蔵庫も、全部固定されていて動かせないようにできている。れ、例外は椅子とか、棚に入ってる小物とかだけ。こ、これが何を意味してるか二人にはわかるかな?」
家具が固定されていることになんて全く気付いていなかった身としては、そんなことを突然言われても何も思い浮かばない。友哉に視線を向けてみるが、彼も何も思い浮かばないらしく首を傾げている。
すると、根津は楽しそうに答えを告げた。
「ふ、二人ともわかんないみたいだね。じゃ、じゃあ答えを言うけどね。要するに、犯人の侵入を防ぐことなんてできないから、諦めて寝るしかないってことなんだよ! 固定された家具は絶対に隠し通路に通じる仕掛けだ! 夜になると動くはずのない棚が急に動き出し、そこから殺人鬼がやってくる! 僕らはそれに対して抵抗するすべなんてもってなくて、それで――」
もはやこちらを見ることもなく、ハイになって一方的に語り続ける根津。
僕と友哉は顔を見合せると、音を立てないようそそくさと部屋を後にした。
再びホールに戻り、今度は佐野先輩の部屋を尋ねに行く。こちらも数度扉を叩き軽く声をかけると、すぐに扉を開け中に入れてくれた。
佐野先輩は僕たち二人を見るとばつが悪そうに頭をかきながら、「さっきはすまんな。結局話を中断させることになっちまって」と謝ってきた。
「別にそれは気にしてませんよ。千世と先輩が付き合ってたっていうのには本当に驚きましたけど、それなら先輩がどれだけ苦しかったのか、僕にも分かるつもりですから」
「……だろうな。千世と一之瀬が昔からとても仲が良かったのは俺も知ってる。それこそ付き合いの長さなら一之瀬の方が上だっただろうに、俺だけあんなに取り乱して恥ずかしい限りだな」
「いえ、そんなことは……」
お互い無言になって、どう言葉を継いだものかと思案する。
結局僕も先輩もうまい言葉が見つからず固まったままになってしまい、おずおずと友哉が口を開くことになった。
「えーと、俺たちは他の皆がどう今夜をやり過ごそうとしているのかちょっと見に来ただけなんですけど……先輩に関しては不要でしたかね。ゴーストが襲ってきても、油断してない今なら返り討ちにできそうですし、それに――」
「場合によってはゴーストの手伝いをするつもりだよ。宣言した通りな」
友哉が言葉を濁しかけたところを、先輩は躊躇わずに肯定して見せた。
僕も友哉も言葉が出ず先輩をただ見つめる。先輩はそんな僕たちを見下ろしながら、再度はっきりと宣言した。
「俺は俺が千世の死に関わっていないことを知っている。もしゴーストがそれを信じず攻撃してくるようなことがあれば返り討ちにするが、信じてもらえたなら。俺もゴーストを手伝い、千世の死の真相を明らかにしてみせる。もし君たちのどちらか、もしくは両方が千世の死に関わっているのなら、早めに白状することだ。俺は、ゴーストなんて奴よりも、はるかに厳しいかもしれないからな」